塵と十字架(11)
二
キイッ。嫌な音を立てて車が減速する。
「熱っ!」
チカゲが銃を取り落とした。
──しまった!
走る車から跳ね落ちて、それは路上を滑る。
「クソッ!」
呟いて彼は手の平を擦る。軽い火傷だ。銃を持っていた皮膚がひりひりと痛む。MP5KA4が、突然煙を上げたのだ。ステンレスヴァージョンタイプのこの銃身は熱伝導が高く、サブマシンガンにしては短いそれは加熱しきっていて、もう手袋越しですら持つ事は出来なかった。
コック・オフ(蓄熱放出)だ。毎分四百から七百近い弾丸を高精度に発射出来る優秀な銃である。それでも朝から半日もの間、ずっと休みなく酷使し続けてきたのだから、音を上げるのは当然だった。
「イズミ、貸せ!」
RATTの運転席に座る姉。その片手にあるハンドガンをひったくる。
「駄目、その銃は……」
何言ってやがる。ケチケチしやがって。形はワルサーに似たその銃の引金を──。
街路に転がる事故車の影に身を潜めた獣人。総数十匹は居ようか。そのうちの一匹がチカゲ目掛けて飛びかかる。
銃の引金を──しかしいくら力を込めてもトリガーを最後まで押し切る事が出来ない。
「な、何だよ。これ」
イズミが何か言いかけたが、振り返っている余裕もない。
跳躍する獣人が頭上に迫る。灰に霞む陽光に、その爪が鋭くきらめいた。狙いは当然チカゲの首筋だ。身に染み付いた反応で、駄目と分かっていてもチカゲの指は何度も何度も引金に力を込める。
「退きなさい、チカゲ」
その彼の背後から手榴弾らしき物体が。しかし放たれる銃弾並の速度で過ぎった。今しもチカゲに襲い掛からんとする獣人に命中し、それは弾ける。強烈な閃光と爆音。
「ギャッ!」と叫んで背中から地面に落ちる獣人。
「チカゲ、早く」
RATTが急発進する気配。慌てて車を飛び降りて熱いMP5を拾い、チカゲは再び助手席に飛び込む。振り返れば車の影に潜んでいた獣人達が皆、白目を剥いて倒れているのが分かった。ピクピクと手足を痙攣させている。死んではいないようだ。恐らく光と音にやられただけだろう。全て黒っぽい小柄な体躯の獣人ばかり。あの中にビーストは居ない……と思う。
「危ないっ!」
車は減速する事なく角(コーナー)を曲がる。片手ハンドルで無茶な運転をするイズミのもう一方の腕には全長七十センチ程度の見た事ない武器が握られていた。形態はMP5とさして変わらない。しかし砲身が太く、弾丸(マガジン)を装填する箇所が見当たらない。弟の視線に気付いたのだろう。イズミがにやりと笑う。
「H&K社(ヘックラー・ウント・コッホ)のグレネード・ピストルよ。コイツを撃つの」
先程の手榴弾のような形の物を見せる。ローヤル・オーデナンス製G60ハンドグレネード。殺傷力はないが、見ての通り強烈な閃光と爆音を発する。特殊部隊がハイジャック機や建物に突入する時に使うのと、彼女は得意気に説明した。
「へぇ……初めて見た」
「意外と使い勝手がいいのよ」
珍しい銃器を前にして、こういう時だけこの姉弟は仲が良い。
「それよりその銃、返しなさい」
「ああ、これ? 使えな……」
フンと顔を顰めて、イズミが弟の手からハンドガンをひったくる。不機嫌な表情の弟を横目に、彼女は銃を眺めて笑顔を作った。
「これは私でなきゃ撃てないの。見て、凄い銃よ」
「見てって言われても……」こんな小さな銃よりイズミ本人の方に目が行く。「イメージ変わったよな。何で黒くしたの?」
髪に伸ばしかけた手は、しかし途中で叩かれる。
「アンタこそ。何なの、その頭」
悪趣味ね、と嘆息する。別にこれは僕がしたわけじゃないと言い訳するように口の中で呟いたが、姉は聞いてはいなかった。彼女は銃に夢中だ。尋ねたい事は他に山ほどあるのだが、今何を言っても無駄だろう。
「メタル・ストーム社が二〇〇八年に開発した銃よ。ほら、ココ」グリップ部を指差す。「電子回路が組み込まれていてね。銃の所有者として登録された人物以外がトリガーを引いても発砲できないように、ID機能が付いてるのよ」
