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鰻のかば焼きについて

1. はじめに

鰻は大好物であるが、近年の価格高騰には頭を悩ませてきた。それが2026年の今夏、消費者にとって嬉しい変化が起きているという。2025年産のシラスウナギ(稚魚)が豊漁だった影響で、国産・中国産ともに店頭価格が前年比で1割ほど値下がりしているのだ。特に中国産は1匹980円程度で並ぶ量販店も現れ、手頃な選択肢として存在感を増している。

国産に対するこだわりを少し脇に置けば、今年は上質な鰻を身近に楽しむ絶好の機会となる。しかし、安価なスーパーの鰻、とりわけ大ぶりな中国産は「身がぶよぶよしている」「皮が硬くてゴムのよう」「独特の生臭さがある」といった特有の不満がつきまとうのも事実だ。

こうした安価な鰻を、劇的に美味しくする方法はないか。ヒントは、北九州市小倉の名店「田舎庵」の店主である緒方弘が提示するプロの技術にある。緒方流の調理思想を科学的に紐解き、家庭の熱源特性と掛け合わせることで、スーパーの鰻を至高の逸品へと昇華させる具体的なアプローチを本稿で検証する。

2. 「田舎庵」緒方流の調理思想とその科学的背景

テレビ番組「情熱大陸」などでも紹介された名店「田舎庵」の店主、緒方は、市販の鰻を劇的に美味しくするウラ技として「一度タレを完全に洗い流してから焼き直す」という驚くべき手法を公開している。一見すると鰻を冒涜するようにも思えるこの工程には、極めて合理的な理屈が存在する。

(1) なぜタレを洗い流すのか
スーパーの店先に並ぶかば焼きの表面には、大量生産の過程で塗られたタレが凝縮している。このタレは流通や陳列の過程で時間が経過しており、酸化した鰻の脂や、パック内部の閉ざされた空間で発生した生臭みを吸い込んでしまっている。これが、市販の鰻特有の「レトルト臭」や「冷蔵庫臭」の正体だ。さらに、市販のタレには見た目の照りを出すための増粘剤などが含まれていることも多く、これが加熱時の余計な焦げ付きを誘発する。

流水でこの古いタレを完全に洗い流し、キッチンペーパーで水分を徹底的に拭き取ることで、鰻の身をいわば「白焼き」に近いフラットな状態へリセットできる。この段階で、臭みの原因物質の大半を物理的に除去することが可能となる。

(2) 「焼き切る」ことによる肉質変化
緒方は「鰻は焼けば焼くほど美味しくなる」と語る。しっかり焼くことで身の中の余分な水分が抜け、代わりに熱(炭火の気配)が入る空間ができるという理論だ。

この思想は、特に中国産の鰻にこそ強力に作用する。中国産うなぎは国産に比べて大ぶりで、皮が厚く、脂が非常に強い。そのまま温め直すだけでは、脂がくどく、皮が硬くて噛み切れないという最悪の食感になる。しかし、タレを洗い流した状態で徹底的に「よく焼き」にすると、以下のメカニズムで劇的な変化が起きる。

  • 皮目の厚い脂肪層から余分な脂が溶け出し、自身の脂で皮が揚がるような状態になってバリッと香ばしく仕上がる。

  • 身の内部のぶよぶよとした水分が適度に蒸発し、組織が凝縮されてフカフカとした本来の弾力を取り戻す。

動画内では、焦げそうになった瞬間に水を差して温度を下げるという技術が紹介されているが、これも「表面だけが焦げるのを防ぎ、芯まで完全に熱を入れ切る(水分を抜く)」ための合理的なコントロール手法である。

3. 家庭における熱源の科学

鰻を焼くにあたり、最高峰の熱源が「備長炭」であることは論をまたない。しかし、我々素人が家庭で備長炭を熾すのは現実的ではない。ここで重要になるのは、家庭にある熱源(電気とガス)の物理的特性を理解し、いかにプロの環境へ近づけるかという戦術だ。

(1) 水蒸気と赤外線から見る3つの熱源
食材を加熱する際、熱源の種類によって「水蒸気の発生量」と「赤外線の強さ」が決定的に異なる。それぞれの特徴は以下の通りとなる。

備長炭
水蒸気の発生はほぼゼロである。燃料が純粋な炭素であるため、燃焼時に水が生まれない。同時に、極めて強い遠赤外線を放射する。この強力な輻射熱が、表面を焦がすことなく身の深部まで一気に貫通し、内部の水分を効率よく飛ばしてバリッと焼き上げる。これがプロの味の根源である。

電気(オーブントースター):
水蒸気の発生はゼロである。ニクロム線やグラファイトヒーターによる電気加熱であるため、調理空間に水分が追加されることはない。赤外線の強さは炭火に比べると弱いから中程度にとどまるが、「水分を出さずに、食材を乾かすように焼き切る」という一点においては、炭火に極めて近い環境を作り出せる。

ガス(コンロの魚焼きグリルなど):
大量の水蒸気が発生する。都市ガスやプロパンガスの主成分である炭化水素が燃焼する際、化学反応によって大量の水分が放出されるためだ。これにより、庫内は常に「蒸し焼き」に近い状態になりやすい。表面を水分なくバリッと仕上げたい鰻の調理においては、ガス特有の水分が障壁となる。

