息子に「○太郎」と名付けようとして親戚一同から総スカンを食らった話
私は、自分のライターネームである「こいたろう」という名前を、本当は息子の名前にしたかった。
もちろん、ふざけていたわけではない。親として大真面目に、そして熱く深い理由があってのことだ。
京都の金閣寺に「龍門滝(りゅうもんたき)」という名所がある。高さ約2.3メートルの滝つぼに「鯉魚石(りぎょせき)」と呼ばれる石が置かれており、激しい滝を登りきった鯉が龍になるという中国の故事「登竜門」を表現した庭園だ。
「どんな困難や試練にもめげず、泥臭く滝を登り詰めて龍になるような、強い男に育ってほしい」
そんな熱い願いを込め、私は息子の名前に「鯉太郎(こいたろう)」を提案した。漢字も完璧、ストーリーも完璧。親としての最初の感動的な大仕事になるはずだった。
……しかし、いざ我が子が生まれ、命名の儀でこの想いをプレゼンした瞬間、事態は急変する。
そこにいた親戚一同から、怒号に近い大反対のブーイングが巻き起こったのだ。
「お前は何を言っているんだ? 正気か?」
「そういう話ならば、『龍太郎』のほうがいいだろ!」
「『釣りバカ日誌』のハマちゃんの息子じゃねえか!」
賞賛と感動のパパプレゼンになるはずが、まさかの誹謗中傷の嵐。私の感動的なストーリーは、「釣りバカ」の一言であっさりと打ち砕かれた。
ところで話は逸れるが、「生まれたばかりの赤ちゃんの顔を見たら、ぴったりの名前がふっと浮かんでくる」という感動的な話をよく聞く。
私も生まれたばかりの我が子の顔をじっと見つめてみた。
……「うーん、お猿さん?」
命がけでお腹を痛めて産んでくれた妻には大変申し訳ないが、直感的に浮かんだのはどう見てもお猿さんだった。
そんな「お猿さん」を前に、私は諦めずに「鯉太郎」の素晴らしさを熱弁し続けた。しかし、誰一人として賛同してくれる者はいない。全滅である。
追い詰められた私は、最後の一人にすがることにした。
20年間の奇行と、時を超えて伏線を回収した息子の生き様
私には、最終兵器とも言える最強の味方がいた。ビッグドン、祖母である。
祖母は私が小さい頃から、どんな時も味方でいてくれた優しい人だ。その絶大な発言力は、親戚一同の決定すら一瞬でひっくり返す権力を持っている。
ひ孫を見に来てくれた祖母の前に座り、私は金閣寺の登竜門のくだりを、心を込めて一から説明した。
「ばあちゃん、きっと分かってくれるよね?」と縋るような気持ちで言った。
しかし、祖母から返ってきた言葉は、残酷なまでに他の親戚と同じだった。
「はぁ〜、お前も父親になったんだから、もうちょっとまともなことを言えんかね」
最強の味方に即切りされたことで、私の敗北は完全に決まった。
こうして息子の本名は、ごくごく普通の、どこに出しても恥ずかしくないオーソドックスな名前に落ち着くこととなった。
普通なら、ここで物語は終わりである。しかし、私は往生際が悪かった。
どうしても「鯉太郎」という名を諦めきれなかった私は、その後の20年間、息子のことをずっと「鯉太郎」と呼び続けるという奇行に走ったのだ。
親から子へ贈る人生の節目の手紙でさえ、出だしは当然「鯉太郎へ」である。
周囲の反応は悲惨なものだった。はじめは親戚も友達も家族も、「この父親は何を言っているんだ……」と引きつった顔をしていた。しかし、人間とは恐ろしいもので、20年も同じ奇行をやり続けると、だんだん周囲が慣れてくるのだ。
「ああ、これはもう、お父さんの譲れない意地なんだな」はまだ好意的。
「ああ、あの人はクレイジーパパなんだな」大部分はこちらであった。
いつしか全員がそれを自然なこととして受け入れ、私の「鯉太郎呼び」は日常風景へと溶け込んでいった。
そして、当の息子はどうだったか。
彼は幼少期から「父親に鯉太郎と呼ばれ続けている自分」をすっかり受け入れ、小学生くらいになると、それを自分の一番の鉄板持ちネタとして友達に披露するようになった。
「うちの親父、俺が生まれたとき『鯉太郎』にしようとして親戚全員から無視されたんぜ。」
そう言って学校で大爆笑を取っているらしい。
そして物語は、ここで終わらない。
時が流れて成長した息子は、大学生になり、京都の大学に進学したのだ。
京都に引っ越した彼が、真っ先に向かった場所はどこだったか。
そう、すべての元凶であり、彼の「裏の名前」のルーツである金閣寺だった。
息子は金閣寺の「龍門滝」の前へと立ち、滝を登ろうとする鯉魚石をバックに写真をパシャリと撮影した。そしてその写真を、友人たちや、かつて「鯉太郎」を大反対したあの親戚一同のグループラインへと一斉に送りつけたのである。
20年間の父親の不出来な奇行すらも、時を超えて最高のエンターテインメントとして昇華し、見事に伏線を回収してみせた息子。
やはり彼はどこまでも逞しく、ポジティブの塊のような愛すべき男である。
※現在は京都でロードバイクを乗り回している息子です。
