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自己紹介~吃音の僕~

新しく読んでくださる方が増えたので、改めて自己紹介をさせてください。

​「紙飛行機」といいます。

大切な子どもたちがいるので、本名は伏せてこの名前で活動しています。

​現在43歳。娘と息子を持つ、2児のパパです。

​これまでは美容師や介護士として働いてきましたが、現在は在宅ワークをしながら、物書きとしての活動に力を注いでいます。

■​吃音と、ひきこもりだった兄のこと

​僕がnoteを書く大きな理由の一つは、「吃音」について知ってほしいという想いです。

​僕自身、小学3年生の時に吃音になり、言葉がうまく出ない苦しさと共に生きてきました。

現在は、自身の経験をメインに発信しています。

​また、僕には3歳上の兄がいます。

兄はかつて、不登校から7年間に及ぶひきこもりを経験しました。

家の中だけで過ごす長い月日がありましたが、今は社会復帰して就職し、結婚もしています。

​兄の歩んできた道のりについても、同じ境遇の方のヒントになればと思い、noteに綴っています。

■​サッカーに捧げた30年

​僕の人生を語る上で欠かせないのがサッカーです。

幼稚園で出会ってから高校までガッツリのめり込み、社会人リーグでも3年間プレーしました。

​その後はフットサルチームを立ち上げ、キャプテン兼監督として4年間活動。

さらに息子のチームでコーチを務めるなど、通算30年ほどサッカーに関わってきました。

​目立った実績があるわけではありませんが、サッカーを通じて学んだ根性は、今の僕の土台になっています。

■​音楽が変えてくれた世界

​歌は決して上手ではありません。

でも、THE BLUE HEARTSが大好きで「バンドをやりたい、歌いたい」という衝動を抑えられませんでした。

​ハードコアバンドのボーカルとしてライブハウスのステージに立ったのを皮切りに、小学校の友達とコピーバンドで、スタジオでBRAHMANやGOING STEADYやTHE BLUE HEARTSをやっていました。

その後、吃音者だけでバンドを組み、オリジナル曲を作ったり、ライブもやりました。

​「吃音者だけのバンド」という活動は珍しかったのか、ラジオや雑誌、新聞などのメディアに取り上げていただく機会にも恵まれました。

この経験が、「吃音のことをもっと世の中に広めたい」と強く思うきっかけになったのです。

​■脚本家への夢と、1500人の前での弾き語り

​20歳の美容学校に通っていた頃、「なれるものではなく、本当になりたいものは何だろう」と自分に問いかけた時、浮かんできたのは「脚本家」という夢でした。

​それからシナリオの学校に通い、10年間コンクールに応募し続けました。

芽は出ませんでしたが、「選ばれないなら自分で映画を撮っちゃえ!」と、自主制作映画を撮って上映会を開いたこともあります。

​また、あるイベントで弾き語りをやることになり、人気があったのですが、卑怯な目にあい、2000人の前で歌えなくなりました。

しかし、その時にいたバンドのベースさんが自分のバンドのイベントに呼んでくれて、オリジナル曲を慌てて作り、1500人の前で歌う事ができました。

■​介護の現場、そして今

​誘惑の多い東京を離れ、美容師の仕事に集中するために静岡や名古屋で暮らした時期もありましたが、結婚を機に東京へ戻りました。

​そこで介護福祉士の資格を取り、正社員として介護の仕事に就きました。

デイサービス・小規模デイサービス・ショートステイ・訪問介護・B型支援員など、さまざまな現場で多くの方の人生に触れてきたことは、僕の大切な財産です。

​現在はインスタグラムで毎日ポエムを投稿したり、noteで短編小説を書いたりと、表現者としての活動を続けています。

​僕の人生は、決して平坦ではありませんでした。

常識にとらわれず、辛いこともたくさんありましたが、いつも笑顔で道を切り拓いてきた自負があります。

​「吃音やひきこもりへの理解を広めたい」

「物書きとして、心に届く作品を出し続けたい」

​そんな「紙飛行機」の活動を、温かく応援していただけると嬉しいです。


吃音になったキッカケから吃音者と生きていく大変さを書いてます。

治らないと思ってた吃音がコレで治りました。

7年間のひきこもりの兄が就職して結婚した話です。

オリジナル短編小説です

僕の考え方(ビジネス・自己啓発)

43年間で1番辛かった時期の話です。


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紙飛行機☀️🌻 物書きを仕事にしたくて頑張ってきました!1度諦めた夢です。しかしnoteと出逢えて表現場所が出来て嬉しいんです!有料記事を無くしていきたいのでチップの応援お願い致します🙇‍♂️