蚊取り線香とミカン ~紀州のミカン畑から生まれた、金鳥の渦巻
KINCHO社員には、毎年12月に美味しいミカンが一箱配られます。これは1950年代にはすでにあった恒例行事。
なぜなら、KINCHOの原点は、紀州有田のミカン畑だから。
ミカン畑で育ったKINCHO創業者、上山英一郎
KINCHOの創業者・上山英一郎は、1862年(文久2年)、当時300年以上続いていた紀州有田のミカン農家の四男として生まれました。
東京で慶應義塾に学び、福澤諭吉先生の教えを受けた英一郎は、殖産興業と海外輸出により日本の発展に貢献したいと熱く志します。1885年(明治18年)、故郷に戻り22歳の若さで「上山商店」を設立した当初、英一郎はミカンの輸出を考えていました。
商店を設立した年、諭吉先生の紹介でアメリカの種苗会社社長のH.E.アモア氏を有田に迎え、ミカンの苗や棕櫚(しゅろ)などを送りました。お返しとしてアモア氏から1886年の1月に届いたのが、英一郎の運命を変える、一袋の「除虫菊」の種だったのです。

除虫菊から、蚊取り線香
除虫菊の花には、人畜には安全で、虫には卓越した効果を発揮する天然の殺虫成分があります。それは、自然の植物が飽くなき虫との戦いの末に、悠久の歳月をかけて獲得した奇跡の物質でした。
英一郎は、この可憐な白い花が、人々の暮らしを守り、農業・産業として発展する可能性を直感します。ミカン畑に囲まれ、害虫と日々向き合う農家の姿を見て育った英一郎にとって、それは確信でもあったでしょう。
英一郎は日本各地に除虫菊の栽培を広めるとともに、1890年、紀州有田の地で、世界初となる「蚊取り線香」を発明しました。欧米では「ノミ取り粉」として使われていた除虫菊が、日本で「蚊」の駆除に応用されたのです。
それは実に、ロナルド・ロス博士が蚊がマラリアを媒介することを発見した1897年よりも前の出来事。KINCHOのこの発明は、後に多くの人々の命を救うことにつながりました。

英一郎の妻・ゆきのアイデアで、線香は渦巻に
当初の蚊取り線香は仏壇線香のような棒状で、燃焼時間は約40分しかありませんでした。
英一郎の妻・ゆきの「渦巻型にしてみては?」とのアイデアによって1895年に渦巻型線香が生まれ、燃焼時間は人の就寝時間の約6時間持続するようになり、今では世界中で愛用されています(現在販売されている金鳥香の持続時間は約7時間)。
さらに、2本を組み合わせて渦巻をつくる形は、現行品の「金鳥の渦巻」と基本的には変わっていません。棒状から渦巻状にすることで、持続時間が長くなっただけでなく、輸送中の折れを防ぐことにもつながりました。
また、ゆき夫人は、蚊取り線香の乾燥工程に試行錯誤する英一郎に対し、「金網を使ってはどうか」と提案しました。その一言が、蚊取り線香の大量生産を実現する大きなブレイクスルーとなりました。
令和の今でもなお、それに代わる方法はなく、製造ラインでは線香を金網に載せて乾燥させています。

創業家のミカン畑は、今も現役
英一郎の著書を読むと、その考え方の根底には農家としての誇りが息づいていることがわかります。
日当たり良い有田の丘にある創業家のミカン畑は、今も丁寧に手入れが行き届き、毎年瑞々しい果実をつけます。KINCHO社員に配られる美味しいミカンは、その農園で収穫されたものなのです。
ミカン畑の先には有田川。きらきら光る水面の反射を受けながら、今年も甘く美味しい実をたくさんつけました。有田のミカンは収穫と出荷をおおかた終えて、今まさに全国の皆様のお手元に届いています。

KINCHO社員はこの農園で収穫されたミカンを年末に一人一箱プレゼントされる。
