「がんばってるね」の前に、私を変えた5つの言葉がある
昨日は、盲ろうの弁護士Habenの言葉を引用させていただいた。
見えない私と、違う世界を生きる盲ろうの弁護士「障害は乗り越えるものではない」と教えられた話
今日は自分の人生を振り返って心に響いたものを紹介したい。
Habenは「障害は個人が乗り越えるものではない」と言った。
私もそう思う。私は今も目が見えない。それは変わらない。
乗り越えてなどいない。
でも、立ち止まっていた私を動かしてくれた言葉はある。
それは「すごいですね」でも「がんばってますね」でもなかった。
今の時代、人を褒めることが正しいとされている。
肯定こそが人を育てる、と。
私もそう思っている。
ただ、私の人生を振り返ると、前に進むきっかけをくれたのは、優しい言葉ばかりではなかった。
人生の節目で出会った方々からいただいた、5つの言葉を紹介したい。
🔥 私を変えた5つの言葉
1. 目しか悪くない
私は全盲のクリエイターだ。
どこか一つが悪いと、人はその一つに囚われてしまう。
私もその一人だった。
「目が悪い」というたった一つのマイナスが、自分のすべてを否定する言葉に置き換わっていた。
何もできない。
何も始まらない。
自分には価値がない。
そこに、この一言。
「目しか悪くない」
たった七文字。
ものすごく強烈に刺さった。
でも、この言葉が私に前を向くきっかけをくれた。
今あるものに気づけ。
そういうメッセージだったのだと思う。
耳は聞こえる。手は動く。足で歩ける。考えることができる。
目以外は、全部ある。
視点が変わった瞬間だった。
2. やるべきことをやりなさい
私が尊敬し、全力で支えてくれた恩師から言われた言葉だ。
人は「障害」と聞くと、その人を自然にオブラートで包んでしまう。
それは必然だと思うし、優しさだと思う。
でも、この恩師は包まなかった。
同じ見えない障碍者だったからこその言葉かもしれない。
「目が悪いんだから、やるべきことをやりなさい」
厳しい。
でも、これ以上ない激励だった。
私はそこから奮起した。
見えないなら、見えない想定で人生を設計しなければならない。
その方向転換ができたのは、この言葉があったからだ。
くよくよ悩んでいても、時間は過ぎてしまう。
振り返れば、あの言葉は私の時間を加速させるための一言だった。
3. お前はまだまだだな
今は肯定の時代だ。
肯定的でなければならない。私もそう思っている。
ただ、それが万人に適応するかは別の話だと思う。
この言葉は私の幼馴染からいわれた言葉だ。
生まれたときから同じ病棟。父が同じ日になくなるという偶然。
そんな親友が、私の性格を知った上で、あえて言ってくれた。
「お前はまだまだだな」
この言葉もまた、私を奮起させた。
結果的に、世界の大舞台までいくことができた。
今の時代であれば、言えない一言に違いない。
いや、私が若かった時代でも、特定の人にしか言えない言葉だったのではないかと思う。
人を傷つけるのは論外だ。
でも、信頼できる仲間が言ったから、私には響いた。
4. 引くのも勇気
障害者だから頑張らなければならない。
前を向かなければならない。
そのプレッシャーに、押しつぶされそうになった。
そのとき、ある人がこう言ってくれた。
「引くのも勇気」
学校では絶対に習わない言葉だった。
前に進む勇気はあっても、後ろに引く勇気があるとは思わなかった。
すごく肩の力が抜けた。
自然体でいていいんだ、と思えた。
そしてこの言葉もまた、結果的に私を前進させる原動力になった。
力を抜いたからこそ、また歩き出せた。
障害があってもなくても、引けない人は多いと思う。
5. 健常者だって忙しい
私の一番身近にいる家族から言われた言葉だ。
冷静に考えてみれば、確かにそうだ。
見える人だって、さまざまな課題や困難を抱えて生きている。
そう考えれば、何ら不思議のない言葉に聞こえてくる。
障害者である自分。
支えを借りなければならない自分。
ただ、いつの日か、それは慣れに変わる。
感謝が薄れ、あたりまえになる。
「健常者だって忙しい」
とても新鮮な言葉だった。
自分だけが大変なわけじゃない。
周りの人にも、それぞれの戦いがある。
その当たり前のことを、思い出させてくれた。
🤝 この5つの言葉に共通するもの
どの言葉も、甘くない。
「がんばってるね」とも「すごいですね」とも言っていない。
でも、共通していることがある。
どの言葉も、私を見た上で発せられている。
一人の人間として見ていてくれている。
そしてもう一つ、大事なことがある。
この5人は、普段から私を褒めてくれていた人たちだ。
100褒めて、1叱る。
ただ褒めるのではない。
根拠のある褒め方をしてくれていた。
「すごいね」ではなく、「あのときのあれは良かった」と、具体的に認めてくれていた。
その積み重ねがあったからこそ、たった一つの厳しい言葉が、刃ではなく薬になった。
この言葉だけをかけられていたら、私の心は折れていたと思う。
適切なタイミングと、先見の目がなければかけられない言葉だ。
私の性格を知っている人が、私に合った言葉をかけてくれた。
決してハラスメントのような文脈ではない。
そこは勘違いしないでいただきたい。
この言葉たちを安易に使ってはいけないと思う。
でも、これらの言葉が私の人生を変えたのは事実だ。
☯ 褒める人がいて、そうでない人がいて
東洋医学に、相対的認識という考え方がある。
簡単に言えば、一つのものだけでは成り立たない、ということだ。
陰があって陽がある。
寒があって熱がある。
表があって裏がある。
人の声かけも同じだと思う。
褒める人がいて、叱る人がいて、黙ってそばにいる人がいる。
その中で人は育っていく。
多面的であること。それが普通なんだということだ。
肯定だけが正解ではない。
否定だけが正解でもない。
人と関わる仕事をずっとしてきて、それはよく感じている。
どこで、どう奮起するかは、人それぞれだ。
だからこそ、目の前の人を見ることが大切なのだと思う。
📝 最後に
もしあなたが、誰かに言葉をかけようとしているなら。
その人を見てほしい。
関係性がないまま厳しい言葉を投げれば、それはただの刃になる。
優しい言葉が響く人もいる。
厳しい言葉が響く人もいる。
何も言わず、ただそばにいることが響く人もいる。
私は、厳しい言葉に救われてきた。
私は決して強くない。むしろ弱い。
だからこそ、前に進む。
「目しか悪くない」
「やるべきことをやりなさい」
「まだまだだな」
「引くのも勇気」
「健常者だって忙しい」
どれも甘くない。
でも、どれも思いのつまった重みのある、愛情と友情が混在した素敵な言葉だと私は思う。
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