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「難聴でよかった」と書いた高校生の私へ

あの頃の弁論は、もう書けない

高校生のときに書いた弁論大会の文章を、久しぶりに読み返した。

一番最初に出てきた感想は、意外なものだった。

「綺麗すぎる」

完成度は高い。
でも、どこか現実味がないくらい整っていた。



当時の私は、先天性感音性難聴で、右耳に人工内耳をつけていた。

聞こえ方を言葉にするなら、
「飛行機の爆音が、人のささやき声に聞こえるくらい」。

そんな世界の中で生きていた。



この弁論は、その中で書いたものだ。
(原文そのまま記載します)


私は先天性感音性難聴です。
聴力は、飛行機の爆音が人のささやき声に聞こえる程度です。
だから、右耳に人工内耳を付けています。

こう聞くと、多くのひとは障がいを抱えて大変だなと感じるそうです。
しかし、私はこの障がいのおかげで見つけられた夢が二つあります。

一つ目は特別支援学校の先生になることです。
この夢を持つようになったきっかけは、小学5年生の夏、難聴の子どもたちを対象にしたキャンプに参加したことです。

キャンプでは福岡教育大学の方がスタッフとしてお世話してくださいました。
そのスタッフの中に障がいが重くうまく話せない方がいました。

そのスタッフの方は、私に
「ろう学校の先生になって人の役に立ちたい」
という夢を話してくださいました。

そして二年後、夢を実現されました。
私は、自分の力で夢を実現されたことに大きな感動を覚えました。
そしてろう学校の先生という職業に興味を持ち始めました。

もし、私が難聴ではなかったらこのスタッフの方に出会うことはなかったと思われます。
だから、私は将来の夢を決めるきっかけとなった難聴という障がいをもって生まれたことに感謝すべきだと思っています。

障がいをもった人でもいい所があります。
私は一人ひとりの個性を認めて伸ばしていける先生になりたいです。

二つ目の夢は、障がいを持つ人に対する差別をなくして少しでも悲しい思いをする人を減らすことです。

今までの人生を振り返ると今でも忘れられない出来事があります。
その出来事が起きたのは、小学三年生の時です。

当時、小学四年生の人から
「おい人工内耳!」
「耳が聞こえんとかキモイよ」
とか毎日のように言われていました。

一つ下の二年生も真似してきます。
私は悔しくて悔しくて涙が出ました。

最近バリアフリーということで街中では段差がなくなったりしていますが、心のバリアフリーはできていると思いますか?
障がいを持つ人は特別というわけではありません。

どんな人でもその人にしかできないなにかをもっていると思われます。

私と同じように悲しい思いをしている子どもたちの話を聞いたこともあります。
身体面で劣った人に対していじめは卑怯です。

絶対に絶対に許しません。
いじめた人が謝ってもすむ問題ではないのです。
いじめた人がもう二度としないようにこれから努力します。

この二つの夢は耳が聞こえていたら持つことはおそらくなかったでしょう。
ですから難聴で本当に良かったです。

私は○○高校の三年間でしたいことがあります。

一つ目は勉強と部活の両立です。
勉強をコツコツとしていき、志望する大学に合格したいです。
部活動では、技術とともに人間性も高めていきたいです。

二つ目は思いやりのある優しい人になることです。

中学一年の冬休み、バスケットボール部で一対一の練習をしていたとき、人工内耳の部品がどこかへ飛んでいってしまいました。

近くにいた一人の仲間に事情を話し、一緒に探していると仲間たちの声が聞こえなくなりました。
不思議に思って顔を上げると信じられない光景を目にしました。

練習を中断してまで先輩方や仲間たちが私のために探してくれていたのです。
一人の仲間にしか言っていなかったのにとても驚きました。

困っていることにさっと気づき行動に移してくれたことがとても嬉しかったです。
私はこれからも感謝の気持ちを忘れずに生きていきます。

大学を卒業したらスタッフの方のように大阪で自分の夢を叶えるつもりです。

最後に皆さんにお願いがあります。
障がいを持つ人がいたら一声かけてあげてください。

障がいを持つ人は声をかけられるだけで不安な気持ちがなくなり安心するでしょう。

戸惑わずに声をかけて、困っていたらお手伝いしてあげて下さい。

最後に夢は叶うと信じ私は努力します。
皆さん応援よろしくお願いします。

県立高校 校内弁論大会原稿(優勝作品)





夢は二つあった。

一つは特別支援学校の先生になること。
もう一つは、障がいによる差別をなくすこと。

いじめられた経験も、出会った人の言葉も、
全部がそのまま動機になっている。



でも今読み返すと、不思議な感覚になる。

言葉は整理されすぎていて、
苦しさも怒りも感動も、きれいに並んでいる。

まるで「完成された物語」みたいだ。

でも当時の自分の感覚は、たぶんそんなに整っていなかった。

もっと曖昧で、もっと混乱していて、
うまく言えない部分のほうがずっと多かったはずだ。



そしてもう一つ、はっきり思ったことがある。

今の自分は、この文章を書けない。

同じように言葉を並べることはできても、
同じ感覚の中ではもう書けない。

あの頃の揺れの中には、もういないからだ。



だからこの弁論を読むと、少し距離を感じる。

あの頃の自分はもういない。

それが一番しっくりくる。

でも同時に、消えたわけでもない。

経験としては残っていて、
今の自分の考え方や視点の中に形を変えて生きている。



今は、それを無理に意味づけしないでおこうと思う。

ただそこに、過去の自分の言葉として置いておく。

それだけで十分だ。

あなたにも「今はもう書けないけど、昔は書けた言葉」ってありますか?
コメントで教えてください。

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