自衛隊では採用されなかったんだけど、私は手に入れたわよ。高かったけど価値はあるもの。あんたに見せてやりたいとずっと思ってたの。きっと羨ましがるってね。力強く解説を始めた。まさか弟に会って、これが一番言いたかった事ではあるまいが。
「ID機能ね……」
だからアラカキは撃てなかったのか……。哀れとも言えるその最後を思い出す。
──だって……。
記憶を振り払うように首を振った。
──だって、あいつはイズミを殺そうとした。だから……。
猛スピードで《塵》を駆けるRATT。その運転席で風を受け、イズミの黒髪がさらさらと砂金のような音を立てる。
「《赤き死》は二人もいらないのよ。私の名前を使って、私の姿を使って……それで何? あいつは何をしたかったの?」得意の銃器談義を遮られたせいだろうか。イズミの声は不機嫌だ。「アンタもアンタよ。お姫様じゃあるまいし。何囚われの身になんてなってんのよ」
「それは……」返す言葉もない。「別に、僕は捕まってたわけじゃない。それにアラカキは……」
そこで言葉は途切れた。
アラカキは何? 悪い奴じゃない? ──そうでもないだろ。それでも奴は《塵》の事を真剣に考えてた? ──そうかもしれない。でも……。考えが纏まらない。
何か言うより先にイズミが声を上げた。RATTが急停止する。
「アレはアンタの友達じゃないの?」
何? と口を開きかけた時だ。空を切り裂くような女の悲鳴に、彼は弾かれたように顔をあげる。
向こうに覗く細い路地。女が二人、全力で走ってくるのが見える。
「またかよ」
獣人に追われているのだ。その数七、八匹。小柄な黒っぽい姿だ。地面を走る者も居れば、建物の庇から庇に飛び移って女を追い詰める者も居る。
「完全に無差別行動ね。戦闘用人口生命体って言ったわね。集団で行動する習性がプログラムされてるのかしら。どう? あれは友達?」
「……違うと思う」
それ以外に答えようもない。
女の一人が派手に転んだ。獣人は彼女に焦点を合わせて、一斉に動きを止める。悲鳴を上げ続けるその若い女は身長のわりに肉付きの良い体躯で……丸顔のナオを思い出させた。
思考を破ったのは銃声だ。既に耳に馴染んだ感のあるその音は、イズミ秘蔵のID銃のものである。
「この車(RATT)じゃあの路には入れない。私は路地の裏手に回り込んで待ってるからチカゲ、アンタ行って追い込んできなさい」
「ぼ、僕が?」
何で? その返事もない。「早く」と怒鳴られ、蹴り出された。
でも銃(MP5)がまだ……。
使える状態ではない。しかしそれも一蹴された。
「アンタも9ミリなんて使ってないで、せめてこれくらい持ちなさいよ」
投げられたのはM1014ジョイント・コンバット・ショットガン。米海兵隊武装偵察チームの装備として知られているガンである。
「待てよ、ショットガンかよ。そんな物まで持って来たのか。僕は撃った事ないって」
尚も抵抗を試みるチカゲだが、その彼の姿を目にしたのだろう。女の悲鳴が高くなる。
「た、助けてっ!」
チカゲは舌打ちした。仕方がない。腹を括ると、無言で路地に飛び込む。ショットガンの射程は長い。車から撃っても獣人共を蹴散らすのは十分だろう。しかしその威力から逃げる彼女達を巻き込まない為には、チカゲ自身が相当近付かなければならない。
一人は彼の元へ駆けて来た。転んだままのもう一人の女に獣人の群れは狙いを定め、一気に包囲を縮める。
女の悲鳴が掠れた声になる。駄目だ、間に合わない。チカゲは空に向かって一発、ショットガンを放った。
「うっ……!」
その反動で自分の足も止まり後方へよろけるが、獣人も一斉にその場から散る。しかし逃げるわけではない。十メートル程後退し、新たな敵に照準を合わせるつもりだ。その僅かな隙に、チカゲは女の手を取った。
「た、助け……。あっ?」
悲鳴がやむ。女は至近距離から彼の顔を見て何か言いかけた。しかしその声は更なる悲鳴に変じた。チカゲが彼女の腕を引っ張って、そのままもう一人の女の方へと突き飛ばしたからだ。「ぎゃっ!」という女二人の悲鳴と、獣人の唸り、更に再びのショットガンの炸裂音が重なった。
