小春ちゃんは、本を薦めるのが少し苦手 #5
小さな書店併設カフェ「かーでぃ書店」には、今日も何かを探す人がやってきます。本を通して、誰かの気持ちが少しだけ動く。これは、そんなやさしい物語です。
登場人物
小春:高校生アルバイト。やさしくて少し天然。
木村誠:店長。寡黙で誠実。本とコーヒーが好き。
前の話
第五話 少しだけ、回りはじめる
午後の光が、窓ぎわの棚の背表紙をやわらかく照らしていた。
かーでぃ書店は、昼下がりの静けさの中にあった。店の前を路面電車が通るたび、ガラス窓がかすかに震えて、そのたびに小春は顔を上げる。けれど今日は、誰かが入ってくる気配もなく、時間だけが静かに流れていた。
棚の整理をしながら、小春は指先で本の背をそっとなぞっていく。
考えごとをするときの、いつもの癖だった。
そのとき、一冊の本のところで手が止まった。
『異世界IoT 召喚術による業務効率化のイマとコレカラ』

小春は、まばたきをひとつした。
異世界。
召喚術。
それなのに、業務効率化。
なんだか、ずいぶんちぐはぐな組み合わせに思えて、思わずもう一度タイトルを目で追ってしまう。
「……ちょっと、気になります」
小さくつぶやいて、本を棚から抜き取る。
難しそうな技術書、というよりは、少し変わった入口を用意した本、という印象だった。堅い言葉だけでは届かない人にも、手を伸ばしてもらおうとしているような、そんな感じがした。
表紙を見つめていたところで、入口のベルが鳴った。
「いらっしゃいませ」

顔を上げると、作業着の上に薄手の上着を羽織った男性が入ってきた。五十歳前後だろうか。姿勢はまっすぐなのに、肩のあたりに少しだけ疲れが滲んで見える。
店の中を見回したあと、その人はまっすぐ実用書の棚の前まで来て、けれどすぐには手を伸ばさず、ただ背表紙を眺めていた。
小春は、本を胸の前で抱えたまま、少しだけ迷った。
いつものように、相手の探しているものがはっきりしていれば声もかけやすい。けれど、その人は「何かを探している」というより、「何を探せばいいかわからない」ように見えた。
少しして、男性のほうから口を開いた。
「こういう本屋さんって……効率化とか、自動化の本も置いてあるんですね」
「はい。たくさんではないですけど、少しだけ」
「そうですか」
それだけ言って、また棚に目を戻す。
小春は、そっと一歩だけ近づいた。
「お仕事で、何か探していらっしゃるんですか」
男性は、少し困ったように笑った。
「探してる、というか……困ってる、のほうが近いかもしれません」
ぽつりと落ちた言葉は、ひどく正直だった。
聞けば、その人は小さな工場の工場長だった。
昔からいる社員が多く、気づけば工場の中では自分がいちばん若いくらいになっていたという。採用もうまくいかない。長く働いてくれた人たちも、少しずつ定年で辞めていく。仕事は減らないのに、人だけが減っていく。
みんな頑張ってくれている。だからこそ、これ以上無理をさせたくない。けれど、何をどう変えればいいのかわからない。
「今のやり方のままじゃ、そのうち回らなくなる気がしてるんです」
男性は棚を見たまま、ぽつりと言った。
「人は増えないし、むしろ少しずつ減っていく。でも、仕事はなくならないでしょう。みんな頑張ってくれてるんですけど、それだけで何とかするのにも限界がある気がして……」
そこで一度、言葉を切る。
「少しでも楽にできることがあるなら考えたいんです。でも、何をどう変えればいいのか、どこから手をつければいいのかが、さっぱりわからなくて」

DX、という言葉が浮ついて聞こえてしまう現場もある。
小春には、その人がそういう場所で毎日踏ん張っているのだと、なんとなくわかった。
そのとき、小春の手の中の本がふと重みを持った。
「あの……」
男性が顔を向ける。
「これ、さっき私も少し気になっていた本なんです」
差し出した表紙を見て、男性はわずかに目を細めた。
「異世界……IoT……」
「はい。ちょっと変わったタイトルですよね」
小春も少しだけ笑う。

「でも、難しい技術をたくさん覚えるための本というより、今ある仕事を、どうやったら少し楽にできるか、っていう考え方の入口なのかなって……そんな気がして」
男性は本を受け取って、表紙を見下ろした。
「全部を人が頑張らなくてもいい、っていう考え方に出会える本なのかな、と」
そこまで言ってから、小春は少しだけ視線を落とした。
店員として、もっと上手な言い方があるのかもしれない。けれど今は、きれいに説明するより、この本を見つけたときの自分の感覚を、そのまま渡したかった。
男性は、しばらく黙っていた。
その沈黙は、迷っているようでもあり、何かをようやく言葉にしようとしているようでもあった。
やがて、ぽつりとつぶやく。
「……なくすんじゃなくて、変える、か」
その声は、自分に言い聞かせるようでもあった。
「はい」
小春はうなずいた。
「人がやらなくていいことを少し減らせたら、そのぶん、ちゃんと見なきゃいけないところを見られるのかもしれません」
男性は本を開き、数ページだけ目を通した。
さっきまで棚の前で行き場をなくしていた視線が、少しずつ落ち着いていくのがわかった。
「こういう本、読むのは久しぶりです」
「そうなんですね」
「若いころは、新しいことを覚えるのも嫌いじゃなかったんですけどね。いつの間にか、“今のやり方で回す”ことばっかり考えるようになってました」
そこで、少しだけ照れたように笑う。
「でも、このままじゃ、回らなくなる前に手を打たないといけないんでしょうね」
店の奥では、木村がコーヒーを淹れる音を立てていた。
静かな湯の音が、二人のあいだにやわらかく落ちる。

男性は本を閉じると、表紙をもう一度見た。
「少し読んでみます」
「はい」
「変なタイトルだけど、今の自分には、こういう入口のほうがいいのかもしれません」
その言葉に、小春も少しだけうれしくなった。
難しいことを、難しいまま渡すのではなく。
誰かが立ち止まれる形で差し出せたのなら、それはきっと、本屋の仕事なのだと思った。
レジへ向かう後ろ姿は、入ってきたときより、ほんの少しだけ軽く見えた。
会計を終えたあと、男性は店を出る前に振り返った。
「ありがとうございました」
「こちらこそ、ありがとうございました」
ベルが鳴って、扉が閉まる。
そのあと、小春は棚の空いた場所をしばらく見つめていた。
変わったタイトルの本だった。
でも、その少し変な入口が、誰かの明日につながることもあるのかもしれない。
小春は指先で、隣の本の背表紙をそっとなぞった。
本は、答えを押しつけるものではない。
けれど、ときどき。
まだ名前のついていない悩みに、はじめて輪郭を与えてくれることがある。
窓の外を、また路面電車が通り過ぎていった。
それからしばらくして、あの工場長がまた店を訪れた。
「あの本に書いてあったスマートマット、試しに導入してみたんです」
そう言って、男性は少しだけ笑った。
「毎日在庫を見て、減ってきたら発注して……っていう作業があったんですけど、一定量を下回ると通知が来るようになって。ひとつだけでも、ずいぶん違いました」

そして、前より少し軽い表情で続けた。
「大げさじゃなく、ちょっとずつ、いい方向に回り始めた気がします」
その言葉に、小春も小さくうなずいた。
少し変わったタイトルの本は、どうやら誰かの明日につながっていたらしい。
次の話
準備中
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