ドロップ! ~ひったくったのは殺人の証拠物品でした~ 【7】
【7.都倉圭介】
「……っあ~……どうしたらいいのか、全然わっかんね……」
あとはまかせた。きみならできる。
都倉は事務所の入ったビルの路地裏に座り込んで頭を抱えた。ここで初めてバッグの中を見たのが遠い昔のように感じる。
「里見くんは、何をしようとしていたんだろうな」
「警察がいて事務所の中に入れませんね……」
「わかんねえ……里見がいなくちゃ、俺なんにもできねえよ……」
弁当の入ったレジ袋を置きながら奥森が背中をさすってくれる傍ら、志波が都倉の肩に手を置いた。
「……里見くんがいないからもういい、なんて言わないよな?」
「助けたいよ! 里見も、月宮ちゃんも助けたい……っでも、どうしたらいいかわかんねえ……!」
アスファルトの水玉模様だけが虚しく増えていく。背中に置かれた奥森の手がぴたりと止まった。
「……やめましょうか、もう」
奥森は朝焼けを見つめていた。
「僕が自首すれば、里見さんはきっと釈放されます。都倉さんは泣かなくてすみます。もう誰かが巻き込まれたり、傷ついたりするところ、見たくないんです」
「ダッ……ダメダメダメ!」
都倉は急いで首を振った。
「そんなのぜってぇヤダ! おっくんには笑ってお日様の下歩いててほしい!」
ばちんと自ら頬を叩く。
「っあー……俺、どうかしてた。そうだよ、やられっぱなしじゃいられないよな」
「……ふ」
志波が静かに笑う。
「俺、なんかおかしいこと言いました……?」
「いや。きみは……彼女のことを、助けたいって言ってくれるんだな」
「あ……すみません。不謹慎でしたよね」
「逆だ。なんだか嬉しかったんだ、その言い方が」
コンビニの袋から、片腕で器用に弁当が地面に置かれていく。飲み物は奥森が並べ終えたところで、都倉は改めて二人を見た。
「えっと……あの、俺と一緒に、二人を助けに行ってくれませんか」
志波と奥森が笑って頷く。それから三人で手を合わせた。
「それじゃ」
「はい」
「いただきます……!」
低い位置にある弁当に四苦八苦しながら、五人分のそれを三人でつつく。箸を伸ばしてトンカツをゲットし、都倉はぼやいた。
「でもなあ~……俺バカだから、実際いい方法思いつかねえや」
「いいんですよ、里見さんと同じやり方じゃなくても。都倉さんのやり方で」
「里見くんもそれを分かってきみに託したんだろうしな」
「うーん……じゃあ直談判? 乗り込む、とか?」
もぐもぐと肉も思考も咀嚼したところで肩を落とす。
「でも普通に行ったらそんなん門前払いだよなあ……」
「……それなら俺に考えがある」
志波がスプーンでチャーハンをすくっていた手を止める。地面にバラバラと落ちている米粒を見て、都倉と奥森はそれぞれ声をかけた。
「あの……ペットボトルの蓋、開けておきますね。すんません、気がつかなくて……」
「……僕、あーんとかしましょうか?」
「それはいい」
「──ええ、はい。そういうことですので、そちらのご都合がよろしければ今からでも……はい、かまいませんよ。ええ、では伺わせていただきます」
志波は通話を切ると、貼り付けていた営業スマイルを消した。
「……簡単なことだ。保険金が下りるようになっただとか言えば、奴は食いつかざるをえない。二人は俺の付き添いってことにしておいたから、屋敷に入るまでは顔を見られないようにしてくれよ」
「うわ、スーツとか着んの久しぶり……」
志波が用意してくれたスーツに袖を通して、都倉たち三人は月宮邸に向かって人通りの多い昼の街を歩いた。道行く人がちらちらと振り返る。
「僕、こういう服ってあんまり着慣れてなくて……きちんとした会社の人に見えてますかね?」
「いや……どっちかっていうと、これはアレっしょ」
志波の用意したネクタイの色は黒だった。都倉の視線を感じたのか、志波がこちらを見ずに呟く。
