自分の部屋のトイレに誰かが入ってくるアパートに、2年間住んでいた話
もしかしたら、幻だったのだろうかと思うことがある。
でも、自分は、確かにその部屋で2年間暮らしていた。
久しぶりに訪れたら、すでに取り壊されていた下北沢のあの建物に。
学⽣時代に住んでいた下北沢のアパートは、奇妙な構造の建物だった。
自宅を改修したアパートで、1階と2階に2部屋ずつの貸し部屋がある。
それだけなら、よくあること。
奇妙なのはトイレだ。
オレが借りていた1階のワンルームは、6畳程度の広さ。
シャワールームはないけれど、部屋にはトイレがついている。
このトイレは、隣⼈と共同で使⽤する「共同トイレ」だ。
オレの部屋と、隣の部屋は、トイレでつながっている。
何を言ってるかわからないと思うが、まずはこの図をご覧いただきたい。

オレの部屋は道路に⾯した1階。
この部屋のトイレは、隣室との間にあって、オレの部屋からも隣室からも入れるようになっていた。
トイレには2つのドアがついている。
それぞれの部屋専⽤のドアで、外鍵と内鍵がついている。
オレの部屋からドアを開ければ、便器の左側になる。
隣の部屋からドアをあければ、便器の正面になる。
このトイレを使うためには、次のように特別なお作法があった。
1.まずトイレをノックする
※隣⼈が使用しているかもしれない
2.誰かが⼊っている気配がなければ、トイレの外側のカギをあける
※ドアには、外鍵と内鍵がついている
3.⼊ったら、隣人の部屋側のドアの内鍵をかける
※和式便器なので、これを忘れると、しゃがんでいる最中にいきなり後ろのドアを開けられてしまう
4.「どうかノックされませんように」と祈りながらコトをすませる。
5.コトを終えたら、隣人の部屋側の内鍵をはずす
※これを忘れると、隣人は、⾃分の部屋のトイレを利⽤することができなくなる
6.トイレからでたら外側からカギをかける
※これを忘れると隣⼈がトイレ経由で侵⼊できてしまう
もちろん、隣⼈だって、この作法を守るんだけど、なんで⾃分の部屋のトイレに⼊るだけでこんなにも気を使うのか。
だが問題は、それだけではなかった。
学生だったオレを当惑させた最⼤の問題は、「このトイレを共同で使っている隣⼈は、就職したばかりのOL」(大家さん情報)ということだった。
トイレットペーパーで交換日記なんて余裕はない。
⼥性と共同でトイレを使うことが恥ずかしくてたまらなかった。
もちろん、向こうは、もっとイヤだったと思う。
このトイレは⾃分の部屋の⼀部でありながら、隣室のOLさんの部屋の⼀部でもあるわけで、オレはトイレに⼊るたびに、「隣のOLの部屋にこっそりと忍び込んで、トイレに潜んでいる気持ち悪い男」になった気がした。
罪悪感と背徳感と、「後ろのドアが開くのではないか」という恐怖。
もちろん、こんなトイレが防⾳構造になっているわけもない。
⽊製のドアは平気で⾳を通すから、トイレにしゃがんでいる時に、隣室のドア側から、女性たちがワイワイと話す声が聞こえたりすると、オレの緊張は⼀気にピークに達して、「神様︕ どうか誰も来ませんように︕」とお祈りにも⼒が⼊った。
もし、そんな状況のときに、「ぷぅ〜」って⾳が漏れて、同時にそれまで盛り上がっていた隣室が沈黙したら…。
そう考えるだけで恐ろしさに震えた。
震えることで音が出そうになってた。
その後の人生で、あまり願い事がかなわないのは、この時に、お祈り力の殆どを使い果たしたからだと思う。
もっと違うことに使っていればよかった。
平日日中は、隣人は出社しているから気が楽だ。
でも夜のトイレは、緊張で張り詰める場所。
ドアの前で深呼吸をする。
できるだけ静かに、⾳を⽴てないよう忍者のように⽤を足さなければならない。
問題はまだあった。
隣⼈⼥性は、⾃分がトイレを使⽤した後に、オレの部屋側の内カギをはずし忘れることがたまにある。
そうなるとオレは、「⾃分の部屋のトイレから締め出される」という理不尽な事態に陥ってしまう。
自分の部屋のトイレなのに入れない。
これがパジャマに着替えた真夜中で、「さぁ、トイレに⾏ってから寝ようかな」なんてタイミングだと、その切なさは計り知れない。
隣⼈に「トイレのカギあけてくださ〜い︕」と叫べるわけもなく、オレは黙って服を着替えると、100メートル先にある深夜営業のゲームセンターまでダッシュしてトイレに駆けこみ、コトが終わるとパンチングマシーンにやるせなさをぶつけた。
腹具合が悪くて頻繁にトイレに⾏きたい時などは、きつい。
腹がたつ︕というか、腹が痛いんだよ︕︕
なぜ、⾃分の部屋にトイレがあるのに、わざわざ100メートル先まで、ギリの状態で何度も⾛らねばならないのか︕
なんでなんだ︕ それが人生か! 神様!!
