ハナの呪力~卯月八日の民俗行事~
川瀬流水です。4月も終わりが近づき、ゴールデンウィークが、間近に迫ってきました。
私は、コアな花粉症患者で、スギに続き、ヒノキが重なる4月は、恐怖と憂鬱に支配される毎日を、余儀なくされています。
ということで、しばらく必要最小限の外出にとどめており、春先の美しい花々を愛でることができていません。
このような閉塞された状況を踏まえて、今回は、11年前の2015(平成27)年、大学院修士課程(通信)に在席していたときにまとめたレポート(要約)を、紹介させていただきたいと思います。
兵庫県東部の「三田市」(さんだし)に残る「卯月八日」の民俗行事を取り上げたもので、美しい花々と深く関わる内容となっています。
三田市は、神戸市北部に隣接する人口約10万人余り(2026.3月末現在)の田園都市です。江戸時代は、九鬼氏3万6千石、三田藩の城下町として、栄えました。
現在は、これらの旧市域に加え、市の南部エリアに、大阪・神戸に直結するニュータウンが広がるという、ふたつの顔をもっています。関西学院大学(神戸三田キャンパス)も、このエリアに立地しています。

このように、三田市は、新旧が交錯する複雑な様相をもっていますが、古くより摂津国北部(北摂)に位置する交通の要衝の地として、独自の風俗・習慣が色濃く残る地域でもありました。
今回のレポートで取り上げる民俗行事の背景には、こうした地域特性が控えているいるように思います。
なお、今回の投稿では、レポートに付した注書きは省略しますが、引用文献として、『三田市史 第9巻 民俗編』(三田市、2004)、『伊藤唯真著作集 第三巻 仏教民俗の研究』(法藏館、1995)、及び柳田國男編『歳時習俗語彙』(国書刊行会、1975復刻、原本1939)を使用しております。
「兵庫県三田市における卯月八日の諸行事について」(要約)
はじめに
旧暦4月8日は、釈迦の降誕日であり、寺院ではこの日に灌仏会・仏生会等と呼ばれる法会が行われてきたが、民間では、この日に寺院の法会とは直接結びつかないような行事が様々に繰り広げられてきた。
「卯月八日」と総称されるこうした民間行事について、兵庫県下で最も色濃く残されてきた地域のひとつである三田市域を取り上げ、卯月八日に関連する諸行事の内容と、そのなかに現れている祖先信仰について、みてみることにする。
1 三田市における卯月八日の諸行事
三田市編さんの『三田市史 第9巻 民俗編』(2004)には、1997(平成9)年度から各地区で実施された、卯月八日に関する各地区の聞き取り調査結果が記載されている。
まず、その内容に基づき、関連する諸行事の内容についてみてみよう。
市史によれば、卯月八日は「オヅキ・ヨウカ」と呼ばれ、新暦の5月8日に、市内のほぼ全域にわたって関連する諸行事が行われてきた。これらを、いくつかの類型に分けて検討する。
第1は、「ハナ」「タカバナ」「テントウバナ」と呼ばれるものである。
竹竿の先に「葉花(ハナ)」をつけたものを、庭先に立てる。
ハナは、市内北部の母子(もうし)ではシキミ・シャクナゲ・アカバナ、西北部の波田(なみた)ではシキミ・モチバナ・アカバナ、中央部の下青野(しもあおの)ではシキミ・モチバナ・キツネバナというように、シキミを中心としつつ、色鮮やかな花々と併せたものとなっている。
母子では「ハナを早く立てると先祖が喜ぶ」といわれる。
ハナは、あまり長くおいておくものではないとされ、その日のうちに川に流すか、山裾に捨てられた。

【今回の投稿で追加】
「シキミ」(樒)は、常緑性の小高木で、実を始めとするその全ての部分に、最強といわれる植物毒をもち、独特の強い香りを放ちます。
その毒性と香りで、悪しき穢れを浄化する力をもつとされ、「ハナサカキ」と呼ばれることもあります。

シキミの花は、仏さまの美しい目を象徴する「青蓮華」(しょうれんげ)の花に似ていることから、鑑真が日本にもたらし、空海が修行に用いた、とされています。

この特別な植物は、祖霊や神のような聖なる存在と我々を結ぶ空間を清め、浄化する装置、と考えられたのではないかと思っています。
「しゃくなげ」(石楠花)は、常緑性の灌木ですが、高木となるものもあります。春の終わりを告げる花といわれるように、4月中旬から5月にかけて、赤や白、黄色の美しい花を咲かせます。