(2) 家庭用トースターがベストである理由
上記の特性を比較すると、家庭で「田舎庵」の思想を実践する場合、ガスグリルよりも電気オーブントースターを使用するほうが理にかなっていることが分かる。「電気だから直火より劣る」と妥協するのではなく、「電気だからこそ水蒸気が出ず、鰻の水分をしっかり抜くことができる」という前向きな選択になるのだ。

4. 家庭での実践的な調理戦術

熱源の理屈が分かれば、あとは家庭にある道具でどこまで炭火の物理現象を再現できるかという勝負になる。スーパーの鰻を最高に美味しく仕上げるための、具体的なチェックポイントを挙げる。

(1) 徹底的な予熱
炭火の圧倒的な初期熱量に対抗するため、鰻を入れる前にトースターを5分ほど空焼きし、庫内の温度を限界まで高めておく。熱々の空間へ鰻を投入することで、表面の水分を一気に飛ばし、焼きのスタートダッシュを決めることができる。

(2) アルミホイルの加工
トースターの受け皿にアルミホイルを敷く際は、一度手でクシャクシャに丸めてから広げて敷くと良い。表面の凹凸によって鰻の身がホイルに密着するのを防ぎ、身から落ちた余分な脂が底面に溜まってベチャつくのを回避できる。

(3) タレの自作
古いタレを洗い流した後に、パックに添付されていた安価なタレをそのまま戻しては意味がない。醤油、みりん、氷砂糖(または砂糖)を用いて、キレのあるタレを自作することを強く勧める。みりんをしっかりと煮切り、氷砂糖を溶かしてから醤油を合わせ、沸騰直前(75度程度)で火を止めて香りを残す。このひと手間が、全体の輪郭を引き締める。

5. 完全養殖うなぎの未来と現実的な見通し

お手軽に鰻を食べるという文脈において、近年もう一つ大きな話題となっているのが「完全養殖」の商業化だ。新日本科学が鹿児島で稚魚100万尾の量産に向けた実証体制を構築するなど、ニュースでは華々しい成功が報じられている。しかし、これが我々の食卓に真の意味で「安価な鰻」として届くまでには、まだ長い年月と高いハードルが存在する。

(1) 商業化を阻む3つのボトルネック
①人工飼料のコスト問題

これが最大の壁だ。ウナギの仔魚は非常に偏食であり、現在は主にサメの卵を原料とした特殊な泥状の飼料が使われている。サメの卵は資源量に限りがあり、調達コストが極めて高い。さらに水槽が汚れやすいため、頻繁な水換えに伴う人件費や光熱費が跳ね上がる。安価な完全人工飼料の開発が進められているが、天然稚魚の採捕コストと対等に渡り合えるレベルには達していない。

②生存率(歩留まり)の不安定さ:
卵からシラスウナギに変態させるまでの生存率は向上しつつあるものの、数万、数十万匹単位での大量生産ベースでは未だに不安定要素が多い。生産ラインを自動化し、大規模な工場として安定稼働させるための設備投資額は巨額になる。

③天然稚魚の豊漁リスク:
完全養殖という巨大なプラントを建設しても、まさに今年のように天然のシラスウナギが豊漁になり、取引価格が1キログラムあたり130万円などと前年比で5割も暴落する事態が起きると、民間企業の完全養殖うなぎは価格競争で一瞬にして敗北するリスクを常に孕んでいる。この市場の不安定さが、大規模量産への投資を躊躇させる要因になっている。

(2) 消費者としての今後の付き合い方
これらの背景から、完全養殖うなぎが市場に出回り始める初期段階においては、安価になるどころか「環境を破壊しないサステナブルな高級ブランド」として、通常の養殖ものより高い価格設定になる可能性が極めて高い。我々が期待する「中国産並みにお手軽な完全養殖うなぎ」がスーパーの店頭を埋め尽くすのは、早くとも2030年代以降になると見るのが現実的だ。

6. おわりに

鰻の価格高騰に悩まされてきた身としては、完全養殖の技術革新に淡い期待を抱いていたが、その商業的な裏側を知るにつれ、過度な楽観は禁物であると理解できよう。当面の間は、地球の気候や海流の気まぐれがもたらす「天然稚魚の豊漁サイクル」の恩恵を有り難く享受するのが、消費者として最も賢いスタンスとなる。

だからこそ、今年のように手頃な価格で手に入る中国産などの鰻を、いかに自身の知恵と工夫で美味しく食べるかという「技術」に価値が生まれる。名店の職人が提示してくれた「タレを洗ってよく焼く」というロジックは、家庭の電気トースターという身近な熱源の特性と見事に噛み合う。

熱源の物理現象を正しく理解し、丁寧に水分をコントロールして焼き切った鰻は、もはやスーパーの安物という枠を完全に超越する。道具や素材のせいにせず、理屈を持って食に向き合うことの愉悦が、そこにはある。今年の土用の丑の日は、自らトースターの前に立ち、完璧に焼き上げた一皿で、大好きな鰻を心ゆくまで堪能することにしたい。


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