うそぶきのうた(i の書)|④ 通過
🟡作品に神話が現れる理由
─── 『赤の書』を通りすぎるということ
今回は私なりに
「赤の書」を通りすぎることにした理由と、
その頃の制作スタイルだった、
炙り出しのような描き方の作品に、
なぜ、
興味など持ったことも 見聞きもした覚えもない神話やシンボルが
痛みや不調和まじりに
目に見える形で頻繁に出現していたのか──
作品の写真を交えながら、
相変わらず 虹蛇のように揺蕩い、
あれこれ立ち寄りつつ、
①体験 → ②理論 → ③再体験 → ④統合
という感じで
少し長くなりますが、
つらつらとお話していこうと思います。
よろしくお願いします。
─────────────────────

2025
まずはじめに
ここで触れている『赤の書』について、
私なりの概要を簡単にお話ししておきます。
『赤の書』は、
心理学者 カール・グスタフ・ユング による
著作で、
正式には Liber Novus(リベル・ノヴス) ——
ラテン語で「新しい書」と呼ばれています。
この書物は、ユングが1913年頃から体験した、
ヴィジョンや夢、内的対話といった、
きわめて私的な内面体験を、
長い時間をかけて記録し、見つめ続けたものです。
そこには、無意識の世界に現れる
象徴的な存在たちとの対話や、
自我が揺らぎ、変容していく過程――
のちに「個性化」
と呼ばれる道筋の原型が描かれています。
美しいカリグラフィーと、
極彩色の絵画によって構成されたこの書は、
一般的な心理学書とは
まったく異なる佇まいを持ち、
むしろ神話や黙示録のような印象を与える作品のように感じます。
『赤の書』で行われている探究は、
後年ユングが理論化していく
「元型」や「集合的無意識」といった概念の、
出発点とも言えます。
ただ、
この書は長いあいだ公にはされませんでした。
約50年以上にわたり、門外不出の秘蔵本として扱われていたのです。
その理由は、内容があまりにも個人的であり、
また当時の学問的基準から見れば、
ユング自身の理性や、学者としての信用を
危うくしかねないものだったからだとされています。
2009年に正式に刊行されたことで、
ユングの探究の核心が、
単なる理論構築ではなく、
無意識と直接向き合う
「体験」そのものにあったことが、
おそらく、はっきりと示されることになったのではないでしょうか。
─────────────────────
私が「通りすぎる」と決めた理由
①体験
『赤の書』、すなわち集合的無意識の領域を、
私が通りすぎることにした理由は、
突き詰めればとてもシンプルでした。
そこが心地よくなかった。
私の美意識ではなかった。
それが、はっきりと腑に落ちたからです。
私は根っからの、小春日和好きです。
小鳥唄う、うららかな春のような調和や
時が溶けてなくなったような円満な気配。
安全でやわらかく、濁りのない波動。
純粋な色彩が、しゃぼんのように
消えたり浮かんだりしている世界。
──そんな
自分がどう在りたいのかに気がつけたのは、
中学生〜高校生の思春期真っ只中に、
無意識に描いてしまっていた線でした。
ユングでいうところの、
おそらく影が溢れ出していた時代で
内に閉じ込めていた本音、
内なる私との
段階的な意識的対話、
そして統合のはじまりでした。
↓ これは中学生の頃の作品です。

