「夢は叶えた。でも、選び直した」
当時の夢を、ふと振り返ることがある。
高校生の頃、私はこう思っていた。
「大阪で、ろう学校の先生になりたい」と。
今思えば、その夢は少し形を変えて、
“半分”叶っている。
いま、私は大阪にいる。
前職では、ろう高齢者施設で働いていた。手話を使って、同じ障害を持つ人たちと関わる仕事。
「ろう学校の先生」ではなかったけれど、
手話を使って、同じ障害を持つ人を支援したいという思いは、確かに叶っていた。
そして、今。
多機能型事業所で、児童指導員として働いている。
障害のある子どもたちと関わる仕事に就いている。
「障害のある子どもと関わりたい」
その夢も、形を変えて叶っている。
でも、ひとつだけ違うことがある。
ろう学校の先生には、なっていない。
そして今はもう、なりたいとも思っていない。
理由はシンプルで、
「教える」ということが、自分には難しいと思ったからだ。
授業をする。
人に何かを伝える。
それを仕事にするイメージが、どうしても持てなかった。
社会人になって、自分のキャパを知った。
できることと、できないこと。
向いていることと、向いていないこと。
その中で、「やらなくてもいい」と思えた。
でも今、形を変えて“教えること”に関わっている。
多機能型事業所で、レクリエーションをしている。
一見すると遊びに見えるかもしれない。
でも、ただの遊びではない。療育だ。
教科書はない。
正解もない。
だからこそ難しい。
何がその子にとっていいのか、
どこまで関わるのが正解なのか、
毎回手探りでやっている。
それでも、
「あ、今うまくいったかもしれない」と思える瞬間がある。
その時の嬉しさは、思っていた以上に大きい。
授業をすることはできないと思った。
でも今は、違う形で誰かと向き合っている。
夢を諦めた、というよりは、
選び直した、という感覚に近い。
最初に思い描いていた形とは違うけれど、
これもひとつの「叶い方」なんだと思う。
あなたは、昔思い描いていた夢を、
今もそのまま追い続けていますか?
それとも、どこかで「選び直した」経験がありますか。
同じように、途中で選び直した人に届いたら嬉しいです。
良かったらコメントください!
今回の記事は高校生の時の弁論大会の記事がもとになっています。
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