しゃくなげもまた、毒性(葉の部分)をもつ植物です。
天に向かって高く伸びる樹形、人目を引く美しい花、そして穢れを浄化する毒性をもつことから、聖なる植物のひとつ、とみなされたのではないか、と思っています。
(以上、今回追加部分)
第2は、竿の根元にも、同じくハナを供えることがあげられる。

ハナの種類は、竿先と同じである場合が多い。母子では、ハナにシキミで水を手向け、これで祖先の霊が家に迎えられるといわれる。
波田では、水にシキミの葉を添え、「ニッテンサン、ガッテンサン」と唱えつつ水向けする。
市西部の大川瀬(おおかわせ)では、ハナを3つに分け、各々に水を入れた器を添えて、シキミで水を手向ける。それらは、各々「先祖さん」「ハメ(マムシ)の神さん」「実家の先祖さん」に対応するものとされる。
下青野では、ハナと洗米・線香、水を入れた茶碗をおき、8日朝、家族全員が「ハメに噛まれませんように」といって、ハナにシャクナゲの葉で水をかける。
上のハナは、ホトケさんが帰ってくるように立て、下のハナは、ハメの神さんのためという。
第3は、仏壇にハナや食べ物を供えるものである。


波田では、新暦5月8日を「ハナハジメ」と呼び、サトイモ・サツマイモ・シイタケ・ニンジン・高野豆腐・三つ葉・木の芽などからなる「七色のおかず」をこしらえて仏壇に供え、花筒にハナを立てる。
市東南部の香下(かした)では、「オヅキの七色」といって、適当な精進もの七種類を炊いて朝食に食べる。また「お釈迦さんの生まれた日やから忙しい」といって、餡を入れ形を整えないままの「ヒッチギリ」というヨモギ団子を作る。
隣の山田(やまた)では、仏壇に七色のおかずやヨモギ団子を供える。母子では、ハナにヨモギ餅を供えて般若心経を唱える。甘茶の木(アマチャヅル)から甘茶を作り、供える家もある。
南西部の上内神(かみうちがみ)では、仏壇に酒を供え、シャクナゲの葉で酒を仏壇に手向ける。
第4は、新仏のある家に関するものである。
母子では、この日墓参りをする。仏事としては、彼岸より「オヅキ・ヨウカ」が重視されるという。また施餓鬼(せがき)といって、朝方より新仏のある家に村内の各家が訪問し、お供え物をする。
市南西部の下内神(しもうちがみ)では、墓参りに行き、ヨモギ餅・おはぎなどを供える。
第5は、檀家寺で行われる「花施餓鬼」(はな・せがき)と呼ばれる法要で、新仏の回向を中心に行われる。
法要は、本堂の前の施餓鬼棚に、各家の先祖の戒名を書いた板塔婆を置く。塔婆の回向後、参列者は棚前で礼拝し、水向けする。回向の済んだ板塔婆は各自持ち帰り、仏壇に入れたり、その日のうちに墓に納めたりする。
この日、本堂には釈迦の誕生仏をまつる花御堂(はな・みどう)が出され、屋根や柱をツツジ・レンゲなどの色バナで飾る。参列者はこの誕生仏を拝み、杓で甘茶をすくって仏像にかけ、最後に甘茶を持ちかえる。
市史に基づき、今から概ね15年以上前(*今回の投稿からすると30年近く前)の状況をみてきたが、こうした行事が、現在(*今回の投稿からすると11年前)どうなっているかについて、「竿先にハナを立てる」特徴的な行事を例に、みてみることにする。
まず、市の関係部署では、市史編纂後の状況は把握されていなかったため、私の仕事や交友関係を中心に、個別の聞き取り調査を行った。
調査は、男女を問わず、30歳代後半から60歳代の総勢18名を対象に、過去の状況と、現況の状況を、個別に聞き取る形で行った。
その結果をみると、竿先にハナを立てる行事について、「現在でも行っている」が2名、「両親の世代まではあったが自分たちはしていない」が9名、「全く知らない」が7名という内容であった。
こうした行事が、急速に失われつつあることが分かる。
こうしたなかで、現在(*今回の投稿からすると11年前)でも行っている2名の家は、各々香下と東本庄に古くからある家で、卯月八日の5つの行事類型のすべてを行っていることがわかった。