「別に、礼儀を欠いた色じゃないだろ」
「……そうすね」
月宮邸の門扉が目前に迫る。固く閉ざされたそこは、前に立つだけで威圧感があった。脇に備え付けられたインターホンを鳴らすと、使用人らしき若い女性が応対に出た。
『どちら様でしょうか。御用件をお伺いいたします』
「お世話になっております。○△保険の志波です。源信様にご相談があって参りました」
『承っております。正面玄関までお越しください』
無機質なやり取りの後、重そうな門が開く。屋敷までは一本道だ。途中にある庭園は春だというのに花は一つも咲いていない。今の都倉の目にはそれが物悲しく映った。
「前来たときは、気になんなかったな……」
一度目は初めに里見と忍び込んだとき。二度目は源信から里見と食事に招待されたとき。行きも帰りも里見が隣にいた。
「ようこそいらっしゃいました。志波様ですね」
インターホンで聞いた声にはっと顔を上げる。使用人の女性が玄関の扉を開けて待っていた。
「今日はお一人じゃないんですね?」
「ああ……この時期なもので。この春ウチに入社した新人ですよ」
「まあ、そうでしたか」
「はは、お恥ずかしい話、まだ研修に慣れていなくて。あんまりジロジロ見ないでやってください」
志波のおかげで都倉はそそくさとその場をやり過ごすことに成功したが、奥森が女性の前を通り過ぎようとすると、女性はふと首を捻った。
「あら? あなた……」
ぎくりと奥森が固まる。女性の手が奥森の肩に触れようとしたそのとき、屋敷の中から都倉を呼び止める声があった。
「あれ? オマエ──」
振り返って、都倉は咄嗟に距離を取った。
「あっ!? お前ら、なんでここに……!」
玄関の広間に、財閥の邸宅とは不釣り合いな連中が次々と現れた。顔ぶれには見覚えがある。昨夜、里見と都倉を連れ去った集団だった。
「なんでってトーゼンだろ。ここがオレたちの根城なんだからよ」
まるで傭兵の詰所のように続々と集結してきている。都倉はじりじりと後ずさった。
「悪いけど、お前らの相手してる暇はねえんだよ……!」
「つれないこと言うなよ、テメーにはムカついてたんだ。オラ、お前ら! 昨日の続きだ!」
わっと駆け寄られ仕方なく臨戦態勢をとった都倉の脇を、混乱に乗じて奥森がするりと通り抜けた。
「都倉さん志波さん、こっちです!」
絨毯の敷かれた階段を駆け上がりながら、奥森は振り返らずに言った。
「このまま、旦那様の部屋までご案内します……! ついてきてください!」
だだっ広くどこを進んでも同じような景色が続く屋敷の中を、奥森は迷うことなく駆け抜けていく。追いかけてくる敵を振り切りながら、都倉は思わず口笛を吹きそうになった。
「おっくん、やる~!」
「僕だって、皆さんのお役に立ってみせます……!」
「馬鹿言うな。奥森くんはずっと役に立ってくれてるよ」
途中で追いつかれそうになったときは都倉と志波でうまく捌きながら、三人は屋敷の上へ奥へと進んでいった。しかし、どこから湧いてくるのか追手の数はどんどん増えてくる。
「……旦那様は、きっとこの先にいらっしゃいます」
もう何度目か分からない階段を駆け上がって、息を切らした奥森がふいに立ち止まる。そこはやや広い空間になっていて、伸びた廊下の突き当たりに一際装飾の豪華な扉が見えた。
「よっしゃ! おっくん、志波さん、急ごう!」
「……いや」
駆け出そうとした都倉に、志波は視線を向けなかった。
「やっと追いついたぜ! テメェら、今度こそボコボコにしてやらあ!」
そこにドタバタと品のない足音を立てて、大勢の追手が我先にと階段を上がってくる。志波が奥森を見て頷いた。奥森も頷き返す。
「なあ、二人とも何やってんだよ? 早く──」
奥森がゆっくりと拳を振り上げ、横の壁を叩き割った。
──ジリリリリリリ!
