日本武尊の東征後、関東地方はどうなった?
大和朝廷の全国統一 第二十二話 日本武尊東征後の関東地方
日本武尊の東征は、各地に様々な伝承を残しています。この記事では、日本武尊の足跡を辿りながら、神社や峠などの地勢、伝承を元にその歴史的背景を探ります。今回は武蔵一宮氷川神社、三峯神社、酒折宮、そして碓日峠と神坂峠を紹介します。さらに、日本武尊の東征後に関東の国々がどうなったのかを、『先代旧事本紀』「国造本紀」を元にした図で解説します。
東京は武蔵国だった
慶応4年8月4日、天皇の東幸が布告され、翌月9月8日に「明治」に改元、20日に実行されました。東幸された天皇は江戸城に入城され、「東京城」と改称し皇居とされました。明治元年10月13日、天皇自ら政治を執り行うことを宣言した「万機親裁の詔」を発し、「祭政一致」の方針に基づいて、氷川神社を武蔵国鎮守の勅祭社*と位置づけられました。
氷川神社の御祭神が須佐之男命であることから、明治天皇と須佐之男命を関連づけるネットの記事を見かけましたが、現在の東京都の大半は旧武蔵国であり、武蔵国の一宮を鎮守社としたのは自然な流れです。御祭神と天皇家を関連づけるのは、私は的外れだと思います。
*勅祭社 祭祀の際に天皇から遣わされる勅使が参向し、奉幣を行う神社。明治元年に公布された当初の勅祭社は13社。石清水八幡宮、上賀茂神社、下鴨神社、大原野神社、吉田神社、八坂神社、松尾大社、北野天満宮、平野神社、稲荷神社(伏見稲荷)、梅宮大社、氷川神社、春日大社 ※伊勢の神宮は別格で数には含まれません
関東では氷川神社だけで、他は大半は京都の神社ですね。これは1100年間京都が都だったことを考えれば当然でしょう。関東では後に鹿島、香取、靖国、明治神宮などが加えられました。
武蔵国一宮氷川神社
所在地 : 埼玉県さいたま市大宮区高鼻町1-407
御祭神 : 須佐之男命、奇稲田姫命、大己貴命
式内社(名神大) 氷川神社の総本社
日本武尊が東夷鎮定の祈願をしたと伝えられています。そのため、武人からの崇敬を集め、足利氏や徳川家などの信仰も厚かったといいます。




秩父のパワースポット
三峯神社
所在地 : 埼玉県秩父市三峰298-1
御祭神 : 伊弉諾尊、伊奘冉尊
関東屈指のパワースポットとして有名ですね。日本武尊に始まり、修験道の開祖である役小角(役行者)、弘法大師(空海)が絡み、天台修験の関東総本山でもあったことから、強力な霊場として知られています。明治の神仏分離に際して高雲寺から「三峯神社」に改称されました。












甲斐国の伝承地 酒折宮
『古事記』と『日本書紀』では日本武尊の東征ルートが異なりますが、東征の帰路、酒折宮に至ったという記述は共通しています。
酒折宮
所在地 : 山梨県甲府市酒折3-1-13
御祭神 : 日本武尊




グーグルマップで調べてみたところ、筑波山から酒折宮まで、青梅街道や国道411号などを歩いて約189km。時速4kmで計算すると47.25時間、1日10時間歩いて約5日間かかる計算になります。道の整備されていない古代においては、その倍の時間がかかっても不思議ではないですね。
碓日坂の有名な話し
甲斐より北方の武蔵・上野をお廻りになって、西方の碓日坂に至られた。そのとき、日本武尊は、しきりに弟橘媛を偲ぶお気持ちをもたれ、碓氷嶺に登られ、東南の方を望まれて、三たび嘆かれて、「吾妻よ」(我が妻よ)と言われた。そこで、山の東の諸国を名づけて、吾嬬国というのである。
今回紹介するのは群馬県安中市と長野県軽井沢町の境にある碓氷峠ですが、群馬県嬬恋村西の「鳥居坂」を日本武尊伝承の碓日坂だとする説もあります。何しろ村の名前が「嬬恋村」ですからね。ただし、嬬恋村の名称となったのは明治22年のことです。
碓氷峠見晴台