1993年頃
当時は、重苦しそうな線ばかりが湧いてきて、
息をするのもやっとの状況下。
描いている本人は、
目隠しをされたまま、
細いロープの上を歩かされているような、
常に警戒と緊張を強いられる感覚。
そんな状況の下、どこか救いを求めるように
突き動かされて描いた線が
ご覧の通りで
「ほんとに勘弁してよ…」
と、思いながら
それでも何かに気がつきたくて
思い出したくて描いていたような気がします。
そんな、
本来の波動から遠く離れてしまったような、
色も光も、霧にのまれた
途方もない迷子の状態(鬱)の登場は
人生のスパイスどころではなく
生きることを危うくするものでしたが
だからこそ、光の届かない世界の外側を、
強く夢見るような想像力や、
ささやかな木漏れ日を
正夢の光のように感じられる、逞しい感受性など
意識的に人生を創造していく筋力のようなものが
着実に育成されていったような気がします。
とはいえ、初心者すぎた10代は、
毎日、毎日、
混乱し、疲弊し、色を見失い
誰に宛てるでもない遺書を持ち歩くことで
息ができているような
そんな状態でした。
今振り返ると、
私もまた、
正しく人間(物理世界)を
1から色濃く
経験していたのだとよくわかります。笑
…なにせ当時は、まだ経験も知恵も浅く、
自分がエンパス的な感受性を持っていることなど、知る由もありませんでした。
感じ取っていることの大半は言葉にならず、
ただ圧倒されるように受け取るばかりで消耗し
それが無意識による身体や神経への影響だと
自覚することもなければ、
ましてや整える術など、
持ち合わせていませんでした。
その混乱の激しさは、
今振り返れば、
現在とは比べものにならないほど
大きなものだったと思います。
今となっては、
内なる光との関係を深めていく
大切な過程であり、
意識が目覚めていくための
アラームだったのだと思います。
やがて私は、
この不快な線が なぜ出てくるのか、
その理由を知る必要があることや
そもそも、
こんな不快な線が湧いてこない意識へと、
現実の経験を通して学び、
成熟していく必要があることを
" 私にはやることがある!"
という強烈な直感で受け取り
心の根底にあった独自の問いである
─「愛とは何なのか」
その探究を続ける、
ふしぎがりの人生がはじまったのでした。
そんな探究を始めた頃、
私は進学校に在籍していました。
けれど、当時の私にとって最優先だったのは、
内なる問いを自明していくことでした。
鉛のように重く感じる心身とともに、
なんの設計図も、
足場もないまま、
静かに歩み始めていたのです。
そうして、
意識が内側の探究に集中してしまった状態から
感じる外の世界は、
そこにいるのに、いないような
同級生たちと同じ場所にいながらも、
自分とは交わることのない、
まったく異なる世界の動きのようで
景色を見るように
ただ 静かに眺めていられたのです。
その光景は、
私にはまるで無音の世界のように感じられ
周囲では会話があり、
それぞれの進路へ向かう熱気もあったはずなのに、
私の内側では、
安全な空間、、
まるで海底のような静けさから
観察しているような、
そんな感覚だったので、
自分の直感や
エゴによる衝動・好奇心などに導かれ
くねくねと回り道しながらも、
今に通じる 私らしい歩みを
進めることができたのだと思います。
思えばそれは、
後に触れることになる
宇宙際タイヒミュラー理論から受け取った、
どこか懐かしさを伴うヴィジョンにも似た、
同じ空間にいながら、
それぞれが独立した
異なる世界を生きているような、
とても自然で、
どこか安心感のある感覚だったのだと思います。
そして、48歳になろうとしている現在、
私はこの感覚を、
こうして いまいちど思い出したり、
絵の制作を通して、
繰り返し体験したりしながら、
当時は理解できなかった体験の意味を、
少しずつ回収しているような感覚があります。
そしてあらためて、
神経学的な視点からも、
もう一度意識化してみようとしています。
────────
そして こちらは
16.、7歳くらいの作品。

