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私たちは、大日本除虫菊株式会社 KINCHOです。~その1 除虫菊とシンカ

時は明治19年1月。紀州の若者が手に入れた、一袋の種。
それは、創業者上山英一郎と除虫菊との、運命の出会いでした。
KINCHOのあゆみは、この菊の花から始まりました。
「喜ぶべし慶(けい)すべし、茲(ここ)に一(ひとつ)の霊草あり、何ぞや除虫菊之れなり」
(「創植者上山英一郎著 日本の除蟲菊 附栽培法」 大正15年改版 より)


除虫菊を、ご存じですか?

除虫菊
除虫菊(シロバナムシヨケギク Tanacetum cinerariifolium)。花の子房部分に殺虫成分がある。乾燥した除虫菊の花から、様々な殺虫剤が作られた。

 除虫菊は、白いマーガレットに似た可憐な花を咲かせます。ユーゴスラビア(現セルビア共和国)が原産地であり、その花に虫を駆除する作用があることは14~15世紀に発見されたと言われています。

 KINCHOの創業者上山英一郎は、紀州有田の有数のミカン農家の息子でした。明治18年、22歳の英一郎は慶應義塾の恩師、福沢諭吉先生の紹介により、アメリカの種苗会社のH.E.アモア氏を有田の自宅に招きミカンの苗など様々な日本の植物を贈りました。翌年1月、アメリカから様々な植物の種がお礼として送られてきました。そのうちの一つが「ビューハク」という札の貼られた小さな袋。これこそが「除虫菊」の種でした。
 英一郎は、殺虫効力のある除虫菊に大きな可能性を見出しました。除虫菊栽培は農家の新たな収入源になり、虫害による飢饉から人々を守る切り札となると信じ、翌明治20年から除虫菊の栽培奨励を目指して全国を旅しました。
 「然れども之が奨励に就いての最初の苦心は語るに忍びざるものあり」と英一郎の著書にある通り、最初は誰もが「うさん臭い」と応じてくれませんでしたが、こつこつ説得を続けているうち協力する農家が現れて除虫菊の生産は増えていき、やがて英一郎を中心に、除虫菊は戦前まで日本を代表する輸出品の一つへと発展したのです。

除虫菊から蚊取り線香が生まれ、キンチョールが生まれ、シンカを続けて次世代型蚊取りへ

 当初、除虫菊は乾花を粉にして、欧米と同じくノミ取り粉として販売されましたが、英一郎は仏壇線香にヒントを得て、明治23年に棒状の蚊取り線香を発明しました。棒状線香は持続時間が1時間弱しかありませんでしたが、明治28年、妻ゆきの「渦巻型にしては?」というアイデアをもとに、人の就寝時間である6時間持続する画期的な「渦巻型蚊取り線香」が誕生しました。
 昭和9年には除虫菊の有効成分を液体に抽出した「キンチョール」が発売されるなど、様々な製品の開発は続きました。戦後には除虫菊由来のピレスロイド系殺虫成分が化学合成できるようになり、昭和27年にはエアゾールタイプの「キンチョール」、昭和40年に世界初の液体式電気蚊取り「金鳥エイト」を開発しました。また、常温で揮散できる成分の登場により、昭和58年にニオわない防虫剤「ゴン」、平成19年に有効成分を樹脂に練りこんだ「虫コナーズ」、そして令和6年に火も電気も電池も使わない次世代型蚊取り「シンカトリ」などを開発しました。
 除虫菊を原点に、たゆまぬ研究開発によりKINCHOの殺虫剤はシンカを続け、数えきれないほどの画期的な新製品を世に送り出してきたのです。

金鳥商品の変遷
KINCHOが世の中に送り出した画期的な製品の数々

KINCHO公式note始動!

 3月5日。虫が眠りから目覚めるという二十四節気の「啓蟄(けいちつ)」の今日、KINCHO公式noteが始まりました。
 このnoteは、読者の皆様がお困りの害虫について季節に応じた情報をご提供したり、KINCHO製品のひみつについて深掘りしたり、140年のKINCHOの歴史とともに日本の近代史をひもといてみたりと、昔から皆様におなじみのKINCHOを、より身近に思っていただくために開設しました。
 これまでKINCHOは、皆様と共に明治、大正、昭和、平成、そして令和と着実に歩みを進めて参りました。これからも一輪一輪、花を咲かせていくKINCHOこと「大日本除虫菊株式会社」の物語に、お付き合いいただければ幸いです。

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