25.三國史弁辰傳 (國出鐵 韓濊倭 皆従取之 - 製鉄の歴史)
何故金印が恩賜されたのかについては、以前考察しました。
後漢書東夷列傳、三國志弁辰傳に以下の記述があります。
後漢書 東夷列傳
國出鐵 濊 倭 馬韓 並従巿之 凡諸貨易 皆以鐵為貨
翻訳
その國(辰韓)は鉄が産出する。濊、倭、馬韓は皆これを法制に従って市
場で取引している。あらゆる物資の取引は、すべて鉄を貨幣としている。
三國志 弁辰傳
國出鐵 韓 濊 倭 皆従取之
諸巿買皆用鐵 如中國用錢 又以供給二郡
翻訳
その國(弁辰)は鉄が産出する。馬韓、弁韓、濊、倭は皆これを法制に従
って採掘している。
多くの市での売買は、中國で金銭を用いるように、全て鉄を用いている。
また鉄は二郡(帯方郡、楽浪郡)に供給された。
https://ctext.org/zh
この記述の鐵は、鉄鉱石(天然鉄)なのでしょうか。それとも人工鉄(加工された鉄)なのでしょうか。この考察のために、製鉄の歴史についてまとめてみました。
1.鉄器時代の始まりは、ヒッタイト帝国よりも前の時代から
鉄器時代は前12世紀、つまり、アナトリア高原の中央部を中心にヒッタイト民族が作り上げた一大帝国が崩壊したと同時に開始したと言うのが通説でした。
しかし、カマン・カレホユッ ク発掘調査では帝国時代の文化層から鉄製品が出土してくると同時にその中に切れ味の鋭い『鋼』 が含まれていたこと、さらに帝国時代の直下に位置するヒッタイト古王国時代、その下の前20~18 世紀のアッシリア商業植民地時代の層からも鉄製品が出土してきており、『鉄器時代』はヒッタイ ト帝国以降と言う通説が大きく変わることが明らかになってきました。
https://www.jsps.go.jp/file/storage/grants/j-grantsinaid/31_result/data/jinsya/34_omura.pdf

https://www.cent.titech.ac.jp/27ba7926b98ca06287ffeba4aa6d989f155cba07.pdf
製鉄はヒッタイト帝国よりも前の紀元前20世紀~同18世紀に発明されていたようです。
では、どのように製鉄が行われたのでしょうか。
2.鉄器の製造の元となったと銅の精練技術
紀元前 3500 年頃現在トルコ共和国アナトリア高原を中心とする西アジアで銅の生産技術ができ,石器時代から青銅器時代になった。
青銅器時代の銅製錬は次のように行われた。
粘土等で作った高さ約 1 m の円筒状の炉の下部に設置した羽口管から空気を吹き込み,木炭を燃焼させる。ここに砕いた銅鉱石を投入すると還元され金属銅が生成する。
炉下部は 1200~1300 ℃になっているので融点が 1085 ℃ の銅は溶解し炉底に溜まる。凝固した同じ炉で再溶解して精練を行なう。
https://www.jstage.jst.go.jp/article/kakyoshi/72/7/72_292/_pdf/-char/ja
3.鉄の製造方法の発明は偶然だったのか?