1995年頃
一筆書きのような線に、
生まれて初めて、
感じるままに色をのせてみた作品です。
この、ざわざわする色や線…。
こんなのが自分から現れてしまうのかと、
その表現に強いショックを受けました。
自分の表現でザワザワするなんて…。
不調和の波動は広めるべきではない。
私が愛する芸術は、
もっと具合のいいもので、
調和し、心身にとって健やかなもの。
そう感じた私は、
自分にはまだ体験するべきこと、
成熟させる部分が
たくさんあるのだと納得しました。
そして、
このような意識段階の表現は、
自分にとっても環境にとっても
健全とは言えないものなのではないか…
なにより、
私の好むものではありませんでした。
そうはっきり感じ始め
この絵を最後に、
私は一旦、描くことから離れることになります。
それは、幼少期に行っていた
配置の儀式から離れた理由と似ています。
けれど、この時は一つだけ決定的に違うことがありました。
それは私はこの作品を通して、
作品そのものから
インスピレーション(知恵)を受け取る
という経験をしていたことです。
描き上げた絵を眺めていると、
ふと、
ああ、そういうことなんだ、と
深い理解とともに、
体温が戻るような感覚、
生命力が湧いてくるような感覚がありました。
空の青。
大地や落ち葉の色で塗られた、
おじいさんのような線。
そのとき私が受け取った知恵は、
父(親)は、大自然である
という新しい理解でした。
それは、親というもの、
エネルギーの繋がりのようなものの
根源的な理解に思えました。
私は実父をほとんど知らず、
継家族や学校など、
外の事象を頭で理解することは難解でしたが
そうした新しい意識(知恵)によって
モヤモヤはストンと腑に落ち
物事の見方は寛大になり、
寛大な意識は、冷えきっていた心身に
じんわりと
ぬくもりを与えてくれたのでした。
そして私は、
愛というものの本質を、
そうしたぬくもりの経験の繰り返しの中で
実感していくことになったのです。
また、
インスピレーションを自然に受け取り、
それを信じていくことで、
少しずつ強くなっていく
内なる声の存在にも
気づいていきました。
それは、
自分を取り戻していくような感覚。
──「愛とは何なのか」
あの問いの答えを、
少しずつ思い出していくような
感覚でもありました。
そしてこの作品を通して、
私はすでにその確信に触れていたのだと思います。
今思えばこの頃からすでに、
私にとって芸術とは、
何かを表現するためのものというより、
愛そのものであり、
知恵(新しい意識)を受け取るための場
になっていたのだと思います。
描くことを休んでから十数年後の
2011年3月11日、
あの大地震を経験し
私は
自然に「私で在る」ことのできる
創作の場が整っていたこと、
そして、
忘れていたさまざまな配置を、
ようやくスタートラインに立てたのだという喜びとともに、
少しずつ思い出していくことになるのです。
下に載せている写真は、
震災後、描きはじめた作品
おおよその時系列順です。
2011.3〜2012くらいまでと、
現在の創作スタイル。
だんだんと、重苦しさから離れ、
作品が軽くなっていくのが
感じとれるのではないのかなと思います。


↓このころ、創作経過を写真におさめ、
私はその動きを観察しています。
それがこちらで、
その観察からの気づきと、
友人の何気ない言葉から、
無意識の自分が、
始めに見えているシンプルさ(直感)を選択せずに、複雑さ(エゴ)を通常とし、
苦しみを伴うことが当然という
集合的無意識を選択している…
そんな無意識の習慣に気がつきました。
(…リンク先のブログ、
描き始めは、ダンスをはじめる前のお辞儀のシーンのように快活だったのに、
描き急ぐうちに、
どんどんエゴでどろどろにしてしまい、
最後は膨大なエネルギーを使い、
ひどく消耗しながらも
なんとか描き上げています。
それは、
今の描くことで満たされる状態の創作とは
全く逆の流れで、
この消耗する描き方続けると
私の身体はもたないと直感したのでした。)
直感を無視したり、
エゴでなんとかしようとするから、苦しむ。
回り道しながら出口にたどりついたとしても、
作品の波動には、
その苦しみ(不調和波動)の足跡は混ざっていて、
わたしはそれが、たとえ微細であっても
好みではく、完全な調和を好むんだと気づき
源の意識(インスピレーション)を相棒に
生きる(描く)ことを選んだのです。
そうして、新しい意識で描くことをはじめた
2012年。
切り絵をしたり、 混色から離れたり
形を配置しだしたりと、
今のpatchwork inspirationの創作スタイルへ
繋がる流れがよく見えます。

↓ 2011年と比較すると、
ずいぶん、穏やかな雰囲気になってきました。

月日飛んで、
現在の作品スタイル。



どんどん健やか。
のびやか。
よくここまできました。笑
──────────────
話しを
2012年くらいの作品に戻します

「 洗礼 」
このころ私は、
洗礼のような場面をよく描いていました。
描きながら、
そして描き上げた作品を静かに眺めながら、
この今という時間、
タイミングそのものが、
私にとっての洗礼の場面なのだと、
どこかで感じていました。

