『EPHEMELUX』(第十一稿)Part.4
第四幕:古代図書館
太陽が、肌をジリジリと焦がしていた。
紀元後415年、
エジプト・アレクサンドリア。
転移の光が収まった後、
大地の目に飛び込んできたのは、
視界を埋める石造りの街並みだった。
大理石で舗装された美しい大通りの先、
街を一望できる高台の上には、
この時代の人類の叡智の結晶である
巨大なアレクサンドリア図書館の
壮麗な列柱がそびえ立っている。
だが、街の空気は不穏だった。
大通りの片隅で、
一人の奴隷の少年が
ローマ兵に蹴り飛ばされていた。
「おい、あの女の居場所を吐け!」
兵士が鞭を振り上げた瞬間、
大地は咄嗟に割って入り、
兵士の腕を捻り上げて
少年を救い出した。
広場を見渡すと、
擦り切れた布を纏った奴隷や
貧民たちが集まっていた。
その中心で、
黒いローブを深く被った怪しい男たちが、
人々に金貨をばら撒きながら
演説をぶっている。
「異教を信じる者たちは
かならず地獄に落ちる!
あの図書館にある知識こそが、
我々を縛る悪魔の罠なのだ!」
金貨に群がり、
歓声を上げて熱狂する人々。
しかし、
男のフードの奥で、
縦に割れた瞳孔が
不気味に光るのを
大地は見逃さなかった。
レプティリアンだ。
助けられた少年は、
大地が敵ではないと悟ると、
そっと服の裾を引いた。
少年は、入り組んだ裏路地を抜け、
大地を図書館の内部へと案内してくれた。
そこは、外の狂騒が嘘のような
不思議な静寂に包まれていた。
壁一面に敷き詰められた
無数のパピルスの巻物。
少年の後を追いかけて
薄暗い地下の広間へと辿り着くと、
十数人の子供たちが
石段の上に座り込んでいた。
立派な衣服を着た貴族の子供もいれば、
腕に焼印を押され、
ボロ布を着た奴隷の子供もいる。
彼らは大理石の床を囲み、
一本の棒を持った女性を見つめていた。
この時代の最高の知識人であり、
数学に精通した女性天文学者、
ヒュパティアだ。
「……ほら、
この円の接線と半径が交わる角度は、
どうなるかしら?」
ヒュパティアが床の砂埃に図形を描き、
一人の奴隷の少年に問いかけた。
少年は怯えながらも、
小石を使って不器用に直線を引く。
「直角……です」
「そう。正解よ」
ヒュパティアは、
少年の泥だらけの頭を優しく撫でた。
「身分が高い人が線を引いても、
あなたが線を引いても、
円の性質は絶対に変わらない。
美しいわね。
誰に縛られていても、
この頭の中の理屈だけは、
絶対に誰にも奪われないのよ」
『目標のヒュパティアを発見。
星図を回収しなさい』
耳元の通信機から、
水原の氷のような声が響く。
『史実によれば、
そこは暴徒に制圧されるわ。
そこにいる子供たちは
歴史への影響度がゼロの変数よ。
地図だけを奪って、
直ちに離脱しなさい』
続けて、通信機から
底抜けに明るい声が割り込んできた。
『そうですよー!
彼女が死ぬのは、
美しい未来を作るための
大切な「確定事項」なんです!』
クロノスの声が、
大地の耳元で無邪気に弾む。
『さあ、情けなんてかけずに、
星図だけパパッと回収しちゃいましょう!
えっへん!』
大地は通信機を切り、
部屋の入り口に姿を現した。
突然の侵入者に対して
警戒するヒュパティアに、
大地は両手を挙げて
敵意がないことを示した。
「外の連中が、
金貨をばら撒いて
あんたを探させている。
俺が護衛する。
あんたは授業を続けてくれ」
それから三日間、
ヒュパティアは焦る様子もなく、
子供たちに
数学や星の動きを教え続けた。
そして、運命の四日目の夕刻。
金に目の眩んだ暴徒たちが、
ついに地下への隠し扉を見つけ出した。
何百という暴徒の松明に囲まれ、
扉が破られる。
大量のパピルスが燃える強烈な匂いが
館内に充満し始めた。
「あなたも一緒に逃げましょう!」
ヒュパティアが叫ぶが、
大地は首を振った。
「全員で固まって動けば
すぐに見つかる。
俺が囮になる」
「なら、私も残ります。
私が奴らの目当てですから」
二人は地上へ出ると、
大通りに停まっていた
二頭立ての馬車の荷台へ飛び乗った。
「そいつらは悪魔だ!
