見出し画像

【HSP/AC】その「生きづらさ」、実は人より早く気づける能力かもしれません。

※この記事は2026年7月3日に加筆・更新しました。

「この資料、たぶん誰も読まないよな」

そう思いながら、当時の僕は頼まれた資料の続きを打っていました。中身のほとんど同じメールを、宛先だけ変えて何度も送る。「これ、いる?」がひとつ浮かぶたびに、胸の奥で引っかかる小さなトゲ。

まわりはみんな、平気そうな顔で手を動かしている。なのに、自分だけがどこかで息を止めている。——この感じ、きっと自分の欠陥なんだろうな。当時の僕は、ずっとそう思っていました。

でも今は、少しだけ見方が変わってきたんです。

なぜ自分だけ、この空気が苦しいんだろう

その違和感は、最近始まったものじゃありませんでした。働き始めた頃から、心のどこかにずっとあった感覚。昔はもっと小さくて、見ないふりができていただけ。

意味の薄い作業、複雑になりすぎた手順、誰のためかわからない「やること」。それがひとつ増えるたびに、当時の僕の呼吸は浅くなっていく。周りが気にも留めない小さな「おかしさ」に、身体のほうが先に反応してしまうんですよね。

周りが流せることに、自分だけ引っかかってしまう。それを長いあいだ、直すべき"欠陥"だと決めつけていました。 なんで自分だけ、こんなに引っかかるんだろう。もっと鈍感になれたら、どんなにラクだろう。当時はそればかり考えていた気がします。

生きづらい人は、職場の「カナリア」だった

ずいぶんあとになって、ひとつの見方にたどり着きました。生きづらい人って、炭鉱のカナリアみたいなんじゃないか、と。

昔、炭鉱では毒ガスを察知するためにカナリアを連れて入ったそうです。人間より先に、カナリアが苦しくなって鳴く。それが「この空気はおかしい」という合図になっていたんですよね。

たぶん、あの頃の僕もそうでした。足し算ばかりの環境、意味の薄い仕事、複雑になりすぎた仕組み。その「おかしさ」に、誰よりも先に、身体で反応してしまう。本人はただ、しんどいだけなんです。

鈍いから苦しかったんじゃなくて、人より早く空気のおかしさに気づいてしまうから苦しかった。 本のなかでは、これを「高感度アンテナ」と呼びました。タフな人なら受け流せる微弱なノイズまで、繊細な人のアンテナは拾い上げてしまう。

つまり、生きづらさは欠陥じゃなくて、感度なのかもしれない。そう思えたとき、少しだけ肩の力が抜けた気がしたんです。

気づいてしまったら、もう戻れない

ただ、カナリアには厄介なところもあります。一度おかしさに気づいてしまったら、もうその場所では平気でいられない。

「これ、おかしいよな」と感じてしまったものを、もう一度「まあ、いいか」には戻せない。当時の僕も、ずっと蓋をしてきた違和感が、ここまで育ってしまったら、もう見なかったことにはできませんでした。

正直、それはこわいです。気づかないままのほうが、ラクだったのかもしれない。——でも、と今は思い直します。しんどさを「痛み」として感じられるのは、麻痺がとけてきた証拠なんだろうな、と。何も感じないふりをして生きるより、こわくても気づいてしまうほうを、僕は選びたいんですよね。気づくことは、たぶん変化の入り口でもあるから。

その繊細さは、弱さじゃなくて、感度の証。 ずっと自分を責める材料にしてきたものが、いつか少しだけ、味方に変わっていく気がしています。

最近、まわりが気にも留めない小さな「これ、おかしいかも」に、ひとりだけ引っかかったこと、ありませんでしたか。それはたぶん、あなたのアンテナがちゃんと働いている合図です。そんな小さな引っかかり、ひとつ思い出せたら教えてもらえるとうれしいです。


あわせて読みたい

その感度が、いつのまにか「人にどう見られるか」ばかりに向いてしまう——そんな疲れに心当たりがある方へ。人の目が気になるのは弱さではなく、身につけてしまった反応なんだと、肩の力が抜ける一本です。

「気づいてしまう自分は、集団の中でうまくやれないのかも」と感じたことのある方へ。群れるのがしんどいのは弱さじゃなく、深いつながりを選ぶ感度の裏返しなんだと思えてきます。

その「感度」との付き合い方を、一冊にまとめました。生きづらさを綴っていたら、いつのまにか本になっていた——その報告と、読んでくださった方の声を書いています。


僕のこと

📌プロフィールはこちらから

🗺️サイトマップはこちらから


いいなと思ったら応援しよう!