課題解決という違和感──問題を探し続けると、何が見えなくなるのか
違和感のデザイン 01
デザインは「課題を解決するもの」だと、よく言われる。
それを聞くたびに、
私は少しだけ違和感を覚える。
しかし、いつからだろう。
世界は「解決すべき課題」でできているものだと
考えられるようになった。
会議でも、
企画でも、
社会の議論でも、
まず「課題は何か」が探される。
そして課題が見つかると、
次はその解決方法を考える。
とても合理的な流れだ。
だが、
ここで私は立ち止まる。
本当に、世界はそんなに
課題だらけなのだろうか。
むしろ、課題を探し続ける社会のほうが
私には違和感だ。
課題という言葉は便利だ。
何かを問題として整理できる。
議論もしやすい。
だが同時に、
世界の見え方を
決めてしまう言葉でもある。
もし、世界を「課題」として見るなら、
世界は永遠に課題になる。
そして解決の仕事は
終わらない。
しかし、デザインの始まりは、
必ずしも課題ではない。
多くの場合、それはもっと小さなものだ。
言葉にならない
小さな違和感。
「なんか、おかしい」
その感覚だ。
デザインは
問題を解決するためだけにあるのではない。
人間と社会のあいだにある
小さなズレを見つけ、
その関係を少し整える。
そのための営みだ。
だから私は、課題を探す前に
違和感を探す。
デザインは、
そこから始まる。
ここまで読んで、
もし何かがしっくりこないまま残っているなら、
それは「課題」と呼ぶ前のものかもしれません。
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→ 言葉になる前のものを、構造として捉え直す
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