見えない私と、違う世界を生きる盲ろうの弁護士 「障害は乗り越えるものではない」と教えられた話
あなたが突然、すべての看板がアラビア語だけの街に放り込まれたとする。
道に迷い、店に入れず、助けも求められない。
それは「あなたの問題」だろうか。
それとも「環境の問題」だろうか。
「障害を乗り越えてすごいですね」
そう言われるたびに、私はふと考える。
乗り越える、とはどういうことだろう。
私は今も目が見えない。それは変わらない。
では、何を乗り越えたというのだろう。
今回、一人の人物に焦点を当てたい。
Haben Girma(ハーベン・ギルマ)
盲ろう者として初めてハーバード・ロー・スクールを卒業した弁護士であり、障害者権利活動家だ。
彼女の言葉には、「乗り越える」という美談を拒む強さがある。
Haben Girmaの5つの言葉
1. 障害は乗り越えるものではない
Disability is not something an individual overcomes. I'm still Deafblind.
障害は、個人が乗り越えるものではない。
私は今も盲ろうのままだ。
障害者が成功するのは、代替技術を開発し、コミュニティが包摂を選んだときだ。
2. 見えない努力
Navigating ableist situations requires Deafblind people to expend a tremendous amount of energy.
エイブリズムに満ちた状況を乗り越えるには、盲ろう者は膨大なエネルギーを費やさなければならない。
障害のない人には見えない努力が、日常のあらゆる場面で求められる。
3. 甘い言葉で包まれた差別
They coat ableism in sweetness, then expect applause for their "good" deeds.
エイブリズムは甘い言葉で包まれている。
そして「善行」として拍手を求められる。
社会に深く根づいているから、本人すら気づいていないことが多い。
4. 誰のためにデザインされた世界か
They designed this environment for people who can see and hear. In this environment, I'm disabled.
この教室は、見える人・聞こえる人のために設計された。
この学校も、この社会も。
この環境の中で、私は障害者になる。
そして、私の世界から出て、彼らの世界に入る負担を、私が背負わされる。
5. 障壁は環境の側にある
The biggest barriers are social, physical, and digital.
障害そのものが障壁なのではない。
最大の障壁は、社会的なもの、物理的なもの、そしてデジタルなものだ。
障壁は私の中にあるのではなく、環境の側にある。
この言葉たちに共通するもの
Haben Girmaの言葉に共通するのは、「障害は個人の問題ではなく、社会の問題だ」という視点だ。
彼女は「乗り越えた」と称賛されることを拒む。
なぜなら、彼女は今も盲ろうのままだから。
変わるべきは彼女ではなく、社会の側だと言っている。
私がこの言葉を届けたい理由
私自身、全盲として生きてきた。
「すごいですね」と言われるたびに、嬉しさと違和感が同居する。
すごいのは私ではない。
私が使っている道具、私を支える技術、私を受け入れてくれる人たち。
それらが揃ったとき、私は「普通に」生きられる。
Haben Girmaの言葉は、その感覚を言語化してくれている。
障害は乗り越えるものではない。
社会が変われば、障害は障壁ではなくなる。
最後に
もしあなたが、障害のある人に「乗り越えてすごい」と言いたくなったら、少しだけ立ち止まってほしい。
その人は、何かを乗り越えたのだろうか。
それとも、社会の障壁をかいくぐりながら、今も戦い続けているのだろうか。
「すごい」より先に、「何が壁になっている?」と想像してほしい。
機会があるなら聞いてみてほしい。
その問いが、社会を変える一歩になるかもしれない。
Haben Girmaについて
盲ろう(DeafBlind)の弁護士・障害者権利活動家
ハーバード・ロー・スクール卒業(盲ろう者として初)
著書『Haben: The Deafblind Woman Who Conquered Harvard Law』
Apple、Google、Microsoft、Disneyなどで講演
引用元
https://www.goodreads.com/author/quotes/18694063.Haben_Girma
