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脳外科医、向いてないかも

こんにちは、にゅーろです。
私は若手脳外科医です。日々、大学病院で臨床に従事しつつ、大学院生として研究にも取り組んでいます。
正直言って、かなりキツいです。
研究は、それ一本でやってる学者も多いのに、臨床と並行してやらせるのは正直おかしいです
それに加えて、一児の父としても、家庭の運営にも関わっています。

振り返れば、20代の私は「努力して処理量を増やせば、だいたいの問題は突破できる」という成功体験を積み重ねてきました。
医学部に現役合格し、留年することなく卒業して、初期研修医もハイパー病院で過ごし、脳外科を専攻して20代を駆け抜けてきた私が、初めてぶつかった人生の壁について、少し考えたいと思います。

1. 自分についての誤認

脳外科医のイメージはいかがでしょうか
激務、緊急手術、高難易度の手術、、
そういったイメージがあると思います。
間違いではありません。
志す時点でわかっていましたし、結婚した妻も理解し、応援してくれていると思っていました。
しかし、結婚して子どもが産まれ、育休明けの妻が復職した辺りから、雲行きが怪しくなりました。

職場では患者が昼夜を問わず押し寄せ、大学院の指導教官は成果を出さないと論外、家に帰ると疲れ切った妻と泣き止まない赤子が待っている。

自分は、ある程度家庭を顧みず、知識や技術を磨き、患者に還元させることが使命であり、それに値する人間であると思っていました。
しかし、臨床の激務に追われながら、結果の出ないデータ解析が続き、そんな中で家庭でも心が満たされない思いを続けている時、

もしかして脳外科医に向いていないのでは?

という思いが生まれてきました。

家庭を捨て切れることもできない、臨床も疎かになりそう、研究の成果も出ない。
上司からは
「俺たちの頃は給料もでなかった」
「働き方改革っていいよな」
「何かに抜きん出るためには相応の対価が必要」
そんな小言を言われながら、目の前の仕事に取り組んでいました。

徐々に体力は削られ、妻からも
「帰ってきてかわいいだけの赤ちゃんを見るのはいいわよね」
「あなたが外でどれだけ尊い仕事をしてるか知らないけど、私の方が多くのタスクをこなしてる」
といわれ自信を失いました。

臨床も自立できてきた。
研究テーマも降ってくる。
学会発表をする。論文化せよという圧力。

一個ずつ見れば、全部やるべきこと。
だから全部引き受ける。

ところが、
全部を同時にやったとき、自分というシステムは持続可能ではありませんでした。

やればやるほど降ってくる仕事は
「若いうちは苦労すべき」と思って引き受けていました。
同期に症例も取られたくないし、論文も書きたい自分がいました。

でも、できない。

そんなときに陥ったのは
「自分には脳外科医として必要な資質がない」
という思考でした。

これは私の自尊心を大きく傷つけました。
今までの人生では、
「自分はかなり大きな負荷を掛けても、意思や責任感によって機能を維持できる」という自己モデルがありました。

2. 30代になって感じる最適解

20代は、「医師として成長すること」を最大化していればよかった。
勉強する、症例を経験する、当直する、論文を書く、学会に出る

しかし、
手術を取りに行けば、家族との時間が減る
家族との時間を守れば、経験できない症例が出る
研究をすれば、休息が減る
健康を守れば、仕事量を減らさざるを得ない

どれも全て正しい。

脳外科医として当たり前だと思っていて、誇りを持って取り組んでいることが、最適解ではないことを受け入れられませんでした。

局所の最適を積み重ねても、全体の最適にはならない。

私は身をもって痛感しました。

3. 仕事の価値が下がったのではない。人生の中で、仕事では代替できない価値が増えた

私はここで思い切って自分の負荷を下げることを選びました。
選ばざるを得ませんでした。

「執刀したいでしょ?」
→ごめんなさい、今週の執刀が立て込んでて、当直も入ってまして…
「学会発表してみる?」
→ちょっと手が回らないです…
「この日の当直変わってもらえない?」
→ここは保育園に迎えに行く日で…

ハイパー研修医だった私からは想像できない言葉たちばかりでした。むしろ、そうやって言って業務から“逃げている”人たちを軽蔑していました。

しかし、
そうやって少しずつ作っていった時間は、我が子と風呂に入る時間、保育園まで子どもと歩く道のり、食事を食べさせる時間に変わり、いつの間にか我が子が笑顔で無意味に私の膝に座ってくるようにもなりました。
妻は少しずつ勤務時間を伸ばすことができ、職場での精神的な負い目が軽減されたといいます。

「自分が脳外科医として前線に出る
→ 妻が家庭を担う
→ 自分が成功する
→ 家族全体の利益になる」

というモデルは、我が家では不適合だった

不思議だったのは、脳外科医としての仕事に価値を感じなくなったわけではなかったことです。

手術はしたい。勉強もしたい。研究で成果も出したい。
それでも、保育園まで迎えに行くことや、我が子と風呂に入る時間を、以前よりもっと大切に感じるようになりました。

仕事より家庭が大事になった、という単純な話ではありません。

大事なものが増えてしまった
たぶん、それが一番正確な表現です。

4. 「できるか」ではなく、「やる価値があるか。そのために何を諦めるか」

こうした問題を、自分の性格や適性の問題として捉えるのをやめました。
自分に使える時間や体力をどう配分するかという設計の問題だったという見方に変わりました

30代になって難しくなったのは、能力が落ちたからではなく、大切にしたいものが増えたのに、20代と同じ意思決定を続けていたからでした。

処理能力ゲームから、資源配分ゲームへ。


「もっと頑張れる人間になるにはどうすればいいか」から、「自分という人間を含むシステム全体をどう持続させるか」へ。

結局、脳外科医の素質があるのかどうか。
今は、問いの立て方自体が少し違っていたと思っています。

家庭を優先できないから脳外科医失格」でもなければ、「家庭を優先するために脳外科を諦める」でもない。

そもそも職業適性の問題として処理しようとしていたことが誤りだった。

むしろ、長く頑張り続けるために、頑張らないものを決める必要があったのだと思います。

少なくとも、「全部を同時に背負えなかった」という事実だけをもって、自分には脳外科医としての資質がない、と結論づけるのは違ったのだと思います。違ったと思いたい。
まだ、専門医試験を終えたばかりのひよっこですが、自分が納得する形で、人生を決定していきたいと思います。


最後まで読んでくださりありがとうございました。
最近は医学的知識より自分語りが増えています。

参考文献

もりた先生の記事は私に刺さる内容で、思い悩んだときには頻繁に記事を読んでいます。
先生も紹介されている、カーネギーの著書は、名作で古いながらも現代まで通じる自己啓発本として有名です。

難しくてとっつきにくいと思ったら、こちらもおススメです


以下、私が尊敬する上司に紹介された本です。

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