#創作大賞2026 #エンタメ原作部門 納豆チャンピオンへの道 第1章|How To Make Natto-Champion|納豆開発委員会始動
【あらすじ】
テレビ東京の名物番組「TVチャンピオン」をご存じだろうか。
1992年4月から2006年9月までの14年6カ月に渡り、797回放送された長寿番組があった。
僕の大好きな番組の一つで、「明日は君がチャンピオン!」が初期のキャッチコピーだった。
ただ「君」とは、自分のことと思わず、一視聴者として番組を観ていたが、2000年11月16日突然、平凡なサラリーマンだった僕がTVチャンピオンの王座に座ってしまった。
「全国納豆王選手権」でチャンピオンになるまでのテレビの画面の中だけでは知り得ない舞台裏とその後の足跡を辿る。
1995年 茨城県明野町(現筑西市)
TVチャンピオンの放送開始から3年が経過したころ、僕は住宅用断熱材を作る工場で総務課に所属し、国家資格の第1種衛生管理者の資格を取得し、工場で働く人達の安全衛生活動を推進する仕事と給与計算を担当していた。
家庭では第3子の長男光太郎が生まれたばかりで、家族5人で社宅で暮らしていた。
そしてパソコンのOSであるWin95の登場によりインターネットが一気に普及した。3人の子育てに悪戦苦闘していたので、育児についての情報をネットで収集するなかで「子育てチャット」というサイトに辿り着いた。
複数の人と同時に電話ではなく、リアルタイムでログで会話するチャットに夢中になり、当時大流行したテレホーダイの定額サービスを最大限に活用し、深夜帯にインターネットにダイアルアップ接続をして、子育て世代の全国の男女と会話を楽しんでいた。
そんなある日、いつものようにチャットで子育ての悩みを語り合っていると、広島のある人からこんな相談が来た。
「がんもってさ、茨城の人だよね?
美味しい納豆の食べ方教えてよ」
「がんも」とは当時の僕の登録名だった。
「美味しい食べ方?納豆ごはんに生玉子をかけるとかは?」
「えーー!生玉子は無理!他にはないの?」
すると東京のある人が
「キムチ乗せると、納豆の匂いが消せる上に、キムチと納豆のダブル発酵の相乗効果で、美味しくなるよ」
と横から割り込んできて答えた。
「へー!今度やってみよう。
がんもは茨城なのに、納豆に詳しくないんだね」
当時は付属のタレや生玉子をかける以外の納豆の食べ方は知らなかった。
画面の向こうの広島の人からの軽い一言が、深夜の静かな部屋に突き刺さり、パソコンの前で思わず顔がカッと熱くなった。
『茨城に住み、毎日納豆食べている僕が、納豆で負けるわけにはいかない……!』
深夜3時、テレホーダイの終了時間が迫る中、僕の心に小さな火がついた。
それならば納豆に関する情報をたくさん収集したり、全国の納豆を食べて、見返してやる!と思った。
1997年、最初に始めたのは、買った納豆のラベルを撮影し、商品名、会社名、食べた感想を表計算ソフトに添付、入力してまとめることだった。
しかし、これでは単なる個人収集の自己満足になってしまうので、ホームページを作成してネット上で公開することにした。
インターネットの黎明期の最中、HTMLのタグを一から勉強し、表を作成したり、文字を装飾したり、独学で簡単なホームページを作成した。
現在の様に簡単に見映えするホームページを無料で作成することができなかった時代、あるドメインがサーバーの一部を無料レンタルするサービスを見つけ、そこに今まで集めた20種類の納豆の情報を公開した。
さらに閲覧者と情報交換ができるようにホームページの中に掲示板機能を付けた。
そして職場で企画運営をしていた安全衛生委員会に因み、ホームページのタイトルを納豆開発委員会と名付けた。
「納豆に関する情報を伝達するだけでなく、新しい食べ方をみんなで創り出す」と言う想いを込めた。
1998年にウェブサイトを公開すると、閲覧者から、全国で売られている納豆の写真や、納豆を使ったアレンジレシピが次々と掲示板に投稿されるようになった。
予想以上に全国から集まる熱い書き込みに、僕は毎晩興奮を隠せなかった。この『納豆開発委員会』には、「子育てチャット」の仲間数人も加わり、始動から1カ月足らずで、『委員』が20人に到達し、一気に50種類以上の納豆の商品が集まって来た。
するとある日、委員の一人から「納豆に関するこんなホームページがある」と紹介された。
この時、そのホームページが僕に大きな影響を与えるとは思いもしなかった。
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