見出し画像

第21回 桜と花火とタイムカプセル

 こんにちは。考えすぎナースです。
 今回は花火を見ていてふと思ったことを記事にまとめてみました。

 あなたは花火、好きですか?



ほとんど毎年見ている地元の花火。

そこに流れる空気も、音も、匂いも、人々の雑踏も、祭囃子も、いつも同じ。

特別大きなお祭りではないけれど、私はこの花火が好きです。


花火と芸術

子どものころ、友達と浴衣を着て見上げた花火。

初めて恋人と手をつないで見た花火。

失恋のあと、一人で見た花火。

新しい家族と迎えた夏に見た花火。


その一つひとつの光景を、その時の気持ちを、今でも鮮明に思い出すことができます。


夜空に咲く花火は、美しい。
でもそれだけではありません。

皆さんはモナ・リザを知っていますか?

モナ・リザはただの絵。
もちろんいつも同じ見た目をしています。
けれどある人には微笑みに、ある人には苦悩に、またある人にはマリアに、そしてまた別の人には作者の自画像に。

見る人毎に、その時の感情毎に違った表情をみせてくれます。

それが芸術の条件だと私は考えています。

花火も同じ。

同じ光を見ても、ある人には「華やか」に映り、別の人には「儚い」と映る。

つまり花火は自分を映す鏡、ということです。

私たちは花火を通して、今の自分の感情や生き方を無意識に、あるいは意識的に見つめ直しているのかもしれません。


 記憶を閉じ込めるもの


花火はほんの一瞬で消えてしまいます。

けれど、その一瞬は心に残り、まるでタイムカプセルのように後から何度でも開けることができます。

大切な誰かと見た夏の夜、心に刻まれた情景。

それは未来の自分へ贈られた、小さな手紙のようなものです。

花火はただ夜空に散って消えるものではなく、その瞬間ごとに私たちの心に大切にしまい込む“タイムカプセル”なのだと思います。

今年の花火を観ながら5年前の、10年前の、あるいはもっと昔のいつのものかも思い出せないような。

その時に見た花火とそこに込められた感情、情景を色鮮やかに思い起こさせてくれます。

その瞬間、私たちは過去と現在を同時に体感しているのです。


桜とともに閉じ込められた記憶


私は花火の記憶を思うと、ある桜の光景を重ねずにはいられません。

かつて私が病棟で出会った終末期の患者、Aさん。

その方は余命を知りながらも、「桜をもう一度見たい」と願いました。

本来は病棟の外に出ることはできませんでしたがなんとか師長や主治医にに掛け合いほんの10分だけ桜を見に行く許可をもらいました。

忙しい業務の合間を抜い、主治医と私とAさんと、一緒に病院の前の一本の桜へ向かい、満開の花を見上げました。

綺麗ですねーと話す間、Aさんは何も話しませんでした。

風に舞う花びらを静かに見つめる患者さんの横顔は、今も私の心に焼きついています。

あの時Aさんは何を想っていたのでしょうか。きっとAさんが見ていたものは目の前の桜だけではなかったのでしょう。

そしてあの桜は、そして私にとっても大切なタイムカプセルになりました。


儚さだけが残すもの


花火も桜も、すぐに散ってしまいます。

再現できないからこそ、その瞬間を大切に抱きしめ、心に閉じ込めようとする。

その記憶は、誰かと過ごした時間であり、失ったものへの想いであり、未来への祈りでもあります。

花火と桜、儚さの中に残る確かな記憶。

本当に大事なものはいつだって簡単に指の間をすり抜けていきます。けれどその淋しさや痛みが私たちの心に掛け替えのないもの瞬間を残してくれる。

もしそうなんだとしたらさよならは悪いことばかりでもないような気が

おわりに


花火を見上げるとき、私たちはただ夜空を見ているのではありません。

自分の心に仕舞われたタイムカプセルを、そっと開けているのかもしれません。


そしてその記憶は、桜を見上げたあの日のように、人生の大切な時間を未来にまで運んでくれます。


あなたの心には、どんなタイムカプセルが眠っていますか?


 最後まで読んで頂いてありがとうございました。
もしこの記事があなたの心に少しでも届いたならばスキ、フォローをよろしくおねがいします。

これからもあなたの心に届く記事を書いていきたきと思いますので応援よろしくおねがいします。


次の記事


この記事を書いた人





いいなと思ったら応援しよう!

この記事が参加している募集