獣人に態勢を立て直す余裕は与えない。ショットガンの狙いは路地の建物だった。なるべく高い階のビルの側面を抉る。破壊された壁の瓦礫と硝子の破片が、落下速度を増して獣人達の頭上に降り注いだ。
「チッ……」
チカゲの舌打ちは益々激しくなる。今の攻撃で半数は戦闘不能状態に陥る筈だった。しかし相手は人間じゃない。八匹のうち、全身硝子塗れの一匹を除いた残りは瞬時に反応して後方へと飛び退ったのだ。囲まれては対処出来ないのは明らかだ。チカゲは闇雲にショットガンをぶっ放つ。放ちながら前進する。数匹に命中したような気がしたが爆煙の中、確認している余裕はない。これは威嚇だ。動ける獣人等はじりじりと後退する。発射の反動でチカゲがよろけた隙をついて、路地から大通りへ飛び出した。
そこへ、轟音ともいうべき爆音──断続的に。音が続く間中、獣人はその場で踊るような動きを見せる。やがて銃撃が止むと彼等は力を失い、崩れ落ちた。
咄嗟にビル二階の窓の柵に飛び付かなければ、チカゲも奴等と同じ動きをしていただろう。靴底を銃弾が掠め、その熱に彼は呻きをあげる。
「遅い!」それなのに開口一番怒鳴られた。「これだけの仕事に、五十秒もかかってどうするの」
道路にRATTを乗り付けて待ち構えていたイズミだ。今のは彼女の操る巨大砲の砲撃だったのだ。
うるせぇな。どいつもこいつも勘違いしやがって。そもそも僕は軍人(プロ)じゃない。それにこんな銃だって撃った事ないんだ。
腹の中で怒り狂うが、口に出来たのは「クソ女が……」という一言だけだった。しかも姉には聞こえないように小声で。
遥か後方で悲鳴を上げ続ける女達も鬱陶しくて、じろりと睨み付ける.女の目は彼──と言うより彼の頭を凝視している。
「え? 赤き……?」
「ほ、本物かしら?」
顔を見合わせ、女達の目はチカゲの頭と手にしたショットガンを交互に行き来する。最後に足元に転がる獣人の死体を見てから、二人はその場を逃げ出した。肩を竦めて、チカゲは彼女達を見送る。
「《赤き死》ね……」
本物か偽者なんて、もう自分でも分からなかった。
「チカゲ、何か言った?」少なくとも、確実に本物の《赤き死》が彼を呼ぶ。声が少々高い。興奮しているようだ。「アンタも無茶するわよ。車のボンネットにミニ=ガン取り付けるなんて」
無理矢理RATTに取り付けた使用方法不明の巨大銃だって、イズミにかかればこんなものだった。あっさり使いこなす。
これはモーターで高速回転しながら、超強力なライフル弾を連射するヘリ搭載火器であるようだ。アメリカ、ジェネラル・エレクトリック製GEM134。通称ミニ=ガン。回転する六つの銃身から、毎分三千発の銃弾を発射する銃器だ。その威力たるや他に比ぶべきもない。
「凄い、こんなの撃ったの初めて!」イズミが奇声を上げている。
チカゲは大きく息を吐きながら、助手席によじ上った。無邪気ともいえる姉の笑顔をじっと見詰める。核から五年。イズミが一時帰国したのはその半年前だったから……昨日は五年半ぶりの再会の日となった。聞きたい事は山程あった。言いたい事も多々あった。
「……覚えてる?」
あの約束を覚えてる? 僕はちゃんと守ったよ。核の下、銃弾の中、それでも必死になって生き延びたよと。そう言って、そして姉に抱き締めてもらいたかった。それなのに彼女ときたら。
「何むくれてんのよ」
一頻りミニ=ガンに喚声をあげると、今度はRATTの後部座席に積み上げた銃器の中に顔を突っ込んで、洗面器程の大きさのチョコレートの缶を取り出した。今朝早く、チカゲは《塵》での彼女達の潜伏先の廃ビルに連れて行かれた。そこからこれでもかという程大量の重火器を回収してきたのだが、その中には何故かお菓子の缶が多量に紛れていたのだ。
「ニッポンに戻ってから禁酒したの」缶を抱え、もぐもぐと口を動かしながら、イズミ。
で、甘党に走ったのかよ。彼女のこのデリカシーのなさ! そうだ、昔からこうだった。
「太るぞ」
