幸福な王子、シーシュポスの神話、鋼の錬金術
アルベール・カミュが好きです。14歳の頃、外国の旅行記を読んだら、その中で魅力を感じた現地の方が読んでいる本として知りました。育った町の小さな書店、それは文房具店に併設された本棚に新潮文庫があり、『異邦人』『ペスト』『シーシュポスの神話』もありました。
最初、『異邦人』は何を言いたいか謎でした。『ペスト』は14歳の私には難しいけれど、2Bのシャーペンで線を引きながら、読み終えました。極限状態は印象に残りました。そして、『シーシュポスの神話』を読み、カミュが言いたかったことはこれだと感じました。
その文脈で考えると、オスカー・ワイルドの『幸福な王子』は美しいけれど、利他的な行動を行うことで、結果的にツバメを巻き込んでおり、私は賛成出来ないです。寓話として美しいことは理解出来ます。
対して、『鋼の錬金術師』でエドワード・エルリックが、お母さんの人体錬成(禁忌)を行い、代償をもっていかれた時。既に重症を負っているのに、さらに代償を覚悟し弟のアルフォンス・エルリックの精神を鎧に定着する(部分的に取り戻す)ことは、成功しました。あの場面だけでなく、ハガレンの登場人物は運命や権力の言いなりにならず、様々な形で反逆します。
だから、私からすると『幸福な王子』より『鋼の錬金術師』の方が実存主義的に思うのです。哲学はかび臭い書庫に保管されるものではなく、人間の生き方に反映されます。
それがフィクションだとしても。
ASIAN KUNG-FU GENERATION 『リライト(2016ver.)』を記事に埋め込みます。私はコミックスで読み、アニメは追いかけていないけど、アジカンを知ったきっかけは鋼の錬金術師だから。テーマソングでしたね。
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