見出し画像

塵と十字架(8)


二〇三三年七月六日 国会議事堂テロⅡ 犠牲



 誰も憎んで死にたくないと、あたしは言った。これは本当。
 生に対する欲がないとか、そういうわけじゃない。ただ、あたしは死を見すぎたんだと思う。沢山の死体を見てきたから、自分がいつまでも生き残ってるのもおかしなものだと思えてしまって……。不思議な事にそろそろ自分の番が回ってくるって事は漠然と分かってしまうものだ。小さい頃は死ぬ事は無条件に怖かったけど、今は行く先にいつかあるものとして自然に受け入れるようになっていた。
 あたしはナオ。二十二歳。今、死に掛けている。
 医者を連れて来ると言って走って行った彼の名はビースト。本名は知らない。一九九八年生まれだと言ってたから、あたしより十一歳年上という事になる……? おかしい。彼はどう見ても十代。あたしより年下にしか見えないんだけど。彼にも複雑な事情があるに違いない。そんな事も、もうどうでも良かった。
 彼が居て良かった。ただそう思った。死ぬ時、独りぼっちだと心細い。
 母を思い出す。あの人もこんな風に死んでいった。いや、もっともっと苦しそうに。死ぬ数日前は、あの忍耐強い母が内臓の痛みにしばしば悲鳴をあげたくらい。自分が医者だったから、病状が絶望的な事も分かっていたのだろう。それは本当に悲劇だ。あの時は核の混乱の只中で治療も受けさせられず、手当てすら出来なかった無力な自分が今でも悔しくてならない。
 
 そう、母は自衛隊付きの医者だった。優秀な軍医だと自分では言っていたが、国会議事堂で表彰を受けるって聞くまではあたしは信じちゃいなかった。それは確かあたしが十四歳の時だ。父を早くに亡くして働きづめの母は、家ではぐうたらな役立たずにすぎなかったから。火事は全部あたしがやっていた。尤も、おおらかで面倒見のいい彼女にはあたしや近所の子も随分助けられたものだが。
 正式な軍服を着せて、あの日あたしは母を送り出した。何の表彰なのかと近所の子に聞かれたが、あたしは答えられなかった。
「知らないけど……とにかくすごいんだって。テレビ中継もされるって言ってたよ」
 張り切ってテレビに齧り付いていたあたしだが、しかしすぐにがっかりしてしまった。母は表彰されるのは自分一人みたいに自慢していたが、そこには受賞を待つ百数十人の軍事関係者がわらわらと順番に映っていたのだ。人込みの向こうをいくら探しても母の姿なんて見付かりはしない。
 専ら画面は赤い髪の女性を追っているようだった。イズミと言ったっけ。とてもきれいな女の人。彼女も軍人で、アメリカ戦線で目覚しい活躍をしたらしい。
 しかし彼女ばかりを映すもので、次第にあたしは退屈してきた。放っておいた家の用事を片付けてしまおうと、洗濯機を動かしに席を離れた時だ。テレビから悲鳴が聞こえたような気がした。暑いから窓も開けているし、洗濯機の音もうるさい。最初は気にしなかったのだが、悲鳴は普通じゃない絶叫に変わっていく。
「な、何……?」
 何せその場に母も居るのだ。あたしは不安に駆られて、テレビの前に飛んで来た。そしてそこに信じられないものを見たのだ。
 画面いっぱいに煙が。慌てたように画面がニューススタジオに切り替わり、キャスターがテロの第一報を告げた。あたしは慌てて母に電話をしたが、予想通りと言うか、繋がらない。ここであたしはパニックに陥った。冷静に考えれば軍に連絡を取るとか、方法はあった筈だ。しかしあたしはその日の夜遅く、疲れ切った様子で母が帰って来るまでただ呆然とテレビの前に突っ立っていただけだった。
 それから一ヶ月、メディアはこの話題で持ちきりだった。総理は辞職し、防衛庁長官は解任されたらしい。
 犯人は居合わせた軍人に射殺された。それが《赤き死》──あの赤い髪の女性であったそうだ。未曾有の惨事が、死者一名、怪我人一名という被害に止まったのは彼女の活躍によるものだとか。概ねそんな内容。その時の映像が流れることもあった。
「良かったね、この死者一名にお母さんが入ってなくて」
 心からそう言ったのだが、母は目を伏せた。
「死者一名なんて言い方やめなさい。若い男の人だったわ。その人が倒れてるのに気付いてお母さん、応急処置をしたんだけど……結局助からなくて。もう一人目を怪我した女性も……」
 自分を責めている風だった。それは医者としての本能だろう。
「で、でも……」
 仕方ないよ。お母さんのせいじゃない。そんな事言ってたらきりがないじゃない。
「そうね……」
 母は俯いたまま、顔を上げなかった。
 
 そのままニッポンは戦争に邁進し、数年後、本当の悲劇が降る。
 
 全部で何発落ちたのかは知らない。核の灰に塗れたあたしを連れて、母はニッポンを脱出した。日本海にまで張り出して地続きになっている中国の埋立地を目指したのだ。核が落ちたその翌日のことだ。
 腹部から内臓が飛び出した人。眼球が飛び出した死体。全身にガラス片が刺さった人。助けを求めてあたしたちに縋り付く。
 そんな人達を跨いで、あたし達は歩き続けた。何も感じなかったし、怖くもなかった。
 三日ばかり歩いたろうか。中国領に着いて、ここなら安全と言って母が倒れた時、初めて恐怖に襲われたのだった。
 為す術もない。謂る原爆症というやつだろう。髪が抜けて。血を吐いて……病院を探す間もなく、道端で母は死んだ。
 一人になって、あたしは途方に暮れた。本当に呆然として……その場に座り込んでいた。死ぬのを待っていたのだ。自分が助かるなんて思いもよらなかったから。
 悲劇は更に続く。
 あたしが辿り着いたスラム街には他にも沢山のニッポン人が逃げて来ていた。その生き残りのニッポン人が、現地の中国人を襲ったのだ。生きる為の略奪だ。一晩で何人かを殺したらしい。しかし翌日、町中のニッポン人全員が捜し出され、引きずり出され、殺された。たまたまあたしが隠れおおせたのも、それもまた奇跡だ。
 たまたま中国に援助の交渉にやって来ていた自称政治家の男に助けられて、あたしは中国の放送局で彼の仕事(・・)の片棒を担ぐようになったのだった。仕方がない。これとて生きる為。彼の愛人だとか陰口を叩かれようが、別にどうでも良かった。心を閉ざせば、何も感じなくてすむのだから。
 