一言、言えばイズミが片手を振り上げる。反射的にチカゲは身を縮めた。殴られる記憶が身に染み付いているのだ。その様を見て、イズミはにやにや笑う。
「私、太らない体質みたい」
「クソアマが」チカゲは舌打ちした。
変わらない。ああ、何も変わっていない。何て自分勝手な女なんだ。彼は煙草に火を点ける。煙が染みて、目の奥が痛んだ。
「アンタもそれは止めなさいって。昔から言ってるでしょ」
「無理だよ。止めらんねぇよ」
ビーストにも同じ事を言われたっけ。さすがに姉の顔目掛けて煙を吹くような暴挙は恐ろしくて出来なかったが。
「焼き討ちなんて余計な事しやがって」
混乱の中、乗り捨ててあったオキのRATTを奪った。内部をひっくり返してマリファナ煙草を掻き集めたが、これが恐らく最後の一箱だ。こいつがなくなったら……どうしたらいいのだろう。
燃やして当然よ、イズミの声は一際高くなる。
「アラカキはそのマリファナを捌かせてあの電波塔を建てたり、外国から戦闘用ヘリを購入したのよ。それからあいつ等の開発資金にも」
「あいつ等? ……ああ」
今や《塵》中に散らばる獣人達の事を指しているのは分かった。チカゲの表情が陰る。
「無理だろうな。あの中からビーストを捜し出すなんて」
そもそも奴が街に居るかどうかすら分からないのに。朝からRATTで街中を探し回り、結局幾匹の獣人に銃を向けた事か。言葉が通じる訳もなく向こうに攻撃性しかない以上、それは仕方のない事だった。
「しかもその子の特徴って何? 色が灰色ってだけじゃ区別もつかないよ」
弟の意を汲んで、イズミは彼の友人を捜す手助けをしてくれている。ヘリで上空から探査している部下(マキコ)とアストロ=セイバーⅢで時折連絡を取り合っているが、そちらからも芳しい報告はないようだ。
「Dr.カーンっていった? そいつと話したいわね。結局この状況じゃ、そいつを止めなきゃ意味ないわ」
この街(ダスト)じゃ獣人の材料はいくらでも調達出来るわけだし。
「材料って……」
死体、か。更に言えば死体の脳。後は人工的に生成した身体があれば事足りるわけなのだから。
「そう言えば、あの死体好きな子は?」
どうしたの? 問われ、チカゲの心臓が音を立てる。まるで悪い事を見付かった時のようにばつが悪い。
「し、知らないよ。死んだんじゃないか」
おかしな考えに取り付かれたオキなんて、どうなっても知った事じゃない。ちらりと弟の様子を見て、イズミはチョコを食べる手を止めた。
「アンタはまだ駄目ね。守ってもらう事ばかり考えてる。友達だったら、アンタが助けてやりなさいよ」
「な、何だよ」
痛いところをつかれた。チカゲは口ごもる。煙草が酷く苦く感じられて顔を顰める。それでも火を消してしまうのは勿体無くて、無理に吸い続けた。
助けてやろうとしたさ。五年もの間の裏切りも許してやった。それなのに……、と思う。
「だからアンタは駄目なのよ」
「イズミ……?」
その時だ。アストロセイバーⅢに通信が入った。マキコの声だ。感情を見せない冷静な調子だが、その声は恐るべき内容を伝えてきた。
『国境……アロー、発射された模様。どうしますか』
同時に西の空が際立った光を放った。間近で見たその威力と対応能力を思い出し、チカゲの声は震えた。
「獣人達があそこまで行って……?」
それでアローが作動したのか? ビーストが巻き込まれていなければ良いのだが。
まずいな、中国軍が動けばコトだわ。イズミが呟く。
「《塵》の中で片を付けましょう。いいわね、チカゲ」
彼女は殺伐とした暗い空をきっと睨んだ。
友達(ビースト)を助けて、後はイズミと二人で静かに暮らしたい。望みはそれだけだ。故郷(ダスト)も何もいらない。イズミが居れば他に価値はない。
チカゲはそう思っていた。しかし急速に流れる時代は、決してそれを許さない。
※
電波塔で合流する。
そう示し合わせて、イズミはRATTを急停止した。それからハンドルをいっぱいに切って急発進させる。マキコのヘリも《塵》中心部へと向きを変える。街のどこに居てもその轟音は聞こえるし、見上げれば灰色の空に真紅の機体は実に目立つ。
