教科書には載っていない、私たちの協力の仕方
「危ないからやめたほうがいい」
何度も言われました。
目が見えないのに子供を肩車するなんて。
目が見えないのに車椅子を押すなんて。
でも私は、やめませんでした。
やめる理由がなかったからです。
20秒の動画に詰め込んだ実話
新しいYouTube Shortsを公開しました。
タイトルは「【触れて感じる安心】肩車だって、押すことだって 立派な協力の仕方」。
たった20秒。
でも、この20秒には私の人生が詰まっています。
2つのシーン、2つの実体験
動画は2つのシーンで構成されています。
1つ目。
全盲の父親が、子供を肩車している。
子供が「右だよ」「段差あるよ」と声で道案内をする。
2つ目。
全盲の男性が、車椅子の女性を押している。
女性が「もう少し左」「この先に段差があるよ」と声で伝える。
どちらも、私が実際に経験したことです。
あなたなら、どう思いますか
正直に聞かせてください。
「目が見えないのに子供を肩車して大丈夫?」
「目が見えないのに車椅子を押せるの?」
怖い。危ない。無謀だ。
そう思いましたか?
思ったなら、それは自然な反応。
私を心配してくれているのだと思います。
でも、少しだけ聞いてください。
教科書には載っていない
体の不自由な人の工夫は、聞いてみなければわかりません。
教科書には載っていない方法。
周りから見たら変わったやり方。
でも、本人にとっては一番うまくいく方法。
そういうものが、たくさんあるんです。
考えてみてください。
マニュアル通りになんて、何だっていかないじゃないですか。
仕事も、子育ても、人間関係も。
障害があってもなくても、それは同じです。
肩の上の小さなナビゲーター
子供が小さかった頃の話です。
肩車をして、よく散歩しました。
肩に乗せると、子供の体温が伝わってきます。
子供が右を向くと、体が右にねじれる。
左を向くと、左にねじれる。
「パパ、右だよ」
そう言いながら、小さな体が動く。
その動きで、私は方向がわかりました。
触れているから、子供がそこにいることがわかる。
触れているから、子供の動きがわかる。
触れているから、安心できる。
子供は私の 「目」 になってくれていました。
そして私は、子供を高いところに連れていく 「足」 になっていました。
あの日、海外で車椅子を押した
動画のもう一つのシーンも、実体験です。
私は以前、車椅子ユーザーの方と一緒に国際活動をしていました。
同じ目標に向かって、海外で活動していた時期があります。
ある日のこと。
悪路を進まなければならない場面がありました。
通常なら、見える方がその方の車椅子を押します。
でもその日、周りの人の手が空いていなかった。
「押してみようか」
私がそう言いました。
目と足を交換した瞬間
実際に押してみると、不思議なことが起きました。
車椅子の方が、私の目になったのです。
「右に寄って」「段差があるよ」と教えてくれました。
そして私は、車椅子の方の足になりました。
私は目は悪くても、足は悪くありません。
私が押す。
相手が道を教える。
気づいたら、目的地に着いていました。
助ける側と助けられる側なんてなかった
この時、強く思ったことがあります。
私は見えない。
相手は歩けない。
でも、私には押す足がある。
相手には見る目がある。
お互いのできないことを補い合えば、一人ではできなかったことができる。
あの時あの瞬間、助ける側と助けられる側なんてありませんでした。
ただ、一緒に進んでいた。
それが、私たちの協力の仕方でした。
見えなくても動画は作れる
この場面を実写で撮影することは難しい。
だから、Sora2というAI動画生成ツールを使いました。
私は映像を見ることができません。
でも、別のAIに映像の内容を説明してもらえます。
AIが私の目になる。
私がAIに指示を出す。
見えなくても、AIがあれば動画は作れる。
これもまた、補い合いです。
できないことは、補い合えばいい
動画の最後に、こんなメッセージを入れました。
「できないことは補い合える」
これは、私が人生で学んだことです。
見えなくても親はできる。
障害者同士でも協力できる。
AIと人間だって、補い合える。
触れていれば、相手の存在がわかる。
触れていれば、安心できる。
この動画を見て、誰かが思ってくれたら嬉しいです。
「協力の仕方は、一つじゃないんだ」と。
よかったら動画を見ていただければ嬉しいです。
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