第2回 黒曜石が結んだ縄文ネットワーク―諏訪は「山の文明」の中心だったのか
白山登山をした後、私の関心は再び諏訪へ向かいました。
この一帯は、日本でも有数の黒曜石の産地です。
縄文時代、黒曜石は単なる石ではありませんでした。
鋭利な刃物や矢じりを作るための貴重な素材であり、
現代でいえば鉄にも匹敵する重要な資源だったと言われています。
驚くのは、その黒曜石が北海道から九州まで運ばれていたことです。
当時の人々は、想像以上に広い範囲で交流していました。
では、諏訪は単に黒曜石を産出する場所だったのでしょうか。
それとも、人や物、情報が集まり、
再び各地へと広がっていく「交流の拠点」だったのでしょうか。
もし後者だとすれば、
諏訪は日本最古の「山の文明」の中心地の一つだったのかもしれません。
黒曜石とともに運ばれたのは、石だけではありません。
山を越える道、人と人とのつながり、暮らしの知恵、祭りや祈りの形まで、一緒に行き交っていたのではないか――そんな想像が膨らみます。
もちろん、これは私の夢想です。
しかし、尖石遺跡や井戸尻遺跡を歩いていると、
そんなことを考えずにはいられませんでした。
そして、この旅では思いがけず、
もう一つの「ネットワーク」についても考えさせられました。
長和町、立科町、茅野市のデマンド交通について、
それぞれの自治体に問い合わせてみたのです。
制度そのものはよく考えられていました。
しかし、自治体ごとに仕組みが異なり、
境界を越える連携は十分とは言えませんでした。
私は今でも自分でマイカーを運転し、
行きたい場所へ自由に出かけています。
しかし、諏訪周辺を広域に巡ろうとすると、
公共交通の不便さが目につきます。
長和町の黒曜石体験ミュージアムから、茅野市、諏訪市、
そして下諏訪町まで公共交通で移動できないかと調べてみました。
しかし、あと少しのところで交通が途切れてしまうのです。
もちろん、行政には行政の事情があります。
住民の生活を守ることが最優先であり、
予算や制度上の制約もあるでしょう。
それでも、縄文人が黒曜石を携えて山を越え、
人と文化を結んでいたことを思うと、現代の私たちも、
もう少し地域を越えて「つながる」ことを考えてもよいのではないか、
と感じました。
諏訪市、茅野市、下諏訪町、立科町、長和町。
もしこの地域が広域で交通を考えることができれば、
諏訪大社四社参りはもちろん、黒曜石の産地、縄文遺跡、
白樺湖や蓼科高原を巡る旅も、
車を運転しない人にとって身近なものになるはずです。
古代には東山道が人や文化を結びました。
そして縄文時代には、それよりさらに古い黒曜石のネットワークが、
日本列島を結んでいたのかもしれません。
(東山道のショートカットルートとして、”須芳山嶺道”といわれる道が、諏訪周辺の幹線道路だったかもしれない。)
そんな歴史に思いを馳せながら、
「現代にも、新しい東山道があってもいい」。
旅を終えた今、そんな夢想をしています。
第3回は、「ミシャクジは縄文から続くのか―諏訪に残された信仰の深層」
のタイトルで寄稿予定です。