彼女はアメリカ戦線からの私の部下なの、とイズミは短く説明した。
「あの目は戦争で?」
「む……、むむ……」
イズミは答えない。口の中がチョコでいっぱいになったのだ。その様を見て、チカゲは大袈裟に溜め息をついた。構わねぇよ。さして気になったわけでもない。無口で威圧的なマキコ本人に直接尋ねる勇気も持てないだろうし、この疑問はここで終わりだ。
猛スピードでRATTは電波塔近くに迫る。この辺りまで来ると獣人の数は格段に増えたようだ。つい昨日迄この場所で製造(・・)していたのだから当然か。ドクターと、それからオキはどこに隠れたのだろうか。
この状況、イズミの言うようにドクターに接触しなければどうしようもあるまい。獣人の攻撃性を緩和させる方法を得なければならない。増え続ける獣人を、まさか一匹一匹殺していくわけにもいかないだろう。
RATTはその幾匹かを跳ねて電波塔に迫った。隣りのビルからは未だ火災の後の焦げ臭い臭いが漂っている。窓ガラスは抜け落ち、剥き出しの鉄骨は黒く変色して所々飴のように曲がっている。全館に設置されていたモニターだけがまだ生きていて、時折赤い光を放っていた。
「チカゲ、行って見てきなさい」
鉄塔とビルの間に車を止めて、イズミが言う。ドクターとオキがこのビルのどこかに隠れているかもしれないと。
冗談だろう、とチカゲは顔を顰めた。自分は安全な所から命令だけかよ。確かに無残な有様の廃墟ビルから生物の気配は感じられるが、それは獣人達がひしめいているせいだろう。
「イズミが行けよ。僕はさっき路地に入っただろ。あんたの方が余程……」
余程強いんだから、と言いかけた時だ。パラパラと散弾の音がして、獣人が三匹飛び出してきた。反射的に、だろう。イズミがミニ=ガンを撃つ。空中で踊るように弾けてから、獣人はぽとぽとと地に落ちた。
それを確認しに出て来たのはアラカキの兵士達だった。ぞろぞろと五、六人ばかり。その立ち姿からも、所詮素人兵というのはすぐ分かる。ビルの中に隠れていたところを獣人に襲撃され、必死に反撃していたのだろう。ミニ=ガンによる突然の援護に戸惑っている様子だ。銃を構えながら出て来て、そこにチカゲの姿を見て口々に声を上げた。混乱している事は明らかだった。
無理もない。アラカキが死んでまず大混乱を来たした。しかも《赤き死》に殺られたらしい? 否、その《赤き死》ですら偽者だった?
彼等が行動を決め兼ねるのも無理のない事。
それは結局、指揮系統を整備していなかったアラカキの甘さが招いた事態だ。唯一の指揮官である彼が死ねば、その軍は自然に崩壊していく。
チカゲは姉の腕をつついた。まずい、逃げようと合図を送ったつもりだ。しかし彼女はあろう事か、車を降りたのだ。
「何故こんなビルに立て篭もるの? それだけの装備を持っているなら街の住民の保護に努めなさいよ」
男達は顔を見合わせる。
「あ、あんた誰だよ?」
「どこかで見た顔だが」
口々に何か言うが、動こうとする気配はない。
──いいからイズミ、行こう。
そう言いかけたチカゲが絶句したのは、上空を旋回するヘリが急に傾いだように見えたからだ。鉄塔に降りるわけにもいかず、旋回しながら地面に適当な場所を探していた機体に突然異変が。
「マキコ?」
彼女の操縦技術に格段の信頼を寄せているイズミが呆然と上空を見上げる。「あっ」と小さく声を上げた。ヘリの操縦席の窓に獣人が数匹、べったりとへばり付いていたのだ。誰であれ、視界を奪われればバランスを保つ事は困難だ。
バリバリと音立てて、ヘリはビルに接触する。バキッと嫌な音がして、機体は大きく傾いた。イズミが息を飲む気配。プロペラが折れたのが分かったのだ。そのままビルに寄りかかるようにしながら、ヘリはズルズルと降下、否、落下する。
「逃げろ!」という叫びはイズミのものだったろうか。
兵士達が道路に飛び出した。その流れを逆行して、彼女はRATTを発進させる。ヘリ落下地点目掛けて車体が滑り込むのと、鉄の機体がビルにめり込みながら落ちてくるのはほぼ同時であった。