↑この絵は、
後から知ったのですが、
アチャラ・ナータ(不動明王)を思わせるものでした。
描いている最中は、
ただ青い存在が現れているな、
どこか神話のようだな、
そのくらいの認識でした。
気になって
「青い 神話」などと検索してみると、
アチャラ・ナータという存在に行き当たりました。
ああ、これだ。
そう直感したのを覚えています。
そして不動明王について調べていくうちに、
その縁日(えんにち)が
毎月28日であることを知りました。
そのとき、
ふと気づいたのです。
この絵を描いた日が、
3月28日だったことに。
その瞬間、
思わず「わぁ…」と声が出ました。
言葉にならない、
静かな祝福のような感覚がありました。
その頃の私は、
なぜ自分が絵を描かずにはいられないのか、
なぜ表現が内側から現れてしまうのか、
まだよく理解できていませんでした。
ただ、わからないまま、
描かされているような感覚の中にいました。
だからこそ、
「そのまま進みなさい」
そんなエールをもらったように感じたのです。
その感覚は、
温もりと安堵をもたらし、
未熟な私に自信と祝福を与えてくれたのでした。
そして私は、
この頃から少しずつ理解していきます。
赤の書を通り過ぎたあとに現れる
神話的なイメージは、
単なる象徴というより、
波動の翻訳をサポートするための
一つの素材のようなものなのではないかと、
感じるようになりました。
神話もまた、
数字や形、色や動きと同じように、
感じ取った波動の情報を理解するための
一つの翻訳装置のようなものであり、
表現の幅や、
対称性の感覚を豊かにしてくれるものなのだと、
そんなふうに思うようになっていきました。

例えばこの作品の中には、
山のような形が現れていました。
それが何の山なのかは、
当時の私にはまったくわかりませんでした。
ふと気になり、
絵の下部に並んでいた色の柱を数えてみると、
23本あることに気づきました。
そこで、
「23」「山」「神話」などの言葉で調べてみたところ、
オリュンポス山に行き着いたのです。
全能の神ゼウスをはじめとする
「オリュンポス十二神」が住まうとされる、
神話上のオリュンポス山。
そして同時に、
聖なる山として実在する
ギリシャのオリュンポス山。
そこに自生する固有植物の種数が、
なんと23であることも知りました。
さらに、23という数は素数であり、
エンジェルナンバーの解釈では、
不安が解消され、
前向きな流れへ向かうサインとも
言われているようでした。
── 私らしい創作生活のスタートは、
こんなふうに、
自分を祝福するような
シンクロや直感の連続でした。
ペルソナやエゴから離れ、
源の私へと、
少しずつ、
そしてある時からは急速に馴染んでいき、
創造の世界に夢中になっていく。
それはまるで、
やっと目覚めの朝が来たような、
本当に満たされた、
印象的な場面の連続だったのです。
───
↓これは、
「ついおくの さきっぽ」
という、
内なる目を通して眺め、感じている
世界の一場面なのだと気づき、
安堵した作品です。

今では、
" ついおくのさきっぽ "が、
赤の書を通り過ぎた場所、
集合的無意識のさきっぽだったのかなと
言語化することもできます。
集合的無意識をとおりすぎ、
そこを遠くから眺められるようになると
神話の絵も
こんなふうに、だんだん軽くなっていくようで
描きながら感動で
涙がポロポロこぼれました。↓