けたたましい警報ベルに続き、機械音声が流れる。
『防火シャッターが作動します。付近の皆様はご注意ください。繰り返します。防火シャッターが──』
ガタガタと音がして天井からシャッターが下りてくる。都倉が呆然とそれを見上げていると、志波から肩をトンと押された。
「……シャッターが閉まるまで約三十秒。先に行ってくれ都倉くん。ここは俺たちで食い止める」
わけがわからず、ぶんぶんと首を振る。
「え……? じゃ、じゃあ俺が残ります! 二人がこの先に……!」
「この先にも誰かが待ち構えていたら、僕たちじゃ対応しきれません。一人でも十分戦える都倉さんじゃないと」
下りかかったシャッターの向こうで二人が振り返る。
「心配しなくても、俺たちは守らせたら結構堅いぞ」
「都倉さんも、ご存知じゃありませんか?」
逆光のせいで表情がよく見えないが、口元が微かに笑っている気がする。その口がばらばらに動いて、同じことを伝えてきた。
彼女を、どうか頼む。
お嬢様を、どうか頼みます。
「……っクソッ……!」
嫌味なほど一直線に伸びた廊下を、最奥に向かって都倉は駆け出した。
「……なんだね、騒々しい」
これが、ドアを開いて投げかけられた第一声だった。
「まあまあ、落ち着いてください先生。あれ、誰かと思うたら……」
高そうな調度品が溢れた部屋で、月宮源信と松風が机を挟んでソファに座っていた。源信は一瞥すらせず、松風がわざとらしく都倉に近づく。
「里見探偵事務所の『じゃない方』クンや~!」
ねっとりと、嫌味たっぷりに松風は言った。都倉の心臓がギシリと嫌な音を立てる。
「松風……」
「キミ一人? お仲間は?」
ニヤニヤと笑みを浮かべて、なおも松風は続ける。
「里見クンは? 今日はどうしたん?」
「松風……あんたが里見を売ったのか?」
「売ったやなんて! 人聞き悪いなあ。ボクはただ真実をお父様に言ってあげただけやで」
何がおかしいのか松風はケタケタと笑い、それからすっと目を細めた。
「里見クンのおらんキミに、一体何ができるん?」
ずっと、都倉自身そう思っていたところを突かれる。目の笑っていない松風を見るのは初めてだった。さらに源信が冷たく言い放つ。
「今さら何をしたところで、世間はきみの言うことに耳を傾けはせん」
耳が痛くなる台詞だった。思わず下を向いてしまいそうになるところを、ぐっと堪える。
「……そうだよ。誰も俺の言うことなんて信じてくれねえって、逃げ続けた結果がこのザマだ。俺が巻き込んじまった。里見は俺を助けてくれたのに……!」
「そもそも、きみは一体何なのかね? 首を突っ込んできて……」
「せや。関係あらへんやん」
「関係はある!」
突然大声を出した都倉に、部屋が静まり返る。全身の震えが止まらない。自分はずっとこれと向き合うことから逃げていたのだと、都倉はようやく理解した。
「……俺が、ひったくったんだ」
松風が訝しそうに片眉を上げる。
「なんやて?」
「あんたらの筋書きじゃ、里見が月宮ちゃんを殺したからその証拠を持ってたってことになってんだろ? でも実際は、俺が証拠をひったくって里見んとこに持ち込んじまったから、あれが事務所に置いておかれることになっちまった。防犯カメラとか確認すれば……俺がやったってこと、分かると思う。俺、そこまで気ぃ遣ってなかったから」
「……だから、里見くんは犯人じゃないと?」
源信が興味なさげに煙草に火を点ける。まるで真実などどうでもいいというふうだった。
「じゃあ一体、誰が薫子を殺したと言うんだね?」
