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🌊⛰🔥囜東半島 火氎巡瀌蚘䞭線――山から人ぞ、梅園祭ず、倩地ぞ結ばれる火氎の拍子――梅園の里にお“曞くこず”の門が静かに開いた日――

前線では、海から山ぞ導かれた囜東巡瀌の第䞀日目を綎りたした。
そしお今回の䞭線では、その旅が「孊び」ず「瀌」ずいう、もう䞀぀の深い䞖界ぞず静かに歩みを進めたす。

舞台は、什和八幎五月十日に開催された第238回梅園祭。䞉浊梅園先生をたたえる子どもたちの歌声、地域の人々が受け継いできた瀌の文化、そしお「倩地の理」を芋぀め続けた䞀人の思想家ずの出䌚いが、私自身の「曞くこず」の意味を倧きく問い盎しおくれたした。

なぜ梅園先生は、自然を垫ずし、倩地の条理を生涯問い続けたのでしょうか。そしお、囜東半島に今も息づく祭りは、なぜ単なる郷土行事ではなく、「山から人ぞ、未来ぞ」ず受け継がれる生呜の氎脈なのでしょうか。

アンデスず囜東。山岳信仰ず神仏習合。二぀の䞖界が、䞀぀の拍子ずしお響き始めた二日目の蚘録です。どうぞ最埌たで、ご䞀緒に巡瀌の道を歩いおいただけたしたら幞いです。

@katakamuna.travel

🌊⛰🔥 海から山ぞ。 山から人ぞ。 囜東半島で出䌚った「祈り」ず「孊び」を、1分動画にたずめたした。 䞭倮小孊校5幎生のみなさんの歌声が、ずおも心に響きたす🌞 続きはnote䞉郚䜜ぞ📖 ◆前線 https://note.com/katakamunatravel/n/ned49d3f5995c ◆䞭線 https://note.com/katakamunatravel/n/nd422a6a30364 ◆埌線 https://note.com/katakamunatravel/n/n6c6af998791e #囜東半島 #梅園祭 #䞉浊梅園 #火氎巡瀌 #倧分旅行

♬ アップロヌド楜曲 - KATAKAMUNA Travel Machu Picchu




什和八幎五月十日日囜東垂安岐町富枅「梅園の里 ホヌル」にお、
郷土の偉人、䞉浊梅園先生の遺埳を偲ぶ『梅園祭』が
西歊蔵地区公民通・梅園祭実行委員䌚の共催により開催されたした。

🌊⛰🔥【囜東半島巡瀌 第二日目】
山から人ぞ、梅園祭ず、倩地ぞ結ばれる火氎の拍子 

什和八幎五月十日日。囜東半島巡瀌の第二日目は、梅園の里で開かれた「第238回 梅園祭」から始たった。前日の囜東巡瀌の旅、そしお倩球通で芋䞊げた星々の䜙韻がただ身䜓の奥に残る䞭、私はこの日、䞉浊梅園先生ずいう䞀人の思想家の名を通しお、囜東ずいう土地が持぀“倩地を結ぶ孊びの拍子”に觊れるこずになった。

↑ ↓こちらの画像は、囜東半島六郷山荘「梅園の里」様よりお借りいたしたした。

この床の梅園祭の祭䞻を務められたのは、今回、私たち芪子を囜東半島巡瀌ぞご招埅くださった囜東圚䜏の《I氏》である。《I氏》は梅園䌚䌚長ならびに西歊蔵地区公民通通長ずしお倧倉お忙しい䞭、祭兞の前日からご自身の車で空枯たで迎えに来おくださり、囜東の海、山、寺、磐座、皲田、そしお、梅園の里たで、実に䞁寧に案内しおくださった。

私たち芪子の倧分移䜏そのものも、日本ぞ垰囜する前から《I氏》が陰に陜に支えおくださったからこそ実珟できたものであり、ここに改めお心より深く感謝申し䞊げたい。

「梅園の里」は、江戞時代の自然哲孊者・䞉浊梅園が生涯を過ごした地に぀くられた斜蚭です。 「倩球通」の名は、近くの資料通に収められおいる梅園自䜜の倩球儀(囜指定重芁文化財)に由来。
画像は【ツヌリズムおおいた】倧分県芳光情報公匏サむト様よりお借りいたしたした。

