英語50年史|第11話 円高に乗って、初めて日本を出た
1988年。円はついに130円前後になった。
アウトドア雑誌を眺めながら、アメリカ製品の価格を円換算してみる。半額になったような感覚だった。経済学部だったので、為替レートの授業も受けていた。
頭で理解していたことが、数字として目の前に迫ってくる。
もう今しかない。
アメリカに行きたいという気持ちはずっとあった。何があっても行くつもりだった。ただ金がない。
だからこそ、このタイミングだ。多分これが底値だろうと思った。
夏の終わりまでに、とにかく30万円作った。たかだか30万円だけど、前年までと比べれば実質60万円ぐらいの価値がある気がしていた。
パスポートを作った。航空券を買った。この頃、格安航空券もいろいろ出てきて、個人旅行が本格的になった時期だった。
往復7万か8万ぐらいのチケットを買ったと思う。大学の夏休みが始まる頃は高い。仕方ないので、お盆以降に一気に安くなる航空券にした。
出発日は9月4日。
大学の夏休みは9月中旬までだったと思う。1か月ぐらいサボってもなんとかなるだろう。チケットはオープンにした。
帰りはアメリカに行ってから考えればいい。金がなくなったら帰ればいい。
バイブルは『地球の歩き方』。バックパッカー定番のグレイハウンドのAmeripassを買った。予算的に1か月のチケットにした。
出発ぎりぎりまでバイトをして、総予算は27万円。さすがに無謀だと思ったけど、まあ行ってみて金がなくなったら帰ればいい。
なんせ、初めての海外旅行だった。
飛行機に乗ったこともなかった。
出発――全部出たとこ勝負
京都駅から空港バスで伊丹空港へ。伊丹から羽田、羽田から成田、成田からソウル経由のロサンゼルス行き。格安航空券なので直行便ではない。
しかも私はサンフランシスコに行きたかったので、ロサンゼルスでさらに国内線に乗り換えるという、ややこしいことをやった。
こうやって書いているだけで、すでにややこしい。
搭乗券をどうするのか、荷物をどうするのかもわからない。全部空港に着いてからの出たとこ勝負だった。
"I'm making this up as I go!"
でも、なんとかなるもんですね。
スチュワーデス――この頃はまだそう言っていたと思う――が揃いも揃って超絶美人だった。
でも愛想のかけらもない。本当に偉そうで高飛車という感じだった。明らかに顔で選んでいると思った。

ソウル――これが外国というものか
これが生まれて初めての外国だった。金浦空港のターミナルに足を踏み入れた瞬間、アサルトライフルを持った兵士が目に飛び込んできた。
一人ではない。あちこちに立っている。日本でこんな光景を見たことがあるか。
ない。絶対にない。
これが外国というものか、と思った。英語の腕試しに、兵士に英語で話しかけてやろうかと思ったけど、なんか怖そうなのでやめた。

私服警官らしいのもあちこちにいる。私がちょっと歩くと、すぐに後をつけてくる。見え見えのつけ方だ。
トイレに行った。2つ3つ隣にその私服警官も立つ。ふいにそいつの顔を睨んでやった。
すると彼は目をすっと逸らす。やばい、やりすぎたか。職務質問でもされそうな雰囲気だった。
大韓航空機爆破事件があった。北朝鮮との緊張も高まっていた時期だった。韓国はピリピリしていたんだろう。
私はそんなことを何も知らずに、トランシットで降りてびっくりしたわけである。
◀ 前の話:第10話 英語のロジック
▶ 次の話:第12話 ロサンゼルス入国審査ーー最初の関門