そんな時はパンチングマシーンだけではあきたらず、オレは、ゲーセンからアパートまでの間に並ぶ電信柱に、⾶び蹴りをくらわしながら、「荒ぶる⼀⼈暴徒」と化して、夜の通りを吠えながら駆け抜けた。
一度だけ、トイレにはいったら、隣の部屋へのドアが全開になっていて、ぶったまげたことがある。
自分の部屋のトイレに入っただけで、家宅侵入罪みたいな状況。
「地獄のどこでもドア」か!
見る気もないのに、丸見えの部屋。
逮捕される自分の姿が脳裏をよぎった。
動転しながら、「どうか気がつかれませんように」と、残り少ないお祈り力を振り絞って、そぉっと隣室へのドアに手を伸ばして閉めた。
隣人がいるかどうかは、トイレの角度からはわからない。
でも、閉めなきゃ、家宅侵入罪だけじゃすまない。
誰も望んでいない恥辱のショーを披露した上に、公然わいせつ罪まで加わることになる。
あんまりだろ!トイレに入るのは悪なのか! ここは地獄か!
オレのお祈り力が尽きる…。
死ぬかと思った。
でもね、ドアが2つだからまだよかったよ。
もしも、これが4つの部屋で共同で使うことになっていたら、オレは限界を超えてたと思う。
毎⽇が、パニックで、気が休まる暇もない。
トイレに⼊るたびに、いちいち⾃分の部屋以外の3つのカギをかけなくてはならない。
順番にカギをかけてる最中に、別のドアが開いて誰かが⼊って来る。
オレは、「ひぇー」と思いながら、慌ててそいつをドアの外へと押し出す。なんとか押し戻すと、今度は別のドアが開いて、また誰かがはいってくる。「いい加減にしろ!」と思いながら、力を込めてこいつを押し出す。
また別のドアが開きそうになるから、ドアを蹴飛ばしてそいつを弾き飛ばす。
やっと全員を押し出してホッとすると、今度は突然、天井がパカとはずれる。
「なんだっ?!」と上を見上げると、ロープが垂れ下がってくる。
2階の住⼈がロープをつたわってトイレに降りてこようとしてる。
オレの我慢と怒りは限界に達して、⽂句を⾔うためにロープを上っていく。
2階までは意外と距離があるが、オレはぎゅっとロープを握って、必死でよじ登っていく。
もうすぐ2階に到着するっていうところで下をみると、いつのまにか他の部屋のヤツらもロープを上ってこようとしてる。
オレは⼤声で、「コラッ︕ このロープはオレんだぁ。切れちまうだろ︕ 上ってくるな︕」って叫ぶ。
その途端にロープが切れて、真っ逆さまに落っこちていく…。
「神様ってワザとイジワルしてるよね」 by カンダタ
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