🌞 梅園祭―山から人ぞ受け継がれる瀌の氎脈

梅園祭は、単なる蚘念行事ではなかった。か぀お䌚堎ずなっおいた西歊蔵小孊校が統合により閉校ずなっおからは、「梅園の里 ホヌル」を舞台に、地域の方々の手によっお祭りが受け継がれおいるずいう。

䞡子寺の導垫、瑠璃光寺の法䞭による焌銙から始たり、祭䞻祭文、安岐䞭倮小孊校五幎生の子ども達による合唱、䜜文発衚、曞道展の衚地、詩吟、琎挔奏、ほぐしペガ、安岐䞭孊校吹奏楜郚の挔奏ぞず続く流れは、ひず぀ひず぀が掟手に䞻匵するものではなく、土地の蚘憶を䞁寧に折り、包み、結び、次の䞖代ぞ手枡しおいくような、静かな瀌の氎脈であった。

私がずくに胞を打たれたのは、子ども達が歌った『梅園先生をたたえる歌』である。䜜詞は歊蔵町出身の滝口歊士氏、䜜曲は加藀正人氏で、歌詞には「自然を垫ずし友ずしお」「䞡子の山を芋るように」「毎晩空をあおぎ぀぀、発芋された倩地の理」ずいった蚀葉が䞊んでいた。

私はその歌を聞きながら、孊問ずは本来、机䞊の知識ではなく、山を芋、空を仰ぎ、土地に生きる人の呌吞から立ち䞊がるものなのだず感じた。
梅園先生のいう「倩地」ずは、ただ空ず地面のこずではなく、森矅䞇象そのものの理であり、人がその䞭でどう生きるかを問い続ける、倧きな呌吞のこずなのだず思う。


🎶『梅園先生をたたえる歌』
――土地が歌ずしお息をする


『梅園先生をたたえる歌』
 䜜詞滝口歊士
 䜜曲加藀正人

䞀、自然を垫ずし友ずしお 極め極めた孊のあず
  䞡子の山を芋るように 高く倧きくそびえおる
  ああ がくたちの ばいえん先生

二、山に生たれお山に死ぬ 名利をよそに生きたあず
  庭に開いた梅のように 枅く明るくにおっおいる
  ああ がくたちの ばいえん先生

䞉、毎晩空をあおぎ぀぀ 発芋された倩地の理
  空にかがやく星のように 教えはずわに生きおいる
  ああ がくたちの ばいえん先生

『䞉浊梅園』先生 19231789幎 倧分県囜東垂安岐町富枅の富氞区生たれの偉人。
画像は【ツヌリズムおおいた】倧分県芳光情報公匏サむト様よりお借りいたしたした。


そしお、蚘念講挔では、倧分垂圚䜏で䞡子出身の萜語家・和楜亭頭光さんが、「梅園先生ず私」ず題しお、梅園旧宅を蚪れた湯川秀暹博士にた぀わるご自身の゚ピ゜ヌドなど、梅園先生ずのご瞁を語っおくださった。さらに、十八番の萜語挔目「転倱気」も披露され、䌚堎には柔らかな笑いが広がった。

厳かな祭兞の䞭に、子ども達の声があり、曞があり、音楜があり、身䜓をほぐす時間があり、そしお笑いがある。その党䜓を芋おいるず、梅園祭ずは、偉人を遠くから厇める行事ではなく、梅園先生の孊びを、今を生きる人々の暮らしの呌吞ぞ戻しおいく祭りなのだず感じた。

私はその堎党䜓を芋ながら、「ああ、これは山から人ぞ、人から子ども達ぞ、そしお未来ぞず枡されおいく、囜東の瀌法そのものなのだ」ず思っおいた。祭りずは、ただ賑やかに集たるこずではない。先人の名を呌び、歌い、詠み、奏で、笑い、静かに頭を垂れるこずで、土地の氣氎火 いきをもう䞀床、人の身䜓ぞ通し盎すこずなのだ。梅園祭は、たさにそのような、慎たしくも深い「山から人ぞ」の火氎の拍子であった。


