物流最適化マガジン(第42回)便利すぎる社会は物流と相性が悪い

私たちは普段、物流のことをほとんど意識しない。

スーパーへ行けば商品が並んでいる。

コンビニへ行けば飲み物が冷えている。

ネットで注文すれば翌日には荷物が届く。

欲しい物が欲しい時に手に入る。

それが当たり前になっている。

しかし少し考えてみてほしい。

この「当たり前」は、いつから当たり前になったのだろうか。

そして本当に、この便利さは今後も維持できるのだろうか。

今回は、物流と便利さの関係について考えてみたい。


物流は見えなくなるほど成功した

優秀なインフラほど存在を忘れられる。

電気が来ることを毎日感謝する人は少ない。

蛇口をひねれば水が出る。

スマートフォンはつながる。

だからこそ意識されない。

物流も同じだ。

商品が並ぶ。

荷物が届く。

だから誰も物流を見ない。

むしろ物流は、

「見えなくなるほど成功した」

と言えるのかもしれない。

物流が止まった時だけ、

私たちは物流の存在を思い出す。

台風。

地震。

大雪。

感染症。

そうした非常時になると突然、

物流が社会を支えていることに気付く。

しかし平時には忘れてしまう。

それほど物流は当たり前の存在になった。


欠品は悪になった

少し昔を思い出してみる。

人気商品が売り切れる。

限定品が無くなる。

お店に在庫がない。

そんな光景は珍しくなかった。

欲しいなら次回入荷を待つ。

別の店を探す。

そういう時代だった。

しかし今は違う。

欠品は許されない。

売り切れは機会損失。

在庫切れはクレーム。

企業は可能な限り商品を切らさないように努力する。

もちろん利用者から見れば良いことだ。

欲しい時に買える。

便利である。

だがその便利さを支えるために、

物流への要求はどんどん高くなっていった。


在庫を減らすほど物流は増える

企業経営では在庫を減らしたい。

在庫はお金だからだ。

倉庫に積まれた商品は、

売れるまでは資金として動かない。

保管費もかかる。

管理費もかかる。

だから企業は考える。

必要な分だけ持ちたい。

必要な時に補充したい。

非常に合理的な考え方だ。

しかしここで面白いことが起きる。

在庫を減らすほど物流は増えるのである。

昔なら一度に大量に納品していたものを、

少量ずつ頻繁に納品するようになる。

倉庫で持っていた在庫を、

トラックが運び続けることで補う。

つまり企業の在庫削減は、

物流への依存度を高めることでもある。

物流は単なる輸送手段ではなく、

動く倉庫の役割も担うようになった。


「必要な時に必要な量だけ」は本当に効率的なのか

経営学ではよく、

必要な時に必要な量だけ供給することが理想とされる。

確かに在庫は減る。

資金効率も良くなる。

しかし物流側から見ると話は少し変わる。

配送回数は増える。

積載率は下がる。

調整回数も増える。

つまり企業全体で見ると効率化でも、

物流単体で見ると負荷が増えることがある。

この構造は意外と見落とされがちだ。

物流が優秀だから成立しているだけで、

決して無料ではない。

誰かが運んでいる。

誰かが調整している。

その上に成り立っている。


ECは物流の価値観を変えた

物流に大きな変化を与えたものの一つがECだ。

昔はまとめ買いが基本だった。

週末に買い物へ行く。

必要な物をまとめて購入する。

しかし今は違う。

スマートフォンで注文する。

一個だけ買う。

翌日に届く。

しかも送料は無料。

利用者から見ると夢のような世界だ。

だが物流側から見ると、

配送効率は決して高くない。

商品一個。

配送先はバラバラ。

再配達もある。

配送距離も長い。

それでも成立しているのは、

物流業界が長年努力を積み重ねてきたからだ。


時間指定はなぜ増えたのか

もう一つの変化が時間指定だ。

利用者にとって時間指定は便利である。

家にいない時間を避けられる。

再配達も減る。

合理的なサービスだ。

しかし物流側から見ると、

時間指定は難しい。

配送ルートの自由度が減る。

積載効率も落ちる。

突発対応もしにくくなる。

つまり利用者の利便性と、

物流効率は必ずしも一致しない。

それでも企業はサービスを続ける。

なぜなら競争だからだ。

自社だけやめるわけにはいかない。

ここにも競争の難しさがある。


「便利」のコストは誰が払っているのか

私たちは便利さを享受している。

しかし便利さは無料ではない。

誰かが負担している。

ドライバー。

倉庫作業員。

配車担当。

システム担当。

現場管理者。

物流会社。

そして荷主企業。

様々な人が調整を重ねている。

問題は、その負担が見えにくいことだ。

便利さだけが見える。

苦労は見えない。

だから便利さは当然になる。

物流業界で働いていると、

この構造を強く感じることがある。


便利さは悪なのか

ここで誤解してほしくない。

便利さそのものを否定したいわけではない。

物流が発展したからこそ、

私たちの生活は豊かになった。

医薬品も届く。

食品も届く。

地方でも商品を購入できる。

それは物流の大きな成果だ。

問題は、便利さが当たり前になり過ぎたことなのかもしれない。

本来なら高い価値を持つサービスが、当然の権利のように扱われる。

すると限界までサービス競争が続く。

その結果として物流負荷も増えていく。


地方と都市で違う未来が始まる

これから先、人口減少は続く。

ドライバー不足も続く。

そうなると一つの疑問が出てくる。

全国どこでも同じ物流サービスを維持できるのだろうか。

都市部。

地方。

離島。

山間部。

配送条件は大きく違う。

今までは全国一律のサービスを目指してきた。

しかし将来も同じとは限らない。

むしろ地域によって物流の形が変わっていく可能性がある。

その兆候は既に見え始めている。


私たちは何を選ぶのか

物流は便利さを支えてきた。

そしてその便利さは社会を豊かにしてきた。

しかし便利さを追求するほど、

物流への負荷も増える。

今までは何とか吸収できた。

人もいた。

車もあった。

現場も頑張った。

だが人口減少社会では、

同じやり方が続くとは限らない。

私たちはこれから、

便利さを維持するためにより高いコストを払うのか。

それとも少し不便を受け入れるのか。

その選択を迫られる場面が増えていくのかもしれない。


おわりに

物流はあまりにも優秀だった。

だから私たちは物流を意識しなくなった。

欲しい物が届く。

店に商品が並ぶ。

それが当たり前になった。

しかし、その当たり前を支える仕組みは永遠ではない。

物流は便利さを支える。

だが便利さを追求し過ぎると、

今度は物流そのものを苦しめる。

少し皮肉な話だが、

物流が優秀だったからこそ生まれた問題なのかもしれない。

次回は、

今回の話の延長線上にある、

「物流の二極化は始まっている」

というテーマについて考えてみたい。

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