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「左翼後」の世界 キリスト教、イスラム教に対して「日本」をどう主張していくか

ヘッダー画像は、うまく収まらなかったけど、「ハッピーホリデー」と言ってる奴を、「馬鹿野郎、クリスマスだ!」とサンタが殴ってる図。

トランプ次期大統領の支持者が、23日にXに投稿したものです。

@WallStreetMavより


アメリカでは、オバマあたりから、多文化主義がはびこり、キリスト教徒以外を差別しちゃいけないから、「メリークリスマス」の代わりに「ハッピーホリデー」と言うよう推奨された。

来年はトランプが戻ってくるので、そういうwoke(ポリコレ左翼)の偽善は終わり、晴れて「メリークリスマス」と言うことができる、というわけです。


私が住む川崎市なんかも、しばき隊がホームグラウンドにしてるような左翼政権だから、いまだにSDGsとかやってるし、新百合ヶ丘駅前に飾り付けられたクリスマスツリーも、決して「クリスマスツリー」と呼ばない。

新百合ヶ丘駅前の「ツリー」


川崎市はこれを「メインツリー」としか呼ばない。一見クリスマスツリーのようだけど、多文化主義者につつかれた時に「いや、これはクリスマスツリーじゃないですから」と言い訳できるように、気持ち悪くアレンジされています。ちょっと正気とは思えないんですけど。


その一方で、靖国には行かない石破首相が、22日に都内教会のクリスマス礼拝に参列したというニュース。

政教分離はどうなっとるのか、と怒る人多数。

というか、そんならこの間のノートルダム寺院再開式典に呼ばれとけよ、と思うけど。


多くの人が指摘しているけど、これで政教分離が問題にならないのであれば、靖国問題で騒いでいた人間が、キリスト教だけ贔屓しているのが明らかになので、かなり興味のある記事かなあ。
(鳥山仁 2024/12/23 6:59)


まあ、そんな、いろいろモヤる、2024年のクリスマスなわけですが。


左翼が滅びた後の日本


でも、右派の大物、田中英道先生の最近の講演をYouTubeで見て、希望が持てましたよ。

田中先生によれば、トランプが戻ってくるから、左翼はもう終わりだそうです。アメリカだけでなく、世界中で。

田中英道「新しい日本の精神史をつくろう」日本国史学会 代表挨拶 令和6年12月14日 日本経済大学 (田中英道チャンネル 2024/12/17)


なんでも、イーロン・マスクがトランプについたことで、「ユダヤ」が左翼を捨てたことがはっきりしたそうです。

そのあたりの理屈は、私はよくわからんのですけど、「ユダヤ」に詳しい田中先生が言うのだから、間違いないでしょう。


もう完全に世界が保守化する、あるいは、いわゆる共産主義勢力が、もう完全に壊滅する。(中略)
アメリカがなぜ変わったかというと、はっきり言って、支持するユダヤ層が変わったからなんですね。
イーロン・マスクが完全にトランプの側についたということに見られるように、今までは左翼が、中国そのものもですね、左翼ユダヤによって支えられてきた、これがいま、完全に離れてですね、左翼という言葉が死語化している、というふうになってきた。

(動画2:10あたり)


日本の左翼メディアも滅びるそうです。

何がどうなるのか。トランプとイーロン・マスクと、あと孫正義がからむのでしょうか、わかりませんが。

これまで私は、メディアの左翼を散々批判してきましたが、もうその必要がなくなるとすれば、私も心置きなく死んでいけるというものです。


でも、それでめでたし、めでたし、とはならない。

田中先生は、左翼が滅びた後の世界を見ているんですね。


これから世界はキリスト教、キリスト教と言い始めますからね。
トランプもそういうところに依拠しているわけで。
それに対する日本のあり方をきちっと(主張して)いく、と。
日本の(キリスト教徒ではない)99%が何者であるかということをはっきり述べていく。
それをわれわれが言論活動でやっていく以外にない。

(動画5:45あたり)


