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感想『トリツカレ男』で勝手に自分の人生を振り返る

その前に少し愚痴になりますが、近年、新しい絵柄や挑戦的な表現を用いたアニメ映画に対し、「生理的に無理」「どうしてこうなった」「爆死確定」など、作品を観る前から揶揄する言説がSNS上で飛び交うようになってきました。

本来、オタクとは――
一般から理解されにくい表現にこそ魅力を見いだし、自分の“好き”を大切にし、そして創り手への敬意を忘れない存在だったはずです。

しかし近年は、「見慣れた絵柄=正しい」「異なるもの=劣っている」「盲目的な原作至上主義」といった狭い基準で作品を断じる空気が広がり、オタク文化の本来の豊かさが失われつつあるように感じます。

オタクを自認する者として、私はその風潮をとても残念に思います。
そして、この映画『トリツカレ男』は、そんな“大切なもの”を思い出させてくれる作品でした。


◆あらすじ──“トリツカレ男”の恋

『トリツカレ男』は、何かに一度夢中になると、ほかのことが目に入らなくなる“トリツカレ男”のジュゼッペが、公園で風船を売る少女ペチカに恋をする物語です。

ジュゼッペは、ペチカが抱える悲しみを解決するため、これまで夢中になってきた三段跳び、探偵、ネズミ語など、奇妙で、しかし彼の人生に蓄積されてきた“取り憑かれスキル”を総動員して、彼女の笑顔を取り戻そうと奮闘します。

いしいしんじの同名小説を原作としたミュージカルアニメーションであり、“好きに取り憑かれる”という不可思議な才能が、物語の鍵を開ける力へと変わっていく過程が描かれます。


◆ジョゼッペの“トリツカレ”に見る、理想のオタク像

ジュゼッペは、興味を持ったものに全身全霊でのめり込み、他のすべてが見えなくなるほど夢中になります。
三段跳び、探偵、外国語、サングラス集め、歌…
対象は次々に変わっていきますが、そのたびに彼の生活はその方向へと大きく影響を受けます。

その“トリツカレ”は滑稽で、狂おしく、ときに危うく映ります。
しかし私はその姿に、強い親近感を覚えました。
自分自身の姿と重なる部分があるな……と。

※ここからは映画の話を離れ、恥ずかしながら自分語りとなります↓

幼い頃の私はウルトラマンに取り憑かれ、怪獣の絵をノートに描き続け、自作の怪獣図鑑を作っているような子供でした。学校の文集に「将来の夢は円谷プロの怪獣デザイナー」と書かずにいられないほど、怪獣の世界に魅了されていました。

※小学生の頃、再放送で観た『帰ってきたウルトラマン』の「怪獣使いと少年」に強い衝撃を受け、「このパン屋さんのように生きよう」と心に誓いました。あの話は、私の人生観そのものに大きな影響を与えた作品です(恥)。

そして中学生になればガンダムと一連の冨野監督作品に夢中になり、高校生ではストリートファイターIIやバーチャファイターに傾倒、その結果、ゲーム制作会社に就職するという道を歩みました。

社会人になってからは映画鑑賞に取り憑かれ、年間100本の映画を観ては感想文にまとめるという趣味は現在も続いています。
ふり返れば、人生の節目ごとに“取り憑かれの対象”は変わりながらも、夢中になる力だけは一貫して同じだったのだと思います。


◆「トリツカレが報われる」その言葉の真実性

劇中でネズミのシエロがジュゼッペに言う

なにかに本気でとりつかれてるってことはさ、みんなが考えてるほど、ばかげたことじゃあないと思うよ

「そりゃもちろん、だいたいが時間のむだ、物笑いのたね、役立たずのごみで終わっちまうだろうけれど、でも、きみが本気をつづけるなら、いずれなにかちょっとしたことで、むくわれることはあるんだと思う

これは、私自身にも深く刺さる言葉でした。
私が人生で実感して来たことだからです。

世間から見れば“無駄”で実生活に役に立たないと思える趣味──ウルトラマンも、ガンダムも、ゲームも、映画も。

しかしそれらに取り憑かれた経験は、
クリエイティブな仕事をするうえでの発想の源になり、企画の引き出しとなり、ときには仕事の縁や助けにつながりました。

そして家内との出会いもまた、
お互いの“好き”が結んだ縁でした。

私の取り憑かれ具合はジュゼッペのようなプロ級には遠く及びませんが、趣味は確かに私を救い、導いてくれた灯台だったと胸を張って言えます。


◆「好きは人を集める」という真理

ジュゼッペとシエロの絆は、
“ネズミ語に取り憑かれた”という突飛な行動から始まり、やがて唯一無二の相棒関係へと発展します。

この描写はまさに、
「物事に夢中になると、自然と人との縁が結ばれていく」
という現象を象徴しているように感じました。
私はこれを「”好き”は人を集める」と勝手に呼んでいます。

自分の“好き”を正面から追い続けていると、自然と同じ方向を向く人たちと縁がつながります。
そして助けられ、支えられ、気づけば人生が前へと動き始める。

私はこの映画でもジュゼッペが“トリツカレ”を貫いたからこそ、彼の周囲には次々と仲間が現れ、物語は前に進み、彼自身が救われていきます。

これは、私自身の人生経験と深く重なる部分でした。


◆ジュゼッペは“マウントを取らない”

ここが本作の重要な観点だと思います。
ジュゼッペはどれほど“トリツカレ”を極めても、決して他人にマウントを取ろうとしないのです。

・知識を誇示しない
・コレクションを自慢しない
・他人を見下さない
・承認を求めて動かない
・損得で好きなことを判断しない

彼が取り憑かれるのは、あくまで“好き”という純粋な衝動からです。
だからこそ周囲の人々は、「仕方がない奴だな」と苦笑しつつも、彼を放っておけず助けてくれる。

この“純粋性”こそ、SNS的マウント文化が失いつつある部分であり、オタク文化が本来持っていた美しさだと私は思います。


◆結語──オタクだからこそ共感し、オタクだからこそ残念に思う

私はオタクだからこそ、この映画に深く共感しました。
そして、同じオタクでありながら、作品を観もしないうちから揶揄し、“見慣れない絵柄”というだけで作品を切り捨てる言説には、どうしても強い残念さを覚えます。

『トリツカレ男』は、
純粋な“好き”に取り憑かれることが、人生を救い、人をつなぎ、新しい世界を切り開くという、オタクにとって大切な真理を描いた作品でした。

好きなものに夢中でいられること。
他人の評価ではなく、自分の心が震えるものを追いかけること。

それは、人生を豊かにする何よりの力です。
その価値を知る人にこそ、この映画が届いてほしいと心から願います。



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