日本近代、最大の政治家は昭和天皇 「天誅寛容論」の否定、「天皇機関説」への理解、「終戦の決断と覚悟」
私は、中庸好きの普通の日本国民です。良いことも悪いことも含めた日本史には肯定的であり、天皇制も支持していますが、皇国史観は嫌いな高齢者です。
高齢者となった今日、古代史の勉強が面白くてたまりません。反対に、近代日本史は、現代とも直結しており、勉強していると心が重くなります。ファンである時代小説作家の司馬遼太郎さんの立ち位置に、自らを置いて近代日本史を眺めるのが一番の安心ですが、まだ現実に生きていますので、そうも割り切れません。特に、昨年来の、米国、中国、日本の政治の急旋回を見るとちょっとドキドキしてきます。
私は日本近代史(幕末から現代)におけるポイントは「合理的制度設計」と「天誅寛容論」の衝突です。幕末の、大村益次郎や大久保利通という偉大なる制度設計者はいずれも、暗殺され明治政府はややバランスを欠いた「皇国史観」や「統帥権問題」を抱えた国家になってしまいました。
恐るべき、「天誅寛容論」は藩閥から軍閥に引き継がれ、昭和初期の5.15事件、相澤事件、2.26事件という暗殺/テロ事件を引き起こしていす。その中で、陸軍皇道派等の犯人/反乱軍の擁護を毅然として否定したのは、若き昭和天皇、陛下ご自身です。
昨年10月に発刊された「永田鉄山の総力戦」(川田稔著/文春新書)は、なかなか面白かったです。帯の副題「国を守るための戦争か、戦争のための国家か?」も素晴らしい問いかけだと思いました。昨年読んだ新書で一番かなと思いました。特に、永田鉄山の国家総動員論と美濃部達吉の天皇機関説の対比は、まさに叡智と上智のぶつかり合いで読みごたえがありました。
同書のおわりに、著者の以下の記載があり昭和天皇の深いご見識とご叡慮に感服しました。
『当時、昭和天皇は、機関説について次のような発言を残している「機関説で良いではないか。元首という言葉も機関説を前提にしている」(西園寺公と政局)、「美濃部を不忠の臣であるかのようにいうのはおかしい」(本庄繁日記)。昭和天皇自身は天皇機関説に肯定的だったのである。ちなみに、丸山真男は、天皇のこのような発言について、「もしこのとき天皇の側近へのこうした発言が公の形でなされていたならば、その後の時代の動向は実際とはかなり、異なった方向を辿ったにちがいない、と私は思う。天皇機関説問題に触発された国体明徴運動はそれほど大きな時代の画期であった」(丸山真男集)と述べている』
1945年8月10日の御前会議での終戦の御聖断も見事だと思います。以下は、読売新聞の記事です。『鈴木貫太郎首相は自らの意見を述べず、聖断を仰いだ。「それなら自分の意見を言おう。自分の意見は外務大臣の意見に同意である」―天皇は決断を示した。天皇の言う外相の意見とは、「天皇の国家統治の大権に変更を加うる要求を包含し居(お)らざるとの了解の下に、日本政府は之(これ)(ポツダム宣言)を受諾す」という案だった。「本土決戦と言うけれど、一番大事な九十九里浜の防備もできておらず、又決戦師団の武装すら不十分にて、之が充実は九月中旬以後となると言う。飛行機の増産も思う様には行っておらない。いつも計画と実行とは伴わない。之でどうして戦争に勝つことができるか。……今日は忍び難きを忍ばねばならぬ時と思う。明治天皇の三国干渉の際の御心持を偲(しの)び奉り、自分は涙をのんで原案に賛成する」』昭和天皇の「聖断」と終戦の詔勅 戦争終結までの軌跡 : 読売新聞
また、1945年9月27日のマッカーサー元帥との第1回会談で、『マッカーサー回想記』によれば、昭和天皇は次のように発言したとされています。「私は、国民が戦争遂行にあたって行った全ての決定と行動に対する全責任を負う者として、私自身をあなたの代表する諸国の裁決に委ねるためお訪ねした。」さらに、皇室財産を担保に国民の衣食住の保証を願い出た。 そして同回想記によれば、天皇を「戦争犯罪人」として起訴せよという米国内及び国際世論の中、このような発言をした天皇に対し、マッカーサーは「私は大きい感動にゆさぶられた。死をともなうほどの責任、それも私の知り尽くしている諸事実に照らして、明らかに天皇に帰すべきではない責任を引き受けようとする、この勇気に満ちた態度は、私の骨のズイまでもゆり動かしたと」、もちろんマッカーサーの作文もあるかもしれませんが、私は、昭和天皇の覚悟の会談であったと、尊敬しております。
以上のように、日本の近代の統治者や政治家のなかで、昭和天皇ほどのご見識と決断力/覚悟を持った政治家はいなかったのではないかと思っています。私の陛下の実際の記憶は、優しげなまなざしの象徴天皇そのものですが、大変なご生涯を送られたと感動いたしております。
昔、昭和天皇が、「銀行に行きますか?」と質問されて「お金を借りにですか?貸しにですか?」とお答えになったという笑い話があります。ユーモアもある素敵な昭和天皇では。