なお、本文中に掲載した「タカバナ」などの貴重な写真は、上記の香下にお住いの方から、提供いただいたものである。
地域に根ざした風俗・習慣の保存・継承ということを考えるとき、こうした地域のコアとなる家の存在が、非常に重要であることがわかる。
2 卯月八日の諸行事にみる祖先信仰
卯月八日は、民俗信仰の視点からみれば「春山入り」(はるやまいり)の信仰行事に収斂できるとされる。
農耕開始を前にして、人々は春山に入り、そこに鎮まる神霊を花に付着させて、家に迎え降ろした。
日本人の祖先観において、最初は不安定で荒々しく祟りやすい状態にあった死者の霊魂は、葬送に始まる一連の祭祀を通じて安定化と浄化を遂げ、和やかな祖霊に昇華して、やがて、全一体的な存在としての先祖に合体する、と考えられた。
こうした祖霊の鎮まる場所は、仏教が説く西方の極楽浄土ではなく、身近な山であった。
卯月八日の信仰上の眼目のひとつは「葉花(ハナ)」であり、シキミを中心としてシャクナゲやアカバナ・モチバナといった山々の葉花(ハナ)は、神が宿るもので、祖霊の依代であった。
祖霊の依代としてのハナを、山から採ってきて竿先につけ、庭に立てたのが「タカバナ」であり、依代たるハナを高く掲げたのは、祖霊を早く確実に家に招き降ろすためと考えられる。
タカバナや仏壇のハナに団子を供えたり、水鉢を置いてシキミで水向けするのは、盆・彼岸のときの祖霊への水向け供養と変わらない。
祖先信仰の視点から、次に注目されるのは、この日に新仏供養の諸行事がなされることである。
檀家寺で行われる花施餓鬼も、新仏の回向を中心に行われる。
寺院社会では、旧暦四月八日から七月十四日までを夏季と捉えたが、俗家でも、一夏九旬の間、花籠にシキミを積んで、仏に供えることがあった。
これは、寺院の夏中行事が世間に影響を与えたものと考えられるが、こうした夏花の慣行が、祖先信仰へと派生拡大されるにつれ、卯月八日の行事に死者供養の要素が現れ、これが再び灌仏会と結びついて花施餓鬼となった、と考えられる。
おわりに
三田市では、卯月八日に、竿先にハナをつけたものを庭先に立て、その根元にもハナを供えること、仏壇にハナや食べ物を供えること、新仏供養として檀家寺で花施餓鬼を行うこと、といった行事が続けられてきた。
これらは急速に失われつつあるが、現在(*今回の投稿からすると11年前)もまだ残されている。
卯月八日の行事を祖先信仰という視点からみるとき、ハナは祖霊の依代であり、竿先に立て仏壇に供えるのは祖霊を家に招き入れることであり、シキミの水向けはその供養と考えられる。また、檀家寺での花施餓鬼は、不安定で祟りやすい新仏に対する特別の供養と考えられる。
このように、卯月八日は、祖霊や死霊を迎え祀る行事が、その根幹をなしていることがわかる。
(*レポート(要約)は、以上)
11年前にレポートをまとめた背景には、春から夏にかけて野山を彩る葉花(ハナ)の特別な力に着目し、それらを依代とする祖先信仰を記録すること、そして、三田市では、まだこうした信仰に基づく風俗・習慣が残されている、ということに感じた新鮮な驚きがありました。
その後の追跡調査を行っていないので、確かなことは言えませんが、11年たった今でも、そうした風俗・習慣が残されているのか、強い危惧の念を抱いています。もう、目にすることは、できないのかもしれない・・・
春先の何気ない日常生活のなかで、ふと傍らに咲く花々を目にするとき、それらに強く心惹かれる自分を感じることがあります。

花々のもつ鮮やかな色彩は、まだ眠りから覚めきれない私たちを浄化し、迷える私たちをそっと見守ってくれる精霊を降臨させて、新たな一歩を踏み出す勇気を与えてくれるように感じます。
かつて先人たちが大切にしたハナの呪力は、私たちに、ひそかに受け継がれているのかもしれません。