「……月宮のおっちゃん。俺も、やっちまったことしらばっくれんのはもうやめる。あんたもいい加減、そういうのはやめにしてくれてもいいんじゃねえ?」
ゆっくりと源信が煙をふかす。くゆる煙の向こうで、鋭い眼光が光った。
「私ときみが同じだと? ハッ、何のことだね? 笑わせないでくれたまえ」
ジュッと音がして煙草が灰皿に勢いよく押し付けられる。
「ではこちらから問うが……きみがひったくった相手というのは誰だ?」
「おっくん……奥森くんだよ。あんたんとこの使用人の」
「ははあ! それではきっと彼が真犯人だ。きみの言うように、鞄を持って歩く彼の姿が街中の防犯カメラに記録されているだろう。彼が薫子を殺したに違いない」
「違う! そもそもおっくんには月宮ちゃんを殺す動機なんかねえ!」
「彼は薫子と仲が良かったからな。大方、恋慕の情でもあったんだろう。しかし、薫子には駆け落ちするほどの間柄の男が別にいた。それが許せなかったとは考えられんかね?」
「それも違え! 許せなかったのはあんただろ……!?」
「彼も哀れなものよ。どうせ殺すのなら男のほうを殺せばよかったものを。それならばまだ薫子と一緒になれたかもしれんというのに」
「もうやめろ……!!」
机を叩いた衝撃で、そこに乗っていたカップから中身が零れた。
「これ以上、おっくんと志波さんと月宮ちゃんを侮辱すんじゃねえ……!」
「私はあくまで推論を述べただけだ。感情に任せた暴力には感心しないね」
揺れる水面とは対照的に、源信は全く動じなかった。
「きみとは、私がこのために準備した手札の数が違いすぎる。お話にならない。帰りなさい」
新しい煙草に火が点けられる。源信はもう都倉から興味をなくしたようだった。
「里見くんもよくこの男に託したものだ。しょせん、ひったくりでは私に手は届くまい」
「っ俺のことはいくらでも悪く言ってくれていい……! でも、里見のことは馬鹿にすんな!」
「……遠吠えにしか聞こえないね。残念だ」
ゆらゆらと煙にその姿が巻かれていく。源信が殺人に関わっていたという決定的な証拠が引き出せない。都倉はもう一度机を叩いた。
「畜生、ちくしょぉ……ッ!」
しょせん、ひったくり、ひったくり、ひったくり。嫌な言葉がとぐろを巻いてぐるぐると頭の中を駆け巡ったとき、何かが引っ掛かった。
「……あれ? 月宮のおっちゃん、俺が『鞄』をひったくったって、なんで知ってんだ?」
ぴた、と源信が吐き出していた煙草の煙が止まった。
「あんたはさっき、街の防犯カメラには『鞄』を持ったおっくんが映ってるだろうって言ってた。でも俺は、『証拠』をひったくったとしか言ってない」
事実を確認するように、都倉は思ったことをそのまま静かに声に出した。
「松風は『証拠』が『鞄』に入った物だとは知らないはずだ。街でひったくられた物だなんて知らなかったんだから。だったら当然、松風から話を聞いたっていうあんたも、それは知ることができなかったはずなんだ」
「それは……想像で言ったまでだ。ひったくったと言うのなら大抵、鞄だろうと……」
先程までと違い、明らかに源信の歯切れが悪い。都倉は畳み掛けた。
「それを知ってんのは他でもない、あんたがおっくんに鞄を渡した張本人だからじゃねえの?」
源信が言葉を詰まらせる。松風がわざとらしくとぼけた声を出した。
「ボク、証拠がひったくられたんも、それが鞄やったのも初耳ですわぁ」
「貴様……どっちの味方だ」
「嫌やなぁ、そんな睨まんといてくださいよ。ボクはどっちにもええ顔しとるだけです。ただ、誰にも嘘は言うてません」