👣 脚䞋照顧
――足元を敎えるこずが、倩地ぞ通じる

今回の囜東巡瀌の氎先案内人である、囜東垂安岐町圚䜏の識者《I氏》が奜んでおられる蚀葉に、「脚䞋照顧きゃっかしょうこ」がある。

他人のこずや遠い理想を気にする前に、たず自分の足元をよく芋぀め、自分自身の蚀動や心を省みるずいう犅の蚀葉である。履物を脱いだらきれいに揃えるずいう目に芋える行為の䞭に、乱れた心を敎えるずいう深い教えが宿っおいる。

この蚀葉を聞いた時、私は囜東ずいう土地に流れる瀌の文化ず、梅園先生の倩地芳が、静かに深く぀ながっおいるこずを感じた。倧きな理想や思想を語る前に、たず足元を敎える。遠い宇宙を芳る前に、たず自分の履物を揃える。この順序が狂うず、どれほど立掟な蚀葉を䞊べおも、その蚀葉には䞭身が宿らないのだず思う。


🖋 詩吟――短く深い蚀灵こずたたの噚

梅園祭では、詩吟の発衚も行われおいた。短い蚀葉の䞭に、山、霧、月、寒倜、灯、鳥、梅、春ずいった颚景が静かに息づいおいた。そこには、説明し過ぎないからこそ残る䜙癜があり、蚀葉の奥に景色が立ち䞊がるような、日本語ならではの深い拍子があった。

私は普段、どうしおも長い文章で土地や魂の響きを曞き留めようずしおしたう。䞀息では収たり切らないものを、長い叙事詩のように曞きたくなる性分である。

しかしこの日、詩吟に觊れながら、短い蚀葉にもたた、深い倩地を宿す力があるこずを改めお感じた。長く曞くこずも、短く詠むこずも、根にあるものは同じである。心が受け取った氣配を、蚀葉ずいう噚ぞ䞁寧に移し替えるこず。それが本来の蚀灵なのだず思った。


📜 䞉浊梅園蚘念通
――“倩地を芳る人”の孀独ず光

その埌、梅園先生の像を返华するために、《I氏》ず共に䞉浊梅園蚘念通を蚪れた。倩球儀や資料を眺めながら、梅園先生ずいう方は、単に知識を積み重ねた人ではなく、倩地の仕組みを自らの県で芋぀め続けた人だったのだず感じた。䞖の䞭の垞識や流行にただ埓うのではなく、自然の動き、䞖界や宇宙の成り立ち、人の圚り方を、深く、静かに、根本から問い続けた人だったのだろう。

「䞉浊梅園旧宅」
画像は【ツヌリズムおおいた】倧分県芳光情報公匏サむト様よりお借りいたしたした。
「䞉浊梅園資料通」
画像は【ツヌリズムおおいた】倧分県芳光情報公匏サむト様よりお借りいたしたした。


埌で調べ盎しおみるず、梅園先生の『玄語』は、䞭倮公論瀟『日本の名著20 䞉浊梅園』や、岩波曞店『日本思想倧系41 䞉浊梅園』にも収められおいるほど、日本思想史の䞭でも特異な䜍眮を占める曞であるこずを知った。

しかし私が惹かれたのは、難解な哲孊甚語そのものよりも、梅園先生が「䞖界には条理がある」ず信じ、その芋えない結び目を、自分の蚀葉ず図で䜕床も曞き盎そうずした、その執念のような祈りであった。

『少幎少女のための䞉浊梅園䌝』には、梅園先生が蚀葉を「声」ず「䞭身」に分け、声は人間が぀けたものであり、䞭身は自然のものであるから、䞭身に合わない声を぀けた蚀葉では倩地を考える圹に立たないず考えた、ずいう趣旚の説明がある。私はこの䞀節を読んで、蚀葉ずはただ䟿利に䌝える道具ではなく、䞭身に合った声を䞎えられた時、はじめお倩地を芳る噚になるのだず感じた。 

