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なぜベテランは昔の武勇伝を語りたがるのか〜大仁田厚の料理本から考える「オレ語り」の正体

20年ほど前、ある雑誌の「とほほ本特集」という企画で紹介されていたのが、

元プロレスラー、大仁田厚氏の著書『大仁田厚の炎の自炊塾 ― オレの料理を食ってみろ!』でした。

当時、興味を持った私は、ヤフオクで1000円ほどで購入して読んでみたのですが

読後の感想は

「なにこれwww」

料理本として見ると、かなり変。

料理のレシピ本のはずなのに、なぜか大仁田氏の現役時代のエピソードを読まされるんですよね

大仁田氏の料理本を読んでるうちに、私はある存在を思い出してました。

会社や場末の居酒屋に必ず一人はいる「オレ語りマン」を。。

彼らは単に昔話が好きなだけじゃなくて、

自分が生きてきた時間や、自分の価値を伝えたくてたまらないのかもしれない・・

最近ふとそんなことを思い出して、また大仁田氏の料理本を読みたくなったんですが、本はだいぶ前に絶版

中古価格はなんと最安値でも6000円を超えています…('A`)

そこで、この本を読むためだけに「国立国会図書館デジタルコレクション」に登録して、

久しぶりに画面越しにこの本と対面したときは、いたく感動したもんです。

これを純粋な料理本だと期待してると、お茶だと思って飲んだら「めんつゆ」だった程度には裏切られるかなと思います

さっきもちらっと言いましたが

料理本のはずなのに、

ジャイアント馬場の付き人時代の話が始まり、

デビュー戦の話になり、

FMW設立秘話になり、

有刺鉄線電流爆破デスマッチ誕生のいきさつの話になる。

金網でリングを囲うより有刺鉄線の方が安いという知識は、この本でしか得られなかったものなので、とても感謝しています。

脱線しましたが、じつはこの本には

会社にもいる、場末の居酒屋にもいる、口を開くと昔話や武勇伝が始まる「あの人たちの謎の答え」が詰まっているんですよね。。



料理本なのに自分の話ばかりする


しつこく言いますが、
「炎の自炊塾」は料理本なんだから、当然料理の話だけだと思いますよね。

ところが、この本はちがいます。

▶それは料理の名前なのか

たとえば「ファイヤーカレー」のページを開くと、

  • 実家の料亭の話

  • 父親の話

  • 両親の離婚

  • 上京の話

語られるのはこんなエピソードですが、肝心のカレーの作り方は一向に出てきません。

「FMW設立記念リゾット」に至っては4ページ中、大半がFMW設立の思い出話で、土木作業員をされていた頃など、旗揚げ時代の血ににじむような苦労話には頭の下がる思いですが、

肝心のリゾットの作り方がたったの3行しかないので椅子からずり落ちそうになります。

調味料にしても

バター たっぷり

って、え〜〜〜・・・('A`)

たっぷりってどんぐらいなん⁈(泣)

