英語50年史|第7話 勝てば官軍
相変わらずFENを聞いていた。この当時、洋楽一色という感じの世界だった。
ジョン・クーガーの「ジャック&ダイアン」FENでガンガンかかっていた。泥臭い、いかにもアメリカという感じだった。この曲が好きで、なんとか歌詞を聞き取ろうとしていた。
そのうちにマドンナとか出てくる。FENでは「マダーナ」と呼んでいた。ネイティブな発音が新鮮だった。
マイケル・ジャクソンのスリラー。ヴィンセント・プライスのナレーションだ。聞いた途端にゾクゾクした。レコードを買った。ライナーノートのスクリプトを見て、死ぬほど練習した。彼になりきって、息遣いまで真似た。
「レイダース/失われたアーク」感動した。途中で思わず拍手をしてしまった。自分でもなんでそんなことしたのかわからない。誰かがつられて拍手をしだして、映画館は拍手喝采になった。
あまりに好きすぎて、多分二十回ぐらい見たと思う。
"I'm making this up as I go." これが好きだった。「出たとこ勝負」みたいな感じ。
インディ・ジョーンズ/魔宮の伝説。ペーパーバックを買った。五百ページくらいあった。スラング、イディオム、口語表現が次々と出てくる。これは手強い。正直、舐めていた。辞書を駆使してかなり頑張って読んだ。
英語だけでなく、日本語の本も猛烈に読んでいた。国際情勢、軍事、冒険もの、歴史、科学、経済。ブルーバックス系も読んでいた。乱読状態だった。徹夜で読んだ後、目は疲れているんだけれど、朝の光がすがすがしかった。
吉川英治の『宮本武蔵』は十巻以上あったが一週間で読んだ。きっかけは映画で「おつう」を演じていた若い頃の八千草薫がめちゃくちゃ可愛かったからだ。
アメリカのアウトドア雑誌も読みまくっていた。キャンプをしているところを描写するとか。アメリカ人の考え方とか文化が少し理解できた。
FENガイドという雑誌。チャーリー・ツナが収録されていた。彼が話していたことが正確に分かる。もう、気が狂ったように真似をした。すべてを本人になりきるまで練習した。
数年後アメリカに行った時、ネイティブに聞かれた。「君は日本で何をしていたんだ? アナウンサーか」
画期的な発見があった。
チャーリー・ツナの声にかぶせて音読していると、どうしても息が続かなくなる。
おかしい。こんなの、どうやっても一息では言えない。そこで考えた。ネイティブといえども、一息で言えるはずがない。絶対どこかで息継ぎをしているはずだ。
そう思って観察すると、大体三語から四語くらいのところで、一瞬、間が空く感じがある。接続詞の前とかでも、やはり少し切れる。
そうか、英語はこういう単位でしゃべっているのか。
リンキングは、自然に意識していた。だが、この時の発見はそれとは全然違った。
こういうことを理論的に説明している本はないかと思って探した。すると、通訳訓練のサイトトランスレーションというものに出会った。これだ、と思った。
長文を読むのがめちゃくちゃ楽になった。しかも、わかりやすい。チャンク単位だから、一個のチャンクでわからないところがあっても、そこは無視して次へ進める。まるで潜水艦の隔壁みたいなものだ。一つの区画が浸水しても、他の区画が生きていれば船は沈まない。
この頃の私は一応浪人生ということにしていたんだけど、受験の参考書とか問題集とか一切買ったことはない。読んだこともない。だから受験英語というのがどんなのか知らない。そんなものに近づきたくなかった。美しい英語がけがされるみたいに感じていた。
高校を卒業して三年も経っていた。完全にプー太郎だ。さすがに自分でも何やってるのかわからなくなってきた。
俺は一体何がしたいんだ?