たた、梅園先生が䜜られた蟲民同士の助け合いの仕組み「慈悲無尜じひむじん」にも心を打たれた。みんなができる範囲で米や麊やお金を出し合い、困った人から順に助けるずいう仕組みは、私がアンデスで䜓隓しおきた「アむニ」、すなわち「今日は私のために、明日はあなたのために」ずいう盞互扶助の粟神ず深く響き合うものだった。囜東の寒村で生たれた知恵ず、アンデスの山岳共同䜓に受け継がれおきた知恵が、遠く離れおいながら同じ人間の祈りずしお重なっお芋えたのである。

『慈悲無尜』梅園先生が䜜った助け合いの仕組み

①みんなが助け合いを理解する。
②みんなができる範囲で米・麊・お金を出し合う。
③出せない人には無理に出させない。
④集たったものを毎幎掻甚しお増やす。
⑀みんなで盞談しお、䞀番困った人から順に助ける。

梅園先生の「慈悲無尜」は「共枈制床」の先駆けずしお泚目されおいたす。

囜東垂圹所 マンガふるさずの偉人「䞉浊梅園」より匕甚


梅園先生は、ただ本を読んで倩地を語った人ではなかった。倩地そのものに問い続け、自分の足元の暮らしから、宇宙の条理たでを芋぀めようずした人だったのだず思う。だからこそ私は、梅園の里で感じたあの静けさを、単なる郷土の偉人蚘念ではなく、「自分の目で倩地を芋よ、自分の足元から条理を芳よ」ずいう、今の私ぞの深い呌びかけずしお受け取った。

画像は【囜東垂「䞉浊梅園に぀いお孊べる斜蚭」】様のパンプレットをお借りいたしたした。

🌌 酒や酢では米は分からない
――䜓隓こそが倩地を開く

『少幎少女のための䞉浊梅園䌝』には、さらに匷烈な䞀節がある。
「昔の人は倩地を芋るのに、ありのたたを芋ようずせず、欲を持った心で芋おいるので、本圓の倩地が分かっおいない。政治家の芋た倩地は䞖が治たるような倩地になり、宗教家の芋た倩地は人の心が安たるような倩地になる。酒や酢は米から䜜られるが、いくら酒を飲んでも酢をなめおも、米を芋なければ米のこずは分からない。孊者たちの読んでいる本は酒や酢のようなもので、いくら読んでも、自分で倩地を芋なければ本圓の倩地は分からない」、ずいう趣旚の蚀葉である。

『少幎少女のための 䞉浊梅園䌝』䞉浊頌矩 著
※䞉浊梅園資料通のカりンタヌのみで販売しおおりたす

私はこの文章を読んで、「その通りだ」ず深くうなずいた。テレビや雑誌で矎しいマチュピチュの画像をいくら芋おも、実際に自分の足でその聖地に立ち、朝の癜霧の䞭に珟われるワむナピチュ山の空気や颚を感じなければ、本圓の感動など埗られない。

暙高五千メヌトルを超えるビニクンカ、通称レむンボヌマりンテンで、背埌にクスコの霊峰アりサンカテ山を臚み、酞玠の薄い高地で高山病ず戊いながら、あの冷え切った氷山の匷颚に䞉十分も耐え難いこずなど、写真や動画だけでは絶察に分からない。

さらに、十五幎前ず比べおも枩暖化によっお雪山の氷がかなり融け、岩肌が芋えおきおいるこずも、机䞊の空論では分からない。珟地に立ち、息を吞い、寒さに震え、足元の石や磐座を螏みしめ、身䜓で受け取っお初めお、「ああ、倩地ずは本圓に動いおいるのだ」ず分かるのである。


🍚 䞡子山の玄米
――“ひのひかり”ずいう倩地の実り

《I氏》のご友人である《Y氏》の田んがから採れた「ひのひかり」ずいう名の玄米をいただいた。䞡子山を臚む安岐の田んがで、䞡子川の䌏流氎に育たれたその玄米は、口の䞭でプチプチず匟けるような匟力があり、驚くほど矎味しかった。これは単なる米ではない。山、氎、土、倪陜、人の手ずいう呜、そしお土地の蚘憶が䞀粒䞀粒に凝瞮された、たさに倩地の恵みである。

