TOKYO UPDATES File3(歴史)日本とオランダの歴史的つながり
以前、オランダ大使公邸に行った話をnoteに書いた。明治の香り残る広くてきれいな洋館もさることながら、感激したのは、徳川家康直筆の朱印状であった。
その訪問のきっかけとなったオランダ大使紹介記事の翻訳版が、おとといの「TOKYO UPDATES」日本語版に掲載された。
オランダ語は読み方が難しい。
大使のお名前 Gilles Beschoor Plug も、英語読みすると「ギルス・ベスコー・プラグ」になると思うが、オランダ王国大使館のHPで確認したところ「ヒルス ベスホー・プルッフ」とお読みするのだと分かった。
英語で呼ばれたら気づかないのではないかと思うくらい違う。つい「プルック」と打ってしまい、何度も「プルッフ」と打ち直した。
それにしても、穏やかそうで優しそうなお顔立ちである。公邸オープンの日に行ったらニコニコと出迎えてくださるのではないか、と甘い期待に胸を膨らませて行ったが、お会いすることはできなかった(よく考えたら平日だったので本館で公務中だっただろう)。
この記事の英語版を読んで初めて、1600年のオランダ商船リーフデ号の九州漂着の一連の出来事と、オランダ人生存者ヤン・ヨーステンの和名「ヤヨウス」から「八重洲」の名前ができたと知る。
そして、出島の様子や商館長が「カピタン」と呼ばれていたとか、将軍への謁見には長崎から江戸まで片道40~60日もかかったとか、幕末には西洋人への襲撃があったことなど、長い日本とオランダの歴史を紐解き、当時の様子に思いを馳せた。
鎖国の間、入ってきた西洋の言葉はオランダ語だけであったから、日本語として定着したオランダ語はけっこう多い。ガス、ガラス、カバン、コルク、ランドセル、レトルト、ワッフル、意外なところでは「おてんば」(Ontembaar) などなど。また、残らなかったが、大河ドラマで平賀源内が復元した「エレキテル」も元はオランダ産だ(ピップ・エレキバンの原点?)
日本とオランダは400年以上にわたる長い歴史的つながりがあり、今なお皇室外交も続いているし、何かと縁の深い国であると改めて認識が深まった。
短い記事ではあるが、なにぶん長い江戸の歴史を調べるのに、かなり時間がかかった。少しでも日本史をかじっておいてよかったと心から思った。
今回の資料として、とても助かったのがこちらの「From Dejima to Tokyo」というサイトだった。こんなに詳しい日蘭の歴史を書いて下さって、本当にありがたかった。
*「TOKYO UPDATES」の英語版、なぜか翻訳版より遅れること2週間。ようやくアップされました。比べつつ読んでみてください。
映像字幕・実務翻訳者: 浦田貴美枝
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