私が退職を選んだ理由⑮番外編★part7 神様のふりこ

突然だが私は、精神論とか哲学、思想について読んだり書いたりするのが好きだ。
それは、神社に通うことと同様、何か問題が起こったときや害を与える存在と出会ったとき、俯瞰して受け止めることで心を肯定的に整理する糧になる。
様々な理不尽に対しても、たいていは、人生のはかりが一時的にマイナスにふれただけのことで、きっとまたプラスの方向へバランスがとられるだろうと脳が自動解釈することで、心の平安を保ってきた。
だけど、今回ばかりは傾きが強すぎた。
忍耐が忍耐の上に、理不尽が理不尽の上に重なって、とうとう私は押しつぶされた。
自分の心が崩れていく音を聞いた。
「事業主様とお話ししましたが、やはり、今回の申し立ては通りませんでした」
前回の電話から一週間、
昨日、勤務時間中にその返答はあった。
携帯をかかえたまま涙が落ちそうになるのをこらえながら
震える声で「おかえり」を言う。
来所する子どもたちに精一杯の笑顔を繕って手をふったが
心は情けないほどに虚ろだった。
「事業主様も、管理者も、その事実はなかったとおっしゃいましたので」
結局担当の職員は同じことを繰り返した。
この前よりもずっと対応が機械的で冷たかった。
私も無神経な方ではないから、心に線を引かれていると明らかに感じる相手に、これ以上エネルギーを使うことは不毛だと察した。
「あなたはモラハラを受けたことがありますか?」
しかしながら、不毛だと知りながらも、つい言葉が出た。
明らかに動揺と困惑を見せる職員。私は意地悪をしたいわけではない。
人間の洞察力や物事の本質を見抜く力は、経験と瘡蓋の数から生まれるものだと思う。
そして人の器とはきっと人生の振り幅。
知識や情報をいくらもってしても、その器量にはならない。
一個人の人生の岐路を決める職につく人間は、せめてそうであってほしいと願うのは求めすぎだろうか。
「あなた一人のその基準と判断で、背負ってるものの重さをどうか忘れないでください」
咄嗟に口から出た。
他にもいくつかの言葉を返したけれど、彼とは議論の余地はないことを益々肌で感じただけだった。
勤務中であることもあり、話を早々に終わらせて私は子供たちの対応をしなければならなかった。
無邪気に話しかけてくる子ども達の声と、無機質な職員の煮え切らない応答が重なった。
試合終了だ。
「わかりました。では」
私は電話を切った。
もう次はなかった。
結果はわかっていたことだった。
わかっていたことだったのに、なぜこんなに悔しいのだろう。
私は人生ではじめて「ゆるせない」という感情を持った。
結局、私の一人芝居だったのだ。
そうして、今回もまた、ボロボロになったのは私だけだった。
これまでも様々な人の心を平然と踏みにじっておきながら
あの事業所の彼らは何事もなかったように、今日も事業所を開き、当たり前のように子どもたちを迎えている。
今もまた勝手にのたうちまわっている愚かな職員のたわごととして、
きっと嘲笑っているだろう。
気にもとめていないかもしれない。
そういう人たちだった。
私は、その瞬間、途方に暮れるほど失望をした。
人にも、会社にも、社会にも、自分にも。
どこか見えない正義の神様がいるとしたら、
この勝負には勝たせてくれるのではないか
そんな風にすら思っていた。
なぜなら
あきらめず続けたことで報われることもあるのだと
私がそれを綴ることで
同じような苦しみのさなかにある誰かに届けられたなら
誰かの勇気につながったなら
私もなにか役目が果たせたと思えるのではないかと
そんなおこがましい期待を、自分に持っていたのだと思う。
私は神様にとってそんな器ではなかったのだ
お前にそんな力はない
そんな風に宣告された気すらした。
娘にも、結局は何も残せず、負け犬のまま。
子どもたちと粘土でできた動物園を作りながら、はしゃぎながらも
私の中身は実はどこかもぬけの殻だった。
自分への慰め方を忘れてしまうほど、私は途方に暮れていた。
今も心の解決ができたわけではない
けれど
このパズルのピースがどこかにはまる日がくることを
きっとどこかで証明したい。
許せないという感情すら
きっと乗り越えてみたい。
抱いたことのない感情も
余すことなく感じる人生の方が豊かだったと
そんなふうに思える愉快な生き方を娘にも見せたい。
今はただ、そう思うことで自分を立たせている。
そして、さらに残酷なことに
神様はふりこを戻してはくれなかった。
理不尽なことが畳みかけるように起こるのだった。
つづく

退職記録はここでおしまい。
お話はこちらに続きます