熊野皇大神社と熊野神社








東山道の難所 神坂峠
東山道は、1601年に中山道が整備される以前にあった、近江から陸奥まで続く古代の官道で、五畿七道の一つです。東山道の難所である神坂峠にさしかかると、日本武尊を苦しめようとした山の神が白鹿となって現れました。白鹿は尊が弾いた蒜(にんにく)が目に当たり死んでしまいますが、その後急に道に迷います。そこへ白い犬がやってきて日本武尊を導き、美濃へ出られたという逸話が『日本書紀』に記されています。この話が碓氷峠では八咫烏の話となり、三峯神社では狼が道案内をしたという伝説につながっているのだろうと思います。

神坂神社
所在地 : 長野県下伊那郡阿智村智里字杉ノ木平3577
御祭神 : 住吉三神 相殿に日本武尊、誉田別命、建御名方命







日本武尊の東征、その後
シリーズで紹介した伝承地のマップ
日本武尊東征記事の中で紹介した場所をマップにしてみました。関東には日本武尊の伝承地がたくさんあります。私が訪れたのは伝承地の一部です。


『先代旧事本紀』の記述から見えるもの
Start Pointさんの令制国の地図で『先代旧事本紀』「国造本紀」に記される成務天皇以前の国造を色分けしてみました。ほとんどは成務天皇時代に任命されたものですから、日本武尊の東征の後、関東地方がどのような勢力となったのかがわかるかなと思いました。
律令制以前のクニは令制国より細分化されていますので、場所によっては様々な勢力が入り乱れている所があり、それらは「混在地域」としています。常陸国と下総国周辺は、天穂日命(出雲臣)系、天津彦根命系、多氏系、物部氏系、そして陸奥の蝦夷も絡んでいたでしょうから、複雑な状況であったと思います。美濃は西が彦坐王、飛騨地方が尾張氏、東南は物部氏となっています。
ざっくり地図化してみた感想ですが、これで何かわかったかと言うと、正直いろんな解釈が出来て、これという結論には至りませんでした。その中でも興味を持ったのは、天津彦根命の後裔氏族ですね。凡河内氏は継体天皇や大海人皇子(天武天皇)とも深く関連する氏族ですし、茨城国造らがそうです。私も引き続き調べていきますが、もしこの地図を見て何かお考えのある方がいらっしゃれば、コメント欄で教えてください。
面白いことに、日本は四方を海に囲まれた国ですが、天皇から臣籍降下した皇別氏族が国造となった地方は、こうして見ると海のないところばかりなんですよね。山幸彦の子孫だからでしょうか …?
各地の沿岸部に海の民が暮らしていたことが関連するのかもしれません。

縄文時代から、人々は(主に船で)遠距離を移動しています。

縄文時代にすでに東北地方から朱を求めて伊勢までやってきていているんですよ、 すごくないですか!

最後までお読みいただき、ありがとうございました。次回は日本武尊最後の妃、尾張氏の宮簀媛の話と、岐阜に伝わるもう一つの蝦夷征討伝説を紹介します。
おまけ
山梨の蔵元、養老酒造さんが古民家で営むカフェ、酒蔵櫂でランチ♪ 運良く座れたけど、オープンしてすぐ満席になりました😯

【参考文献】
『日本書紀Ⅰ 』井上光貞監訳 中公クラシックス
『全現代語訳 日本書紀 上』 宇治谷孟 講談社学術文庫
『新版古事記 』中村啓信 角川ソフィア文庫
『先代旧事本紀 現代語訳』 安本美典・志村裕子 批評社
『特選神名牒』上巻・下巻 八幡書店
Google Gemini Pro
ナレッジジャパン検索『日本歴史地名大系』 『日本大百科全書』『世界大百科事典』ほか。