銅を精錬する際に鉄鉱石を加えて銅鉱石中の珪砂分をファイアライト(2 FeO・SiO2)溶融スラ グなどにして浮上させ除去する。
この際に,たまたま炉内の還元状態が少し強く なって,偶然,鉄分が得られたのが始まりではないかと考えられている。
https://www.cent.titech.ac.jp/27ba7926b98ca06287ffeba4aa6d989f155cba07.pdf
銅器、青銅器の製造技術が元となり、鉄器の製造が行われました。アナトリアで発見された鉄器の製造技術は、いつ頃各地に拡散していったのでしょうか。
4.アナトリアの鉄の製造技術がインドへ、中国へ
ヒッタイト帝国が紀元前 1200 年頃崩壊すると,製鉄技術が世界中に広がった。紀元前 1000 年頃にはインドに,紀元前 600 年頃には中国に伝わった。
インドでは炭素濃度の低い鋼塊(ルッペ)を木炭粉とと もにルツボに入れ外熱で加熱して炭素濃度 1.6 % のウーツ 鋼の製造が行われた。
中国では溶けた銑鉄を造り鋳造を行った。
https://www.jstage.jst.go.jp/article/kakyoshi/72/7/72_292/_pdf/-char/ja
アナトリアで発見された製鉄の技術は、インドでは直説法でルッペを作る方法に進化し、中国では間接法で銑鉄を鋳造する方法に進化します。
5.中国の独自の製鉄技術
中原(中国)において、最初期の鉄器は、自然鉄である隕鉄を加工した銅鉄複合器であり、商代(紀元前1550年頃~同1150年頃)中期に利用が始まった。
西周(紀元前1150年頃~同256年)末、春秋(紀元前770年~同221年)初期になると、人工鉄である塊錬鉄が出現する。同時に、塊錬鉄の炭素量を増し実用的な鋼へと変化させた塊錬鉄浸炭鋼も出土している。しかし、いずれも強度の乏しい銅鉄複合器として出土している。
中国の初期の鉄器は、中央ユーラシアを経由して西方の技術が伝えられたと考えられる。
しかし、一旦鉄器を受容したのちは、中原(中国)は独自の鉄器加工技術を発展させていく。
「中央ユーラシア東部における初期鉄器文化の交流」
https://waseda.repo.nii.ac.jp/records/3321
6.中国独自の製鉄の技術は間接法
最初にアナトリア高原で発明された製鉄は、鉄鉱石や砂鉄を炉で加熱し、半溶融状態のまま還元して得られた鉄塊(銑鉄、鋳鉄)を再加熱して精練・鍛造して鋼を得る技術(直接法)であった。
製鉄の技術が中国に伝わると、鉄鉱石を高炉で完全に溶融させ炭素を多く含む銑鉄を取り出した後、この銑鉄を再度加熱して炭素を減少させて、鋳造して鋼を得る技術(間接法)が発達した。
https://www.cent.titech.ac.jp/27ba7926b98ca06287ffeba4aa6d989f155cba07.pdf
直説法:半溶融、鉄塊、鍛造
間接法:完全溶融、銑鉄、鋳造
製鉄の生産技術は、直説法=鍛造と、間接法=鋳造の2種類あることが分かります。
7.長江流域と黄河流域では製鉄の技術が違っていた
蜀で生産し、消費された鉄器は、(中略)長江流域鉄器群とも称すべく鍛造品と鋳造品双方で構成されており、鋳造品主体の黄河流域以北とは一線を画している。
”漢代・蜀の鋳造鉄器とその生産”
季刊考古学162、村上恭通編、雄山閣、2023.1.P17
長江流域:鍛造、鋳造
黄河流域:鋳造
8.朝鮮半島には中国の燕から製鉄の技術が伝わった?