源信はこめかみを押さえてため息をつくと、慣れた手つきでスマホを操作した。
「……まあいい、しょせんこの場限りの話だ。きみたちの口を封じてしまえば話は終わる」
そして冥土の土産でも話して聞かせるかのように不気味な笑みを浮かべた。
「たしかに私は、娘を殺した。しかし、私にはまだまだ手札があるのだよ」
もう都倉と松風が生きてこの屋敷を出ることはないといった口ぶりだった。だが正直、焦りよりも悔しさが勝っていることに驚く。自分の生死より、やっと自白を引き出せたのにという感情のほうが強かった。
「くっそ……やっとここまできたのに」
「え~! ボク、殺されてしまうん?」
「無論、きみもそうだ。今までご苦労だった」
情けない声を出す松風を源信が冷たく突き放す。ざまあみろとも内心思ったが、それまでへらへらと笑っていた松風がふいに真顔になった。
「困ったな……ボクも先生と一緒で、“保険”はかけておくタイプですねん」
「……なんだと?」
そのとき、ブブブッとポケットに入れていたスマホに着信が入った。松風と源信の二人が振り返る。都倉が画面を確認すると、相手は犬飼だった。
「……もしもし?」
『でかした、都倉!』
しかしスマホの向こうから聞こえてきたのは、里見の声だった。
「えっ……さ、里見!? なんで!? 今どこで何して……無事なのか!? つうかこれ、犬飼のスマホ──」
『ま、待て。落ち着け、僕は無事だ』
『はーい、質問は一人一個まででおなしゃーす』
声の主が犬飼に切り替わる。声の聞こえ方からして、里見の横から割って入ってそのままスマホを取り上げたようだ。
『里見さんのスマホは、いま動画を再生してるんすよ。ほら、松風のチャンネルの……』
「……えっ?」
『最新動画っす』
『『……えっ?』』
犬飼が自身からスマホを離した気配がした途端、たった今自分が発した言葉が耳から聞こえてきた。どうやら犬飼が自分のスマホを里見のものに向けて中継したらしい。
「……ってことは……」
「いや~先生がボクを切り捨ててきてもええように、万が一の保険として録音を生放送しとったんやけどな。うまいこといって助かったわ」
いつの間にか松風が隣に立っていて、都倉の顔を覗き込んでいた。
「命拾いさせてもろたで。里見探偵事務所の『都倉』クン」
お得意の胡散臭い笑顔が向けられる。まだうまく頭の中を整理できずに都倉が呆然としていると、犬飼が都倉を介して松風に噛みついた。
『騙されちゃ駄目っすよ、都倉さん! そいつのせいで、里見さんマジで危ないとこだったんですからね! オレがいたからよかったけど! オレがいたからよかったけど!!』
「よう吠える犬やなぁ。敵を欺くにはまず味方から……って言うやろ?」
『あんたの場合は結果論でしょ!? 都合よく自分勝手な行動を正当化しないでくださいよ!』
二人の言い合いに混じって、遠くからパトカーのサイレンが聞こえてくる。それらはだんだん大きくなりながら、直接都倉の耳にも、スマホの向こうからも聞こえてきていた。
『──都倉? 今、僕らもそっちに向かっている』
再び里見の声が電話口に出る。
「……釈放、されたのか……?」
『ああ。きみのおかげで疑いが晴れた。ありがとう』
「……っうん」
『ところで、月宮源信の様子はどうだ? 変わりないか?』
そう尋ねられて源信の姿を探したのと、都倉が掴みかかられたのはほぼ同時だった。不意をつかれ、壁に背中をしたたかに打ちつける。
「……っ!」
「こんな……こんなことがあってたまるものか! 貴様のような底辺に、この私が……!」
『──してやられたのは、どこのどいつだ?』