引きずり出せ!」
暴徒たちが二人に気づき、
怒号を上げて殺到してきた。
「手綱に掴まれ!」
大地は手綱を激しく振り下ろした。
怯えていた二頭の馬が嘶きを上げ、
暴徒の群れを強行突破して
石畳の通りを猛スピードで駆け出す。
荷車や略奪品が散乱する市街地を、
馬車は火花を散らしながら爆走した。
車輪が石畳の段差で跳ねるたびに、
馬車全体が大きく揺れた。
後ろを振り返ると、
何台かの馬車に乗り合わせた怪しい男たちが
猛烈な勢いで追走して来ているのが見えた。
レプティリアンの暗殺部隊だ。
一人の男が馬車から飛び上がり、
大地たちの馬車の後部にしがみついた。
男は短剣を引き抜いて、
ヒュパティアへと迫る。
「くそ、マジでしつこいな!」
大地は手綱を片手で固定し、
振り返りざまに男の腕を弾き飛ばし、
そのまま胸板を力任せに蹴り落とす。
だが、馬車の前方には
堅牢な石壁が迫っていた。
「飛び降りろ!」
大地はヒュパティアの腰を抱き寄せ、
馬車が壁に激突する直前に、
市場の天幕へと身を投げ出した。
分厚い布の山に転がり込んだおかげで、
衝突時の衝撃はいくらか和らいだ。
馬と切り離された馬車の車体は、
石壁に激突して木端微塵になり、
追って来ていたレプティリアンたちは
その瓦礫の下敷きになった。
もうもうと土煙が舞う中、
大地とヒュパティアは路地の奥にある、
廃墟となった神殿の地下室へと
身を滑り込ませた。
外の狂騒が、
遠くのくぐもった音に変わる。
「……助けてくれて、感謝します」
ヒュパティアは乱れた衣服を整えながら、
一本の太い金属製の円筒を取り出した。
「これは星図といって、
私がずっと研究している貴重な書物です。
これをあなたに託します」
大地は金属の筒を開け、
羊皮紙に描かれた複雑な図面を取り出した。
「古い文献の断片から書き写したものですが……
どう計算しても、
現在の天球のどこにも当てはまらないのです」
大地は腕の端末を操作し、
その図面を光学スキャンした。
それは星図ではなかった。
『……氷に覆われる前の、
古代の南極大陸。
そして、地殻の深奥にある巨大な空洞、
地底世界アガルタへの座標』
通信が回復した水原の声が、
微かに震えていた。
『レプティリアンたちの
『巣』の入り口よ』
大地が立ち上がると、
ヒュパティアも静かに立ち上がった。
「あんたも未来へ来い。
ここに残れば、
確実にあいつらに殺されるぞ」
大地は手を差し伸べた。
だが、ヒュパティアは微笑んで、
静かに首を振った。
「私があなたと一緒に
忽然と姿を消せば、
暴徒たちは血眼になって
街中を探し回るでしょう。
あの子供たちも、
捕まって拷問されるかもしれない」
「それに、私の知識は
すでに彼らの頭の中に蒔かれました。
何百年かかろうと、
彼らが引いた線が、
いつか世界を測るはずです」
大地は無言のまま、
彼女の目をしっかりと見つめ返し、
深く頷いた。
遠くから、暴徒たちの
けたたましい足音が近づいてくる。
「この街の地下は私の庭。
そう簡単には捕まりません」
ヒュパティアは静かに微笑むと、
松明を持たずに
暗闇の奥へと身を翻した。
その瞬間、
大地の身体は青白い光に包まれ、
この時代から姿を消した。
燃え上がるアレクサンドリアの熱気が、
光の奔流と共に視界から遠ざかっていった。
◆
視界を包んでいた光が収まり、
滑らかな床の感触が戻る。
2156年の時間管理局の転送室。
「……無茶苦茶なバイタル値ね。
それで星図は回収できたの?」
ドアが開き、水原が歩み寄ってくる。
相変わらずの無機質な黒いコート姿と、
感情の読めない涼しげな目。
「ああ。回収した」
大地は端末のデータを送信しながら、
ふと、彼女の背後にある
ガラス窓の外へ目を向けた。
街を行き交う人々は、
相変わらず虚空を見つめ、
無言で一定の歩幅で歩いている。
だが、一人の老人が、
手から杖を取り落としたのが見えた。
大地が思わず息を呑んだ次の瞬間。
通りすがりの男が、
ごく自然な動作で足を止め、
杖を拾って老人に手渡したのだ。
老人は軽く会釈をし、