*韓半島ではすでに紀元前4 世紀には鉄器が出現していたことがわかった。
国立歴史民俗博物館研究報告 第185 集 2014 年2 月
韓半島における初期鉄器の年代と特質
*朝鮮半島の紀元前3世紀、遼陽の周辺地域では燕系の鋳造鉄器が生産されていた。
*紀元前2世紀には引き続き燕系鉄器が製作された。北部においては、鋳鉄脱炭鋼による燕系の鍛造鉄器生産とともに、非燕・非漢式の独自な鍛造鉄器生産が始まった可能性が考えられる。
*同じ時期には、鍛鉄生産が鍛冶によって東南部でも始まった可能性がある。その際、鉄素材に関しては西北部からの供給が考えられる。
*紀元前1世紀には、西北部に楽浪郡が成立し、漢式の鍛造鉄器生産技術が西北部にもたらされ、鍛造鉄が中西部から東南部に拡散し、在地での鍛造鉄器の生産活動が活発になっている。
*一方、燕系鋳造鉄器生産技術も、中西部さらに東南部へ広がっていった。
宮本一夫
https://doi.org/10.15017/4772806
紀元前3世紀:燕系鋳造
紀元前2世紀:燕系鋳造、独自の鍛造
紀元前1世紀:燕系鋳造、漢式の鍛造
9.倭国での製鉄の始まり
*紀元前3世紀、燕系鋳造鉄器と鍛造鉄器が半島の東南部にもたらされ、鋳造鉄器の一部や破片化したものが、弥生時代 前期末・中期初頭に青銅器とともに北部九州を経由して西日本にもたらされていく。
*紀元前2世紀は引き続き鋳造鉄斧や鋳造鉄钁が、弥生時代 中期の西日本にもたらされる。
*紀元前1世紀には、鉄器素材は朝鮮半島から輸入する形で、西日本でも鍛冶による鉄器生産が始まる。
宮本一夫
https://rekihaku.repo.nii.ac.jp › record › 1202 › files › kenkyuhokoku_110_02.pdf
*製錬系鉄塊から純度を高める精錬は、4世紀には確実に始まっていた。それ以前の考古学的証拠はえられていない。
*精錬系鉄塊から鉄鍵のような鉄素材をつくる工程(鍛錬鍛冶)が、弥生時 代(紀元前800年~紀元300年)におこなわれていた証拠はえられていない。
藤尾慎一郎
国立歴史民俗博物館研究報告 第110集 2004年2月
https://rekihaku.repo.nii.ac.jp › record › 1202 › files › kenkyuhokoku_110_02.pdf
紀元前3世紀:燕系鋳造鉄器 → 西日本へ
紀元前2世紀:鋳造鉄器 → 西日本へ
紀元前1世紀:鉄器素材(板状鉄製品)→ 西日本へ
→ 鍛冶による鍛造鉄器生産
紀元4世紀 :製錬系鉄塊 → 日本各地 → 精練
10.後漢書東夷列傳、三國志弁辰傳の時代の日本列島への鉄は?
後漢書:紀元25年~同220年の出来事
三國志:紀元184年~同280年の出来事
後漢から三國の時代、日本列島では鉄鉱石や砂鉄のような天然鉄から鉄器の生産は行われていませんでした。
鉄器の生産は、鉄器素材(板状鉄製品)を朝鮮半島から輸入しての鍛冶による鍛冶鉄器でした。
では、後漢書東夷傳および三國志弁辰傳に記載されている、倭が採掘したり、市場で取引した鉄は、天然鉄(鉄鉱石)だったのでしょうか、それとも人工鉄(鉄器素材)だったのでしょうか。

画像引用元:フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%89%84%E9%89%B1%E7%9F%B3
採掘した鉄は、おそらく天然鉄(鉄鉱石)であったと推測します。
そして市場で取引したり、貨幣として使用した鉄は、人工鉄(鉄器素材)であったと憶測します。
朝鮮半島南部には倭人が住んでいました。この倭人が弁辰で鉄鉱石を採取し、倭人の居住区で鉄鉱石から鉄器素材を生産していたと推測します。
そしてこの鉄器素材は、九州北部を経由して輸入され、西日本の各地に販売されたと推測します。西日本の各地では鉄素材を鍛冶炉を使用して鉄器(農具、武器、祭器など)を生産したと推測します。

魏志倭人伝の海上王都 原の辻遺跡 (シリーズ「遺跡を学ぶ」 171) P63 図43
松見裕二 新泉社
最後まで読んでいただき、ありがとうございました。
次回は、「一大國から末盧國」のタイトルで、邪馬壹國への行程について考察します。