 大きな音がする度に核を、そしてスラム街でのニッポン人銃殺を思い出してあたしの体は動かなくなる。あれを経験した者と、知らない人とでは反応が全く違う。ここの人達は誰もそれを分かってくれない。同情も援助もいらない。ただ、分かって欲しいだけだった。それを語る言葉も術も知らず、あたしは中国(ここ)でこのままひっそりと死を待っていた。その筈なのに──。
 
 突然、ビーストが現れたのだった。
 
     ※
 
 ここからがあたしの最後の一分間の記録。
 
「ビースト、駄目! やめて!」
 声を限りに叫んでいた。でもあたしの思いは届かない。あたしの声も届かない。周囲の人の悲鳴、逃げ惑うその混乱。
 只中に居るのが彼、だった。
 あたしも何度か見た事がある。彼が獣化と呼ぶ現象が、そこでは起きていた。
 獣化はしないと約束した。
 ──彼は変異型人造生命体だ。
 ドクター・カーンの言葉が頭の中で、嫌なスピードで蘇る。
 変異というのがこの獣化のことだろう。では何度も何度も変異していくうちに、細胞がおかしくなってしまうのでは? 元の姿を忘れてしまうのでは? そう思ってあたしは怖くなった。
「約束したでしょ!」
 彼が……灰色の毛で覆われた犬のような面差しがこちらを向く。表情の見えない顔が、泣いているように感じた。
 ゴメン……。
 一言。あたしの耳に届いた言葉。
 
「本当にいいの?」
 今朝、あたしが病院行きをあっさり承諾したことに、ビーストは少なからず驚いたようだった。
「行くって言ってるでしょ。その代わり、ビーストも見てもらうのよ。それが条件」
「わ、分かった」
 外科? 内科? 整形外科? オレの場合、どこに行ったらいいんだろ。早口で意味不明な事を喋りながら、ビーストはちらちらとこちらを伺う。あたしの心境の変化にほっとしたと同時に、訝しむ様子だ。
 病院なんて行きたくない!
 今迄子供のように頑として突っぱねていたから無理もない。いや、決して気が変わったわけじゃない。闇で営業しているカダのような医者ならともかく、まともな病院が国民証を持たないあたしを診てくれることはないと知っていたし、例え診てもらえたところで死の灰に塗れたあたしのこの病気が今更どうなるものでもないと分かっていた。それは諦めじゃなくて、事実だ。
 気を変えたのは彼を思ったから。
 一つは彼を病院に連れて行く手段。でもビースト自身が言うように、彼の症状が街の病院で対処できるものとは思えない。それくらいのこと、あたしでも分かる。
 それでも病院行きを承諾したのは、このままこの廃ビルの一室であたしが死ねば彼は苦しむだろう──そう考えたから。治療すら受けさせてあげられなかったと後悔させては可哀相だもの。
 事実、ここ数日、あたしは何度か死を覚悟した。カダが居なければ間違いなく死んでいただろう。
 だから彼に任せてみようという気になったのだ。あたし自身に少し余裕が出てきたのも確かだ。病気は仕方ない。日に日に弱っていくのが自分でも分かる。もうすぐ一人では動く事も出来なくなるだろう。死の覚悟も出来ている。でも出来ればあと数日──クリスマスまで生きていたいと思ったのだ。クリスマスに生きていたら、彼にプレゼントのキスをしてあげようと思って。突然キスなんかしたら、ビーストはどんな顔をするだろう。こんな事態であるにもかかわらず、そのシーンを想像すると心が浮き立った。
 
 そこであたしは現実に帰る。
 目の前で繰り広げられるこの地獄。ビーストの敏捷な身のこなし。彼の身が壁に飛び、床に降り立つと同時に何名かの人間が血を噴き出して倒れていく。やめてと叫んでも、あたしの声はもう……。
「ビースト! ビースト、やめてっ!」
 彼を止めなきゃ!
 残された全ての力を使って、彼を止めなくてはならない。あたしは覚悟を決めた。
 ああ、彼はきっと苦しむだろう。自分がナオを殺したのだと。その十字架を背負って生きる辛さは、あたしには想像できない。
「ごめんね……」
 何度も何度も、聞き飽きるくらいに聞いた。
 ──オレがナオを守る。
 本当はあたしがあなたを守ってあげたかった。
 血の海も死体も、暴れる獣人も怖くない。あたしは彼に歩み寄った。獣人が腕を振り翳す。鋭い爪があたしの胸を貫く。
「グッ……」
 感覚はなかった。
 あたしは思い切り彼を抱き締めて、そしてキスした。一瞬だけ、獣人の動きが止まったような気がして。
 ……きっと覚えちゃいないんだろうけど。
 ビースト……いや、ビーストは本名じゃない。あたしはあなたを何と呼べばいい?
 ありがとう。愛していると……何て呼んで伝えればいいの?


いいなと思ったら応援しよう!