濛々とした砂煙。金属の擦れる音。何かの炸裂音。爆発がなかったのは運が良かったと言えよう。炎上すれば中に居るマキコは無論、イズミとチカゲも巻き添えを免れない。
熱風の中、イズミは車を飛び降りる。
「マキコ!」
名を叫びながらヘリの残骸を蹴り飛ばす。チカゲも彼女に倣った。
「こ、ここです」
存外にしっかりした声とともに、機体の隙間から腕が覗いた。墜落の瞬間に手動でエアバックを操作させたようだ。ナイフを使って自らエアバックの空気を抜くと、瓦礫を押し退けて上体を起こす。慌てて腕を差し出すが、彼女は無視してその場にすっくと立ち上がった。
チカゲの頬が引き攣る。何だ、こいつ。サイボーグみてぇな女だな。
「大丈夫?」というイズミの声がやけに気楽に聞こえるのは、マキコの無事を信じて疑わない故だったのだろう。墜落の衝撃を減じる為、ビルにめり込むようにしながら少しずつ降下していったその操縦技術。確かに信じるに足る腕だ。それでも片足を引きずる彼女に肩を貸してRATTに乗せ、イズミは車を走らせる。
空は翳ろうとしていた。各所で獣人が暴れ《塵》には血の匂いが立ち込め始めていた。
※ ※ ※
一人、夕暮れを迎えた。停車したRATTの運転席でチカゲは煙草に火を点ける。
荷台の武器の山の中から見付けたテープが、その手にはあった。表面にイズミの字で「2027、ニッポンで」と殴り書きされていた。他にも同じ様なテープが何本かある。何だろう。二〇三七年というと、核の一年後だ。僅かな逡巡、言い知れぬ躊躇いを振り切って、それを車のレコーダーに入れてスイッチを押す。
その瞬間、スピーカーからイズミの声が流れ出した。雑音にかき消されそうになりながらも、声は強く響く。
──アメリカ遠征軍部隊。
兵員、二十万。
戦車・装甲車、二万両。
武装ヘリ、五万機。
戦闘機、四千機。
爆撃機、六二〇機。
給油機、四十機。
輸送艦、十八隻。
ミサイル艇、十二隻。
巡航ミサイル、七千発。
精密誘導弾、約四十万発(総投下爆弾の96パーセント以上)。
つまり、対アメリカ戦線は完全な総力戦でした。消耗戦、とも言えるかな。簡単に言えば泥沼化って事。かつての親愛なる同盟国に対して、何であんな戦争を始めたか? それは誰にも分からない。気が付けば米本土への奇襲作戦しか道が残されていなかったと、みんな言ってた。もしかしたら、あの時ある総理が宣言したことがきっかけかも。いつまでもアメリカの保護下に居るわけにはいかない。我々は自立しなければと。それならばあの戦争は、強い力を持つ親から離れる、或いは反抗期的な戦いなの?。
二〇三一年に開戦し、二〇三六年核攻撃によるニッポン消滅により自動的に終戦。戦局は太平洋、カリブ海、アラスカ、そして米国本土と多岐に渡りました。
但し、一兵卒たる私に見えたのはアメリカ西海岸の小さな街だけ。とうもろこし栽培を産業とする移民の街です。
誰に聞かせる当てもない話を、何故私がこうやってテープに吹き込んでいるのか。
それは、ニッポン軍を告発したい。そう思ったからです。今、私の中にあるものは怒りだけです。
そこでイズミの声が震えた。激昂した、むしろ普段の彼女のキィの高い叫びに近い。しかし声はすぐに落ち着きを取り戻す。告発するって言ったって、もう国自体がないんだけどね。
小さな声でそう呟いて。
核の落ちる半年前の事です。
あの日……二〇三五年の夏だわ。夜明けに出撃命令が出ました。私は特殊部隊だったから本来ならば市街地無差別爆撃なんて単純な任務なんて有り得ないのですが、今回のミッションは少し特殊。ある街を爆撃して、住民を完全に皆殺しにするというものでした。
ちょうど一年前から、味方の多大な犠牲と引き換えに、西海岸をほぼ制圧しかけていたニッポン軍は、ある懸賞を設けました。
『米軍戦闘機一機撃墜につき、日本円で一千万円の賞金を出す』