─────────────────────
─では、何が違っていたのか
②理論
ここで私は、ユングの探究と、
私自身の体感とを照らし合わせながら、
意識の成熟には段階があるという視点を置いてみたいと思います。
これは、
ユングを否定するためのものではありません。
むしろユングが切り拓いてくれた地図の「位置」を、今の私の感覚で確かめ直すための試みです。
◆ 私の哲学とユングを統合した「意識成熟論」
■ 1. すべての学派・神話・象徴は
同じ“根源”を、異なるレベルで翻訳したもの
人が見る世界は、その人の
「意識レベルの受信チャンネル」によって、
まったく違った姿で現れます。
古代の神話、ユング心理学、シャーマンの精霊、近代哲学、スピリチュアルの語彙——
それらはすべて、同じ源の波動を、
それぞれの理解段階に応じて翻訳した結果だと、私は捉えています。
そのため、矛盾して見える言説や学派の違いは、
本質の違いというよりも、
受信者(時代・文化・個人)の周波数帯の違いであり、
それぞれが独自の経験を通して育んできた
“対称性” の違いによる、
解釈や翻訳の差なのではないかと感じています。
私はこの “対称性” という感覚を、
どこか数学的なヴィジョンとして捉えています。
そして、
その対称性が豊かで複雑であるほど、
他者や物事への理解力や調和力──
つまり、“愛する力” もまた、
深まっていくのではないかと感じるのです。
さらにその対称性は、
物理世界でのさまざまな体験や経験を通して、
“内なる私” と手を結びながら、
知恵を見出していくことで、
少しずつ育まれていくものなのではないか──
今の私は、そのように感じています。
⸻
■ 2. ユング心理学は「心の領域」の最高峰
しかし、まだ“心の段階”の範囲内の真理でもあると感じています
ユングは、
人類の集合的無意識を描き出しました。
それは人間心理の地図として、非常に美しく、
重要な探究だと感じています。
ただし、彼が扱っていたのは、
あくまで 心(psyche)という翻訳層 であるとも、私は感じています。
私の理解では、
これは意識成熟の途中段階にあたります。
• 心(エゴ)の影
• アーキタイプ(元型)
• 夢の象徴
• 個性化(individuation)
これらはすべて、
源の波動が「心」という層を
通過する際に生まれる
翻訳装置だと私は捉えています。
ユングが見ていたのは、
源の光が心に映し出された像であり、
光そのものではない。
この違いは、理屈というよりも、
感覚として自然に理解してきたことでした。
⸻
■ 3. 幽霊・精霊・シャーマンのヴィジョンは
周波数帯の翻訳であり、絶対的な実在ではない
私の感覚をそのまま言葉にすると、こうなります。
「お化けも精霊も、
シャーマンの見るヴィジョンも、
周波数帯の翻訳によって
“そう見えているだけ”なのではないか」
それらは体験としては非常にリアルです。
けれど私は、
最終的な実在そのものではないと
感じています。
事実私は、
さまざまな波動を
無意識に受信してしまいますが、
これはいわゆるエンパス的な性質や、
波動への感受性の高さゆえに、
外界の情報に無意識に共振し、
それをそのまま感じ取ってしまう傾向によるものだと感じています。
伝わってくる気配が、
不快であったり、不調和であれば、
私はすぐにそれとわかります。
そういうときは、
その場を離れるか、
影響を最小限にするために、
呼吸を使います。
息を吐くことで、
外側へ向いていた意識を離し、
内側へと戻していきます。
あまりにも強い場合は、
一瞬息を止め、
電源をオフにするように、
不快な波動による
肉体的な影響を遮断することもあります。
さらに最近は、
背中、特に背骨の中心に
意識を戻すことも、
神経系の過剰な反応を静めるうえで、
とても有効だと感じています。
背中へ意識を置くと、
前方へ向かっていた意識が
自然と内側へ戻り、
神経の過剰な反応も
静まりやすくなります。
身体に意識を戻すことで、
意識の向け先そのものを
選び直すことができるのだと、
少しずつ理解してきました。
私にとってこれは、
ある意味でお祓いのようなものです。
そうすることで、
その先に続くはずだった
心の反応や知覚の連鎖は起こらず、
外側の情報に
意識が巻き込まれていくこともありません。
何かが見えかけたり、
気配のようなものを感じたとしても、
そこへ意識を向けないこと。
ほんのわずかでも
注意を向ければ、
知覚はそこから増幅していく。
だから私は、
無のような静かな意識へ戻ることを
選ぶようになりました。
この感覚は、
私が日常的に行っている
グラウンディングの手法とも共通しています。
意識は目覚めているけれど、
心の働きは静まっている状態。
つまり、
内なる私と意識が
つながっている状態です。