これから、日本は、トランプをふくめた欧米のキリスト教文明に対して、ものを言っていかなければならない、と。

なるほど、素晴らしいですね。


田中先生は言っていないけど、これからは、イスラム教にも、ものを言っていかなければ、いけないんじゃないですかね。

キリスト教徒は減少傾向だけど、イスラム教徒は激増中ですから。日本にも増えていますから。



田中先生の講演で、いちばん共感したのは、20世紀は本当に悲惨だった、というところですね。

2度の世界大戦があり、2つの大国が共産化して、多くの血が流れた。

20世紀は、ない方がよかった。20世紀の傷跡を癒すのに、これからどれだけ時間がかかるかわからない。

これは、私もnoteで書いてきたことです。


で、田中先生の言うとおり、「左翼」が死語になるとするなら、ようやく20世紀が終わることになる。

そして、日本の課題は、1世紀前、正確には1世紀半前、19世紀に明治時代が始まった頃のそれに戻る。

つまり、キリスト教文明に対して、どう自分たちを主張していくか、というーー。


20世紀の戦争と共産主義騒ぎで、なんとなく誤魔化されてきたその課題に、日本は改めて向き合わなければならない、ということですね。


「日本精神」の捉え直し


そこで、田中先生たちは、「縄文文化」とか、「東日本文化」とか、「ユダヤ人同化論」とかを根拠に、「日本文明」の独自性を主張しようとしている。

「ジンギスカンは義経だった」説をふくめて、田中先生の主張にはトンデモが多いけど、「そのくらい大胆に主張しないと歴史観はひっくり返らない」と考えているんだと思います。


私は、田中先生ほどの学識がないし、それほど大胆にもなれないので、彼らの歴史観には必ずしもついていけませんが。

でも、言いたいことはわかるし、私の目指していているところと方向は同じだと思う。


キリスト教やイスラム教に対して、「日本」を主張していくことは、もちろん、キリスト教徒やイスラム教徒を差別排斥することではない。

それは田中先生たちにおいても同じでしょう。


日本人がキリスト教徒やイスラム教徒になるのも自由だし。

でも、キリスト教やイスラム教に飲み込まれたくない、ということですね。


鎖国を解き、キリスト教を解禁したら、日本はキリスト教に飲み込まれるのではないか。

約150年前、明治政府が心配したのもそれでした。


現に、明治の先進的な若者は、われ先にとキリスト教に入信した。

石破首相がクリスチャンなのも、先祖にそういう若者、明治初期の熊本バンドの人がいるためです。


キリスト教に対抗するために、明治政府には、神道を「一神教化」して、国教化しようという動きもありました。

それがどのような結末になったか、以前にnoteで書いたことがあります。


明治時代が始まり、キリスト教を解禁しなければならなくなったとき、為政者たちは不安だった。

キリスト教は、死後の世界まで面倒見がいい。天皇を宗教的権威として押し立てたいのに、神道はこれに対抗できるのか。

そこで、平田篤胤の「一神教的」な神道を、「国家宗教」のようにしようという案も、政府内で検討されたようだ。(三ツ松誠「平田篤胤の弟子とライバルたち」=河野有理編『近代政治思想史』所収=を参照)

結果的には、ご承知のとおり、そうはならなかった。

明治政府は、神道をむしろ「宗教以上」のものと位置づけ、その教義をキリスト教的に洗練させることはしなかった。

その代わり、明治天皇を「現人神」とし、彼の「教育勅語」を日本人の道徳律として国民に押し付けた。


結局、天皇や神道を持ち出して、キリスト教に対抗しようとする試みは、成功しないんです。

そもそも、古代の「物部VS蘇我」論争で、神道は仏教に負けて、天皇家も仏教に帰依したわけですから。

天皇家が、神道が仏教に劣ることをいったん認めている。

それについても、以前noteに書きました。


明治期にも、仏教を排斥して神道を再び中心に据えようとして、失敗した。

そして、天皇は戦後、「人間宣言」している。


天皇家や神道を、「日本精神」の中心には置けない。それは、田中先生たちのような、一見「右翼」の人たちも、分かっているように思えます。

だから、天皇や神道をそのまま出さず、「縄文」とか「ユダヤ」のような搦手から日本の精神史を語ろうとしている。


にもかかわらず、天皇家は続き、キリスト教を解禁しても、日本はキリスト教化しなかった。

何か「日本精神」のようなものがあるのは確かで、それをもう少ししっかりと掴みたいんですけどね。


その「日本精神」が、キリスト教やイスラム教に対抗できるほど、十分に強いのかーーその点にまだ不安があるんじゃないでしょうか。

日本は本格的な移民社会、多民族社会になったことがなく、本格的な宗教戦争も経験していない。織田信長VS一向宗とか、島原の乱くらいで。

日本は宗教戦争を経ていないから、十分に国家になれていない、という人もいた。もちろん宗教戦争なんてしない方がいいけれど。


まあ、古い課題で、もう語り尽くされたような、非常にたくさんの人が取り組んできた問題だけど。

21世紀に、移民が本格化する前に、また取り組まなければならないと思うんですね。


そういえば、皇室ではクリスマスをどう過ごすんでしょうか。こっそりやってんじゃないですかね。

とりあえず今日一日は、私も擬似キリスト教徒と化して、チキンとか食う予定です。



<参考>


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