分量がアバウトすぎて、読者にリゾットを作らせる気があるのか甚だ疑問が残ります。


▶絶望と名付けられてしまったレシピ

普通の料理本なら
「本格トムヤムクン」や「簡単トムヤムクン」となるところですが、

大仁田厚の手にかかると、トムヤムクンも普通とは違います。

「絶望のトムヤンクン」

そして「とり鍋デスマッチ」に至っては

もはや料理の名前ですらありません。

それはメインディッシュではなく、本日のメインイベントです

「今日の晩ごはん何?」って聞いて

今日はとり鍋デスマッチだよ」って言われたら、

そこそこ困惑すると思います

さらに、本の中では「料理は道具作りから始まる」という尖った主張も飛び出します。

大昔の石包丁を思い出します。

そこで紹介されるのが「一斗缶燻製」なのですが、

一斗缶を常備している一般家庭が、今の日本に一体どれほどあるというのでしょう。

燻製を作る前に「まず一斗缶の調達」からスタートする料理本に出会ったのは、あとにも先にもこの本だけです。


▶レシピじゃなくて大仁田氏の現役生活エピソードを読まされている

ジャイアント馬場さんの付き人時代、

デビュー戦、

彼女との思い出、

FMW、

ノーロープ有刺鉄線電流爆破デスマッチのエピソード…

料理本っていうより、半強制的に大仁田厚の半生を読まされる

これは、料理本の皮をかぶった大仁田厚氏の自伝本なんです。

レシピなどほぼ脇役といっていいでしょう。

冷静に考えると、料理本としてはまあまあ破綻してると言えなくもないんだが、読んでると「次は一体なんのエピソードかなあ」とちょっぴり期待する自分がいたりしました。

そして、この大仁田氏の料理本のように「いつの間にかオレ語りを聞かされている」これとまったく同じシーンを、会社や場末の居酒屋でも見たことがあるのです。


会社にもいる「オレ語りマン」


「いつの間にかオレ語りを聞かされている」

上司から仕事の指示を受けたりするとき、手順の説明をしていたはずなのに、いつの間にか聞いてもいない昔話が始まっていることってありませんか。


上司:
「俺がこの案件で大失敗したときは……」

部下:「そうなんですか……大変だったんですね(また始まった)」

上司:「その時の取引先の部長がまた頑固な奴でさぁ」

部下:「へえ~……(いつ終わるのこの話)」

上司:「あの時は本当に死ぬ気でリカバーしたよ」

部下:「そうなんですね~……(死んだ魚の目)」


本人は話に熱がこもり、本題からどんどん脱線していきます。

そして、話はいつの間にか自分の武勇伝になる

話がどんどん長くなる

「自分と同じ失敗をしてほしくない、お前はこうならないように気をつけろよ」という、上司なりの熱い気遣いなのかもしれません。

でも、仕事の指示の話がいつの間にか武勇伝にすり替わっているのは、控えめに言ってもまあまあの「時間ドロボー」です


ベテランの説明にはなぜ昔話が混ざるのか


▶本人は脱線しているつもりはない

新人が聞きたいのは、具体的なやり方、手順、注意すべきことといった「実用的なノウハウ」だけです。

でも、ベテランの説明はいつの間にか昔話へとスライドしていく。

若い頃の私は、単純に「この人、話が長いな」と思っていました。

でも今になって考えてみると、本人は最初から昔話をしようと意気込んでいたわけでもないのです。


▶手順には必ず背景がある

会社のルール、仕事のやり方、現在の判断基準。

それはある日突然、天から降ってきたわけじゃありません。

  • 過去に失敗した案件

  • 上司に激怒された経験

  • 会社を揺るがした大きなトラブル

  • 栄光の成功体験

そんな無数の出来事が積み重なった「結果」として、今のやり方が存在しています。

だからこそ、説明の途中でどうしても昔話が頭をよぎるのです(たぶん)。

「この申請書は、ここに押印して提出するんだ」

と言おうとした瞬間、

ベテランの脳内には

「昔、この申請の順番を間違えて大問題になってな……」

という記憶が先に浮かんでしまう。

大仁田厚の料理本も同じです。

「このリゾットはこうやって作る」と言おうとしても、

彼の中ではFMW設立時の血湧き肉躍る思い出がセットになっているから、

「FMWを立ち上げた頃は……」から始めざるを得ない。

だから、説明の中に昔話が混ざる。

本人にとっては脱線ではなく、むしろ「因果関係を順番通りに説明している」だけなのです(たぶん)。

ただ、その前提が聞き手に伝わっていないと、聞くほうはただただ仕事の時間を奪われ、残業する羽目になる未来しか見えません。

腹立つしイライラするし、心の中の治安が一気に悪化していきます ('A`)


オレ語りはただの自慢話なのか


もちろん、単なる自慢話もあると思います。

承認欲求を満たしたいだけのときもあるだろうし、過去の成功体験にいつまでも執着しているケースもあるでしょう。

でも、全部を「マウント」という一言で片付けてしまうのは、少し乱暴かもしれません。

本人は本気で「大切なコア(本質)を伝えている」つもりだったりするのです。

ここでの問題は、「聞き手が欲しいもの」と「話し手が渡したいもの」の決定的なミスマッチにあります。

  • 新人: 今すぐ使える「指示」「手順」「説明」が欲しい。

  • ベテラン: その根底にある「経験」「文脈」を渡したい。

この熱量のズレが、果てしないすれ違いを生んでいくのです('A`)