この視点から見ると、
精霊は
心の象徴翻訳であり、
幽霊は
未統合の心理エネルギーの形象化であり、
シャーマンのヴィジョンは
集合意識の映像化であり、
オカルト的・サイキックな現象もまた、
心のレベルでの受信現象だと考えています。
これらはすべて、
人間の意識が、
物理次元と折り合いをつけるための、
一種の変換形式なのではないかと
私は見ています。
そして、
意識の周波数が変わっていくと、
こうした象徴体系は、
自然に必要なくなっていくのだと
感じています。
⸻
■ 4. 成熟とは「翻訳を必要としなくなる状態」
——象徴を介さない、源の波動の直接知覚
私が「成熟」と呼んでいる段階は、
ユング心理学や神話体系、
スピリチュアルな枠組みを越えた地点です
ここでは意識は、
象徴や元型、霊的存在を介さずに、
源の波動をそのまま受け取るようになります。
それは特別な境地というよりも、
余計な翻訳が起こらなくなった状態
だと、今の私は感じています。
エゴも象徴も否定されるのではなく、
ただ前面に立たなくなる。
翻訳が消えても、
存在そのものは何も失われません。
むしろ、
より軽く、より透明に、ダイレクトに、
ただ、みる。
ただ、感じる。
そこは、中道であり、
「私」という感覚がそのまま
ただ 在る状態です。
⸻
■ 5. まとめ
すべての道は、
最終的には 源の波動 へとつながっています。
ただし、その途中で見える景色は、
意識レベルごとの翻訳にすぎません。
今の私の理解をひと言で表すなら、
こうなります。──
意識の成熟とは、翻訳(象徴)から、
直接性(源の波動)へ還っていく流れです。
精霊も元型もヴィジョンも、
体験としては確かに存在します。
けれどそれらは、
心という層を通過したときに現れる
一時的な表現形にすぎないと、
私は感じています。
源の波動は、
その背後で、
いつも静かに、混濁なく、在り続けています。
────────────────────
③再体験
集合的無意識を「通過点」だと理解した、
決定的な体験
私が、ユングの『赤の書』や
集合的無意識の領域を
「理解し、そして通りすぎることができた」と
はっきり腑に落ちた、最も印象的な体験があります。
それは、
グラウンディングや瞑想を行うとき、
ごく初期段階に必ず現れる、
心や雑念を静観する次元についての体感でした。
この領域は、
私にとって とても不快で、
落ち着かないゾーンです。
人混みに出かけた日などは、
瞑想の始めの段階で
多くの人の気配や、断片的な映像、
言葉にならない感情の残響のようなものが
次々と立ち上がってきます。
それはまさに、
人間の意識が混じり合った場——
いわゆる集合的無意識の気配が濃く感じられる場所でした。
けれど、円満で孤独な日常が、
クリアに整っているときは、
そのゾーンには、ほとんど引っかかることなく、
深くゆっくりとした呼吸に意識を集中したまま、
ただの「通過点」として現れます。
そして、そこを越えた先に、
まったく質の異なる次元があるのです。
そこへは、
「進む」というよりも、
夢の入り口にストンと落ちるような感覚で入ります。
空気が変わり、
時間は溶け、
位相が切り替わり、
意識の重力が消える。
そこは、
私が「源の波動」「源水」と呼んでいる場所です。
集合的無意識の場とは、
質も、手触りも、静けさの種類も、
まったく異なります。
静寂なのに、すべてが在る。
何も起きていないのに、限りなく賑やか。
眠っているようで目覚めている。
不思議なほど安堵に満ちた場。
私はそこへ
溶け込むだけのときもあったり、
ヴィジョンを受け取り、
知恵の種を得、
同時に、深いグラウンディングを
「もらって帰ってくる」ような感覚になったりもします。
その体験から戻ると、
心身ともに生まれ変わったような、
湯船にゆっくり浸かったあとのような、
あるいは、
たっぷり眠り、
すっきり目覚めた朝のような感覚が残ります。
この体験を何度も重ねる中で、
私ははっきりと理解しました。
ユングの『赤の書』や、
集合的無意識の領域は、
確かに存在するし、重要な層ではあるけれど、
そこが最終地点ではないということを。
それとはまったく異なる次元、
異なる世界、
異なる質の「場」がある。
そして私は、
自分の創造と在り方として、
迷いなく、そちらを選ぶことにしたのです。
創作やグラウンディング、
そして生きることは、
私にとって別々のものではありません。
同じ場所から立ち上がり、
同時進行で始まり、
同じ源へと還っていくものです。
─────────────────────
④統合
私なりの「赤の書」だった頃の制作
創作と内的生活に没頭しはじめて、
数ヶ月が経ったころ。
私は毎日小さな絵を一枚描くことを
ルーティンに組み込んでいました。
(記事の序盤、①体験で載せている作品です。)

