映画『ベイビーガール』感想:牛乳一気飲みに見る、性と権力の逆転構造
Amazonプライムで配信中のニコール・キッドマン主演作『ベイビーガール』を観ました。冒頭を見たときは、女性向けソフトポルノ――いわゆるハーレクインロマンス的な路線の作品なのかな、という印象を受けたのですが、観進めるうちにその見立ては大きく覆されました。
実際には、男女の“性と権力のせめぎ合い”を、きわめて現代的な視点で描き出すユニークな作品だったからです。今回は、あくまで男性視点という立場から、この作品をどのように受け止めたのかを語ってみたいと思います。
----ここからネタバレ----
まず、男と女では、受け取る印象が大きく変わる作品だと感じました。
男性視点でアントニオ・バンデラス演じる夫に感情移入すると、愛する妻(ニコール・キッドマン)がこれまで一度もエクスタシーを感じたことがなく、ずっと“感じたふり”をしていたという事実は、男にとってホラー映画のどんな怪物よりも恐ろしい“本当の恐怖”として胸に迫ってきます。
それは、すべての男性がどこかで抱えているかもしれない、「どうしても届かない他者」という断絶の象徴でもあります。ラストで夫婦がようやく互いの本音をぶつけ合い、結果として“満たす”ことができた展開がハッピーエンドとして描かれているのだとしても、男性としてはこれをどう受け止めればよいのか…、複雑な余韻が残りました。
特に終盤、パニック障害を起こしたバンデラスが妻に介抱され、挙句に謝られるという場面があります。このシーンは、男性視点では性的にも精神的にも“完全敗北”を突きつけられているように見えます。にもかかわらず、その直後にハッピーエンドが訪れるという展開は、むしろ“女性視点からのロマンス的ファンタジー”として機能しているのではないかと感じてしまいました。(それとも私の意識が男性的マッチョ思考に囚われているのかもしれません…)
現実の男性心理では簡単に飲み込めないからこそ、作品としての構造がとても興味深かったです。
一方で妻の視点では、満たされない“性”を若いインターン(ハリス・ディキンソン)との関係で埋めようとする、背徳と不貞の間で揺れる物語が描かれます。これはいわば、ジェンダーを反転させた“モテるおじさん映画”の女性版なのですが、若い男側に出世や搾取の意図がなく、不倫が「性欲を満たすための合意」でしかない点に、非常に現代的なニュアンスを感じました。
中盤、ハリスから贈られたグラスいっぱいのミルクを、ニコールが彼を睨みつけながら一気に飲み干す場面があります。
ミルクは性的なメタファーとして“男性性”や“支配”を象徴しますが、ここでは羞恥を押しつけようとする相手に対し、あえて正面から受け切ることで、逆に主導権を奪い返す挑発のパフォーマンスになっています。
欲望と怒り、受容と拒絶が入り混じるその表情は、本作が描く“性と権力のせめぎ合い”を凝縮した名シーンでした。
さらに、二人の関係が終わった後に、同僚の男が「妄想の相手をするぜ」と下卑た笑みを浮かべる場面は、本当に胸くそ悪く、男性の害悪性をこれ以上ないほど露骨に描いた瞬間でした。そこに毅然と「NO」を突きつける場面には、男の私がでも感じられるカタルシスがありました。
性の不均衡、愛情の断絶、そしてそれを乗り越えようとする意志――。
『ベイビーガール』は、ロマンスの装いの内側に、男女どちらの視点から見てもざらついた“現実の痛み”が潜んでいる作品だと感じました。
……とはいえ、正直なところ、夫婦で観なくてよかったと胸をなで下ろす、少し腰の引けた私なのでした。