その昔話は誰のためのものなのか


ベテランの昔話は、果たして本人が気持ちよくなるためだけのオナニーなのでしょうか。

確かに、そういう側面は否めません。

でも、すべてがそうとも限らない。

たとえば、「昔この案件で大失敗してな」という話には、実はマニュアルには書けない「地雷を踏まないための注意点」が含まれています。

「昔の部長がな……」という話には、その組織が長年培ってきた「隠れた価値観」が含まれている。

聞いている方は退屈極まりなくても、本人なりの正義で「何かを継承しよう」としているのです。

……とはいえ、できるだけ「巻き」で話してもらいたいというのが本音です。

上司が熱く語れば語るほど、タスクは後ろにズレ込んでいくし、残業なんて、1分1秒たりともしたくないんですから…。


オレの料理を食ってみろ、そしてオレの話も聞け


大仁田厚の本に話を戻すと、

彼は一冊の本の中で「オレの話」を強制的に読ませながら、

料理のレシピも(ついでに)伝えるという、常人には真似できない見事な二刀流に「そこまでしてオレを語りたいのか」と涙がちょちょ切れるレベルで平伏せざるを得ません。ちょっと自分でもなに言ってるかわかりません。

このオレ語りスタイル、大半を昔の武勇伝に費やしながら仕事の手順を教えてくる、あの会社の上司のスタイルと酷似してますよね?ね?

料理と自伝という、本来なら交わるはずのない別ジャンルを1冊のフォーマットに強引に盛り込んでしまうのは、ある種前人未到の才能ですよね!!

ファイヤーカレーには、父親の記憶が溶け込んでいる。

絶望のトムヤンクンには、彼女との思い出がある。

FMW設立記念リゾットには、泥水をすすった旗揚げ時代がある。

とり鍋デスマッチには、どん底の時代がある。

料理のステップだけをドライに抜き出してしまったら、彼が本当に伝えたかった「パッション」が消えてしまう。

だから、彼は語るんです。

でも、読者からするとやっぱり困るわけです。

カレーを作りたいだけなのに、なぜジャイアント馬場の話を読まされるのか

リゾットを作りたいだけなのに、なぜFMW設立秘話を読まなければならないのか

しかし大仁田氏の中では、それらは決して切り離せない地続きの記憶なのです。

会社のベテランもきっと同じなのでしょう。

彼らは単に「手順」を教えたいんじゃない。

  • 自分が何を見てきたのか

  • なぜそんな考え方に至ったのか

  • 何を大切にして生きてきたのか

こんなことを伝えたいんです。

でもまあ、聞く側からすると「まあまあだるい」し、話は長いし、結論から言ってほしいし、いつ終わるかわからない物語にだんだん死んだ魚の目になっていくんです。

大仁田厚の料理本は、料理本としてはかなり異色の存在です。

デスマッチ」や「有刺鉄線」なんて言葉が躍るレシピ本は、あとにも先にも見たことがありません。

その意味では、かなりレアな本だと思います。

そして「人間はなぜオレ語りをしてしまうのか」を紐解くための生きた教材としては、ものすごく優秀な一冊なのかもしれないです。


余談ですが


熱く語った『炎の自炊塾』の本ですが、実は私の手元にはもうありません。

だいぶ前にいた会社で、自炊を始めたいと言っていた同僚に、半ば押し付けるように譲ってしまったのです。。


同僚:「僕、これから自炊がんばろうかなって思ってて……」

私:「ほなこれあげるわ!自炊したいんならこれちょうどええで!!」

同僚:「えぇ……(困惑)」

私:「ほら遠慮すんなて!!」

同僚:「ええ〜……(圧に負けて渋々受け取る)」


以上、小芝居でしたが

今となっては、あの時の勢いとノリをめちゃくちゃ後悔しています。

今読み返しても、相当面白い本なのに。。

もしタイムマシンがあるなら、あの頃に戻って全力で回収したいです('A`)




「大仁田厚の炎の自炊塾 ― オレの料理を食ってみろ!」を読む方法


アフィカスなのでいちおうAmazonリンク貼っておきますが、めっちゃ高いです('A`)。買わないほうがいいです。


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