蚀灵で「米」を芳る時、「コ」は䜕かが集たり、䞭心ぞ向かっおいく、圢を成す前の凝瞮された状態を瀺す。そしお「メ」は、そこから芜吹き、成長し、新たな生呜ぞ぀ながっおいく可胜性を含んでいる。この二぀の音を重ねるず、「米」ずは倩地の恵みが小さな粒の䞭ぞ凝瞮され、その生呜力がやがお芜吹き、次の呜ぞ぀ながっおいく噚であるず感じられる。

《Y氏》から莈られた「ひのひかり」玄米は、十五幎間のクスコ生掻、二十八幎間のフィヌルドワヌクを終えお久しぶりに日本ぞ戻っおきた私たちぞの、囜東からの静かなご耒矎だったのかもしれない。
《I氏》はそれを、あえお倧げさに蚀うこずなく、そっず教えおくださった。

玄語が倩地の理を蚀葉で結んだ実りであるなら、玄米は倩地の理を身䜓で味わう実りである。その二぀を同時に受け取ったこずは、私にずっお深い意味を持぀出来事だった。


🥔 アンデスの垂堎ず、身䜓で味わう倩地の恵み

近代日本の、冷暖房の効いた建物の䞭で流通する均䞀な食材だけを芋おいるず、食べものが本来どれほど土地ず結び぀いおいるのか、忘れおしたいそうになる。けれども、アンデスのむンカ垝囜の叀郜クスコ呚蟺では、週末に朝䞀番に垂堎ぞ行けば、パチャママ「倧地の母」から採れたばかりの野菜や果物が、珟地のメスティヌ゜混血の人々の手によっお䞊べられおいる。

そこには、みずみずしい倧地の氎をたっぷり含んだ、栄逊䟡が高く、本圓に安い野菜や果物があった。䞉千皮類以䞊あるず蚀われるゞャガむモ、トりモロコシ、トマト、チリずうがらし、肉、魚、卵、塩、銙草、薬草。これらはただの食品ではない。暙高、倪陜、土、氎、颚、人の手、そのすべおが䞀぀になっお実った倩地の結晶である。

実際に自分の口で食べ、舌で味わい、身䜓が喜ぶのを感じなければ、その土地の本圓の豊かさなど分からない。人生も同じである。蟞曞や癟科事兞やりィキペディアの䞭だけに、人生の真実はない。人は実際にその土地で生き、䜓隓し、分かち合い、喜び、楜しみ、時には怒り、悩み、苊しみ、悲しみ、そしおコミュニティの仲間達ず共に祭りや祭祀で笑い合いながら、倩地の息ず自分の息ずの『氣むキ 氎火』を合わせお生きおいくものなのだず思う。


参考文献・参照情報

・『少幎少女のための䞉浊梅園䌝』䞉浊頌矩著、囜東垂教育委員䌚発行
・『マンガふるさずの偉人「䞉浊梅園」』倧分県囜東垂  電子曞籍無料
・『䞉浊梅園 自然哲孊論集』岩波文庫
・『日本の名著20 䞉浊梅園』䞭倮公論瀟
・束岡正剛「千倜千冊」䞉浊梅園『玄語』
・『䞉浊梅園の謎を解く 玄語電子デヌタベヌス』 北林達也


🌟次回予告【囜東半島 火氎巡瀌蚘埌線】
玄語ず玄米――山から人ぞ、倩地の実りが手枡された日

巡瀌の締めくくりずなる埌線では、䞉浊梅園先生が生涯をかけお探究した『玄語』の䞖界ず、䞡子山の䌏流氎に育たれた「ひのひかり」の玄米ずいう、二぀の「倩地の実り」を蟿りたす。

なぜ梅園は『玄語』を未完成のたた遺したのか。なぜ私は、その思想の䞭にアンデス山脈で十五幎間歩み続けた旅路ずの深い響きを感じたのか。
そしお、曞くこずずは䜕か、孊ぶこずずは䜕か、生きるこずずは䜕か。
──囜東巡瀌を通しお静かに受け取った答えを、旅の結びずしお綎りたす。

䞉郚䜜の最埌を食る物語も、どうぞ楜しみにお埅ちください。

什和八幎䞃月二日朚
ヒフミ 靑朚 春矎恵Hifumi Sumie Aoki

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