握りっぱなしのスマホから聞こえてきた里見の声は、まるで地の底を這っているのかと錯覚するほど低かった。源信が反射的に動きを止め、都倉も息を詰める。薄い板越しに聞こえる音声に、その場があっという間に支配された。
『僕の相棒を舐めるなよ』
誰もが次に声を発することをためらったまま、やがて到着した警官に月宮源信は連行されていった。
「都倉さん!」「都倉くん!」
「おっくん、志波さん! 無事だったんだな……!」
屋敷の外の庭園で、奥森と志波は警察から事情聴取を受けていた。二人とも屋敷から出てきたばかりの都倉を見つけるやいなや、警官に軽くおじぎをしてこちらに駆け寄ってくる。
「都倉さんも、ご無事でよかった……!」
「よくやってくれた……! すごいよ、きみは」
「はは……正直、まだあんま実感ねえけど。それに、俺だけの力じゃないし。おっくんも志波さんも、里見も犬飼も……」
言いつつ都倉はそれとなく辺りを見回してみたが、どこに消えたのか松風の姿はもうなかった。
「都倉さん?」
奥森が見上げてくる。志波も元気づけるように話を振ってくれた。
「里見くんと犬飼くんは? まだ来てないのか」
「あ、はい。今こっち向かってるって……」
そこへ新たに一台のパトカーが滑り込んできて、門の外に停まった。間髪入れず、助手席のドアが開く。
「──都倉!」
遠くからでもはっきり分かる。都倉は駆け出していた。
「里見……!」
思いっきり手を伸ばす。
「里見!」
「うわっ……!」
勢い余って、ぶつかるようにして引き寄せた。
「……里見、どこも怪我してねえ? 元気だった?」
「元気って、大げさだな。たった半日だろ」
「その前から、色々あったじゃん。連れ去られたりとか……俺、もぉ心臓もたね」
「ははっ! 生放送であれだけかました奴がよく言うよ」
「あれは俺知らなかったし!」
なんだか心の奥がくすぐったい。めそめそとみっともなく泣き出してしまうような、涙を流すほど思いっきり笑い飛ばしたいような、そんな気持ちになった。
「てか、そーいう話じゃなくて……!」
「……分かってるよ、色々気をつけろって話だろ。きみもいなくなるしな」
ぱっと腕の中から温もりが消えて、目の前に右手が差し出される。
「事件が白日の下に晒されたら。そういう約束だ」
一瞬、何のことか本当に忘れていた。
「あ……」
「きみがいてくれて本当に助かった。今までありがとう。ご苦労だった」
「……あ、はは。そーいえば、そーいう約束だった、な」
「心配するな。よく働いてくれたからな。少しくらいならボーナス出してやる」
「はは……」
事件は解決した。お金も貰える。いいことずくめのはずなのに、うまく笑えない。
「そーだよな……そーいうことだった、よな……」
だって、この右手を握ったら、終わってしまう。
「……都倉?」
「里見……俺、俺……っ」
ガシャン!と至近距離から突然音がする。見れば、中途半端な位置のまま不恰好に浮かんでいた都倉の右手首に、銀色の輪っかが嵌められていた。
「えっ……えっ!?」
「はーい、都倉さん逮捕しまーっす」
気づくと、犬飼が輪っかの片割れを持ってすぐそばに立っていた。
「い、犬飼!? バババ、馬ッ鹿お前ちげぇって! 俺は、里見にその、なんかしようとしてたわけじゃなくて……!」
「はぁ? 何言ってんすか都倉さん」
犬飼が呆れた目で見てくる。
「あんた、里見さんがなんで釈放されたか忘れたんすか?」
「……え?」
深いため息をついて、犬飼はダルそうに都倉を指差した。
「ひったくり。全世界に自供済み」
「……あっ」