それに、親にも申し訳ない。こんな馬鹿な息子を見守ってくれていた。勉強しろとか大学に行けとは言うんだけど、結構好きなようにやらせてくれていた。ここで恩返しをしなければならないと思った。本気で大学受験を決意した。
大学は昔から決まっていた。おやじがずっと言っていた。京都には、昔から立命と同志社というのがあって、同志社はお坊ちゃん学校で、金持ちの子が行くところだと言っていた。それに比べて、立命はバンカラ学生が多くて、いかつい大学だ。幼い頃から、立命に行きたいなと思っていた。
我が家では大学といえば立命館一択だった。
しかし、まずいのは、二つ下の妹がすでに立命に通っていたのだ。このままでは妹の後輩になってしまう。仕方ないか。
高校の時は理系志望だった。昭和の時代なので、なんとなく男子は理系、女子は文系みたいな感じの流れだった。私自身は理系の方が合っている気がした。でもやっぱり勉強は難しい。受験勉強をどうしたらいいのかさっぱりわからなかった。
文転しかない。そもそも理系で特に何かしたいということもなかったし。
英語には絶対の自信があった。
多分英語ができれば受かるんじゃないかと思っていた。かといって、それまで、模試とか一回も受けたことはない。どのくらい英語力があるのかはさっぱりわからない。
けれど、映画とか見てそれなりに理解できるし、日常会話ぐらいならできるんじゃないかという自信はあった。
英検二級を受けてみた。高校卒業程度の英語力らしい。これに受かれば大学受験できるんじゃないかと思った。あっさり受かってしまった。
それまで受験英語というのを見たことがなかった。立命館の赤本を一冊買ってきた。1年分だけ解いてみた。
英語は長文が余裕で読めた。文法問題は、よくわからない。
国語は現代文が余裕で解けた。古文はなんとなく日本語の香りがする。 漢文は? 困らなかった。最初から無視していたから。だってこれ日本語じゃないでしょ。外国語ですよ、読めるはずがない。
社会は政経一択だった。政治経済というくらいだから、こんなもん一般常識だろうと思った。暗記が一番少なそうだった。結局勉強しなかったから、暗記もクソもないけどね。
これだけ確認できたんで、それ以上何もしなかった。というか、これ以上深入りして難しい問題が出てきて、自信がなくなるのが怖い。それ以上赤本は解かなかったし、他の勉強もしなかった。
この時点で、これ以上勉強しないと決めた。受かると思っていた。自信満々ではないんだけど、頭の中にネガティブな要素が入ってくる余地がない。
受験の前夜、試写会に行った。マイケル・チミーノ監督の『イヤー・オブ・ザ・ドラゴン』
映画が始まる直前に京都新聞ニュース速報があった。スペースシャトル・チャレンジャー号が打ち上げ直後に大爆発した。
映画が始まった。"I'm a stupid Polack." が口癖だった。明日の入試に出ればいいなと思った。出るわけないか。
友達に出会ってしまった。結局、家に帰ってきたのは十二時過ぎた頃。今から特にやることもないんで、睡眠不足にならないように早く寝た。早くといっても十二時過ぎだったけど。
ポケットにシャーペンと消しゴムと受験票だけ入れて受験会場に向かった。
結局、三つ大学を受けた。立命館と同志社と京都産業大学。立命館しか行く気はなかったんだけど、一応ライバルとも言える同志社も受けてみたという感じだ。京都産業大学は念のため。
英語は予想より簡単だった。現代文もかなり解けた。漢文は覚えていない。無視したから。
どの大学だったかは覚えていないけど、政経で面白い問題があった。信用創造というのを初めてその問題文で知ったんだけど、読んでいるうちに仕組みが理解できた。計算問題だったんだけど、楽勝で解けてしまった。信用創造の仕組みがわかって嬉しかった。得した気になった。
結局、立命館と京都産業大学に合格した。さすがに嬉しかった。別に不安はそんなになかったんだけど、やはり現実に合格すると嬉しいものだ。
やればできるじゃないかと思った。よく考えたら何もやってないんですけどね。
同志社は不合格だった。ちょっと残念だった。別に行きたかったわけじゃない。同志社と立命両方に合格したけど、立命の方が家から近いからそっちに決めたと言いたかった。
親に受かったと言ったら「あっそう」という感じだった。なんか拍子抜けした。でもそれから何年か経って、親がめちゃくちゃ喜んでいたというのを聞いて、少しは親孝行ができたと思った。
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