その効果は計り知れないものがありました。貧しい街の住民はロケット砲で武装し、米軍に襲い掛かったのです。正直、特殊部隊(わたしたち)が出る機会もないくらいに。それは結果的に民間人の死者数を圧倒的に増大させたわけですが。
民間人は基地に出入りする機会も増え、その中の一人メイというアメリカ人と私は恋に落ち、結婚しました。深くは考えず、勿論軍には内緒で、ですが。彼は平時はとうもろこし畑で働く、緑を愛する青年でした。宿営地(キャンプ)に居る私と、民間の彼は一緒に暮らす事は出来ないだろうけど、時々会えたらそれで良いと。初めから深くは求めなかった。私は軍人。いつ死ぬか分からない身だから。
けれども誰にも告げずに教会で式を挙げたその翌朝の事でした。
彼の住む街を爆撃せよと命令が下ったのは。こちらの基地の情報が漏れる事への警戒と、賞金の支払いが滞った事に対する不満が膨れ上がる事を恐れた司令部の判断です。その命令は街の壊滅と、住民の皆殺しでした。
数人の部下と共に私は出撃しました。爆撃機で街を焼き払い、何人もの民間人を掃討銃でなぎ払いました。
これが戦争です。罪の意識なんてその時はなかった。極限状態の戦いの中で、そんな感情は邪魔になるだけだったから。敵は民間人とは言えない。ロケット砲で武装した傭兵集団なのだから。
夜が明け切る直前。戦闘機の中から、メイを見付けました。ロケット砲を抱えて、地上を逃げ惑っている。彼からすればニッポン軍の突然の攻撃は……否、私の行動は完全な裏切りに違いなかったでしょう。
戦闘機の中の私。地上のメイ。目が合うと、彼は砲を置きました。私も何もせず彼の上空を通り過ぎました。
これでもう会う事はないだろうと思ったのに、何も感じなかった。
夜が明けて、陽の光の下、凄惨な光景が広がっているのを見て初めて恐怖というものを覚えました。
この日の街の住民の死者数およそ六千。一夜にして一つの街が完全に壊滅したのです。
それから半年。核でニッポンは消滅しました。
私は米本土深くにまで出撃していたから、灰の被害は被らずに済んだけれど……。敵地の只中で本国の壊滅を聞いたのです。米軍による反撃を受け、情報は錯綜し、補給も途絶えて完全孤立状態でした。
実際何度か死を覚悟する事態もあったわ。けれど私は自分のこの危機的状況よりも、ニッポンに残した弟が心配でならなかった。核を喰らって、それでもあの子が生きていると信じていた。
彼を諦め、死んだものと覚悟したのは……占領用の輸送船に潜り込んで国に帰って来た時でした。国土と呼べるものはどこにもなかった。一面、塵の大地。全てが失われた。
絶望と怒りだけが、私に残った感情です。
私はニッポン軍を告発する為に生き延びました。
けれども、私は戦時中とは言え大量殺人を犯した人間です。アメリカ政府が私の生存を知れば、決して生かしてはおかないでしょう。今更、反戦運動化として表に出るつもりもありません。
ただ、生き残ったニッポンの人達に聞いて欲しくて……こうやって話しています。一時間毎に周波数を変えて、拠点を移しながらこのテープを流します。いつか誰かの耳に届くと信じて。誰かがきっと動いてくれると。
私は《赤き死》。
誰もが知らなきゃいけない世界がある。
あんな戦争を……もう二度と繰り返さない為に。
※ ※ ※
ヒイラギは朽ちていた。
「ごめん、イズミ……」
俯いた弟の背を、イズミがぽんと叩く。アンタのせいじゃないわ。核を喰らったんだもの。しょうがないよ。こうやって形が残っているだけでも不思議。
二人は家に戻っていた。マキコの治療をする為に、と言うより懐かしさのあまりだろう。自然と車は二人の家へと向かっていたのだ。
RATTに備えられたレコーダーで、彼女が数年前に吹き込んだというテープを聞いた。聞き終わって家に入ると、イズミは庭先で焦げたヒイラギを見詰めていたのである。
「その木、メイに貰ったんだね」
姉は頷く。夜明けの光が、彼女の頬を照らす。チカゲはその隣りに腰を下ろした。イズミが呟く。
「ずっと……同じ街に居たんだね」
何故こんなにも長い間、私達は離れ離れになっていたのかな。