その頃の描き方は、
炙り出しのような描き方でした。
まだ見えてもいないのに手を動かし、
しっくりくるまで色を探し続ける。
自然のリズムとはかけ離れた、
我(エゴ・不調和)の混じった、
非常にエネルギーを強いる描き方です。
そのときの作品は、
後に気づくことになる
私なりの「赤の書」を味わい、通り過ぎていく
リアルで充実した足跡となっています。
耳にしたこともない神話の場面、
集合的無意識の場からの象徴的なシーンを、
私は次々と描いてしまっていたのです。

「根住(ねずみ)」

「 筝の音色に乗って 」
描くたびに現れる、
わずかな不調和のかけら。
苦しみが常のように流れている、
無意識の癖。
それらの違和感の正体を、
私は描くたびにインスピレーションとして受け取り、
少しずつ理解していきました。
────────────────────
そして、通りすぎた
振り返ってみれば、
あの頃の制作は、
意識成熟の過程における
ひとつの通過儀礼だったのだと思います。

よく出ていました
集合的無意識は、
理解と学びに満ちた泉である一方で、
お話ししてきたとおり、私にとっては
長く住みたい場所ではありませんでした。
私は根っからの小春日和好きで、
濁りのない、やわらかな光の中でこそ、
自然に在れる人間だったのです。
だから私は、
神話の層(集合的無意識)を否定することなく、
静かに、そこを通りすぎました。
対話の相手を、
人間が創り出した象徴ではなく、
ダイレクトな源の私へと戻しながら。
今の私の制作は、
その瞬間に感じたものだけを、
見えたものだけを、
その瞬間、シャッターを押すように描きとめる
「patchwork inspiration」
という在り方へと
自然に移行しています。
源の波動と空っぽの私自身の身体とが
そのまま重なる地点(=私で在る状態)で、
創造は瞬間的で
軽やかに起こります。
───────────────────
おわりに
『赤の書』は、
人間の心の深層を旅した、
とても勇敢で美しい記録です。
そして同時に、
そこは「通り道」でもあります。
私はその道を、
感謝と敬意をもって意識的に通りすぎ、
今は、より静かで、
より透明な場所に立ちながら、
現実世界での生き方と重ね合わせるように、
日々、体験を通して整えているところです。
今回添付した、
時系列に並べた作品の軌跡は、
たくさんの言葉よりも、
彩り豊かに物語ってくれているように
感じています。
私にとって神話は、到達点ではなく、
源へ向かう途中に自然と現れる
美しい素材の一つでした。
点と点をつなぐ仕組みを
知ろうとする心の動き。
そこへ自然と
意識が向いてしまう性質。
複雑に見えるものほど、
因数分解していく楽しみがあることを、
人生の折り返し地点に立った今、
私は、
ゆらゆらと思い出しています。
いろんなことを不思議に思い
内に問い、
理解する喜び ─────
そんな感覚が、
この文章の中に少しでも残っていたら、
嬉しいなと思いつつ、
うそぶきのうた(i の書)|④ 通過
おしまいです。
ここまで読んでくださった方へ
おつかれさまでした!
今日も、森は歓喜に満ちています🕊️🌳