男もわずかに頷き返して歩き出した。
システムから見れば、
数秒の「遅れ」というノイズ。
だが、以前の、
人が転んでも誰も助けなかった街から、
何かが変わっていたように思えた。
「……どうかしたの?」
呆然と窓の外を見つめる大地を、
水原が不思議そうに覗き込む。
その顔立ち自体は以前と変わらない。
だが、大地の怪我だらけの頬を見る
彼女の眼差しには、
以前のような張り詰めた氷のような冷たさが、
ほんのわずかだけ和らいでいるように見えた。
気のせいかもしれない。
だが、大地は
煤だらけの顔で、少しだけ笑った。
「いや。いい授業だったと思ってな」





■注釈:アレキサンドリア図書館の火災事件
これは有名な話で、映画になっていたりもするんですか、
宗教絡みということで、いろいろな説があって、
無かったことにしょうとしている人たちもいるようです。
結論から述べると、
分館に対する襲撃事件は史実であり、
(映画だと、たしか黒煙が立ち上っていた。)
書物も奪われたという記録があるようです。
事件から約20年後(ヒュパティアが亡くなったのと同じ415年頃)に
アレクサンドリアを訪れた、パウルス・オロシウスという
キリスト教徒の歴史家が残した非常に重要な記録があります。
彼は著書の中でこう記しています。
「今日、神殿の中には書物の棚(本箱)が存在し、私自身もそれを見た。
そして、それらの神殿が略奪されたとき、
我々の時代に、我々の仲間(キリスト教徒)によって
それらが空にされたと聞かされている」
該当箇所: 第6巻 第15章 第31節
オロシウス(西暦415年以降に死去)は
聖アウグスティヌスの友人であり、
異教徒を悪く描くことを意図した
『異教徒に対する歴史』を著した 。
そのため歴史家としては役に立たないが、
彼が同胞のキリスト教徒が清廉潔白ではなかったことを示唆する発言、
つまり彼のいつもの偏見に反する発言をした場合は、
真剣に受け止める必要がある。
大図書館に関する彼の余談の中で、
彼は目撃証言であり、
同胞のキリスト教徒が間違っていることを示唆する
重要な発言をしている。
彼は「…神殿には我々自身が見た書庫があり、
これらの神殿が略奪されたとき、
我々の時代の我々の人間によって
空にされたと伝えられている」
と述べている。
(中略)
オロシウスの記述から、
キリスト教徒が一部の神殿から
書物を持ち出したことは推測できますが、
それ以上のことは分かりません。
書物が破壊されたとは明記されていないため断言できませんし、
彼がどの神殿について話しているのか、
誰が責任者だったのかも分かりません。
しかし、セラピウムについては
言及していないことは確かです。
なぜなら、すべての資料が
セラピウムは完全に破壊された
と証言しているからです。
http://www.bede.org.uk/library.htm#:~:text=Paulus%20Orosius%20%2D%20History%20against%20the%20Pagans.,Great%20Library%2C%20he%20says%20something%20of%20significance
オロシウスは「大火災で燃やされた」とは書いていませんが、
「キリスト教徒が神殿から本を略奪し、棚を空っぽにした」ことは
はっきりと記録しています。
というわけで、
以下の2つは、おそらく史実ということです。↓
・391年のセラペウム破壊
・415年のヒュパティアの悲劇的な暗殺
ちなみに、この「火災は無かった」という話を
最近とりあげた「チャンネル桜」の水島さんは、
その昔、「フィリピンチャンネル」
とかいうをやってましたね。
フィリピンにはキリスト教徒が多いそうで、
それに関連してか、その昔、
壁のロザリオが話題になったことがあって、
某宗教団体との関連を指摘する声もありました。
実際、小田村四郎さんなんかは
やってらっしゃったみたいですが、
本家本元のロマカトからすると
異端扱いになってるみたいですね。