チカゲはずっと麻薬更生施設に居た。イズミといえど、まさか弟がそんな所に居るとは考えなかったのだろう。彼女自身は共に逃げて来たマキコと、廃墟に近い《塵》のビル群を転々としていたらしい。反戦運動のメッセージを電波に流すようになってから、身の回りが突然騒がしくなったらしい。今考えたら、当時からアラカキキに狙われていたに違いないと彼女は結論付けた。私が捕まらないから、だから弟のアンタを利用したんだわ。
ともかく、と続ける。
「捜したわ、チカゲ。アメリカから出てたニッポン占領用の輸送船に潜り込んで、必死になって両国に戻って家に帰ったら、弟(アンタ)の気配はないし、見知らぬ死体はゴロゴロしてるし! しょうがないでしょ」
諦めて、隠していた銃だけ取って出て行ったのだと言う。
「……オキの奴」
チカゲは唸る。あれ程頼んだってのに、結局何の役にも立ってねぇ。
「それで? 禁酒を誓って酒は置いてったんだ」
罰が悪そうにイズミは口ごもった。本当にこっちに帰ってからは一滴も飲んでないってば。歯切れ悪く呟いて、それから弟の肩を抱く。
「とにかくね、最近になって急に私の昔の映像が流れ出すから。これは変だと思ってたら、今度はアンタが変な頭して映ってるんだもん」
映像を入手し、製作者を突き止める行動を取るうち、マキコが逆上して偽《赤き死》を襲撃したのが、つい昨日の事。
変な頭と言われ、チカゲは自分の赤い髪を引っ張った。そうだよ、確かに変だよ。でも自分だって……ぶつぶつ呟く。弟のそんな様を見て、イズミは笑った。薄闇の中、霞んでしまいそうな小さな微笑だ。
「チカゲ……」
彼女の手が赤い髪を撫でる。チカゲは静かに姉の腕に頭を凭せかけた。彼女の名を呼んで、その胸に顔を埋める。
互いの空白の五年間を埋めるように、二人は抱き合った。
「イズミ……もう止めよう、こんな所に居るのは。あんな銃抱えて、でも何と戦ってるのか僕には分からない」
そうだ。思い付いたように顔を上げる。
「中国かアメリカに行こう。どっちでもいいよ。強い国に住めば平和に暮らせる」
ここから離れて、二人でずっと……。
イズミが微かに頷いたような気がした。暫くしてから彼女は顔を上げる。そして首を横に振った。
「私、ニッポンを見限るわ」
その声は強い。訝しむチカゲが顔を上げる。
「何、イズミ……?」
「何と戦ってるか分からない?」肩をつかまれ、姉の体から放された。代わりにしっかり顔を見詰めて、彼女は続ける。「じゃあ、見ていなさい。《赤き死》の戦い方を」
私は約束は守った。あんたを助けに来た。あとは自分で何とかしなさい。
そう言われた気がして、チカゲは黙り込んだ。
※
──知ってる?
彼女が少し声を弾ませる。
ヒイラギの木。クリスマスには赤い実を付けるんだよ。
前も聞いたよ。何回も言うなよ。年寄りかよ。そう言うとイズミはむくれた。
──もう無理だね……。
焦げた十字架の形をした木を二人が見詰める。
──結局、この木が実を付けた所は見た事なかったなぁ。ヒイラギ、もう死んじゃったんだね。
沈黙。
それから、唐突な質問。
メイって……?
何で僕に黙って……? 言外にそんな非難を滲ませて、しかし呵責の念に声は震えていた。
メイは《赤き死》を追っていた。憎しみや復讐、そんな思いから《塵》まで来たのだ。或いは本当に気が狂ってしまったのかもしれない。ともかく事実として言えるのは、己の手か、或いは彼女自身の銃が、彼を殺したという事。
イズミは肩を竦めて見せただけ。金色の獣人の姿は目の前で見ていた筈だ。しかしあの化け物がその男だとは口が裂けても言えなかった。もし彼女自身が何か違和感を感じていたとしても、それでも絶対に言わない。その最後を彼女に伝える事なんて出来やしない。
ごめん……。
ただ一言。そう言うと、イズミは微かに笑ってみせた。何かを悟ったのだろうか。彼女は立ち上がる。弟の側を離れて、部屋に戻った。
きっと、一人になって泣いているのだろう。
静かに夜が明けて、そして最後の朝がやって来る。
