参政党が「正しい」のは、「愛国心は必要だ」と知っているから
参政党が、いろいろ間違ったことをしたり言ったりしているとしても、他党より絶対的に「正しい」のは、「愛国心が必要だ」とわかっているからです。
8月のこの時期、日本では歴史認識なり戦争観なりで議論になりますが、歴史的事件の数字の解釈が違うなんてのは、些細なこと。
結局、問題は「愛国心」です。日本人に愛国心があるのか、ということです。
われわれが「日本人には愛国心がすごく不足している」と感じたのは、3年前のウクライナ戦争開戦時ではないでしょうか。
その時に流通した「もし戦争が起こったら国のために戦うか」アンケートの国際比較は、多くの人に衝撃を与えたと思います。

「国のために戦う」と答えた比率で、日本はダントツの最下位でした。
日本の「国のために戦う」比率は「13・2%」。
対して、仮想敵国とされる中国は「88・6%」です。
この調査でのトップは、「アメリカにも中国にも勝った」でお馴染み、ベトナム(96・4%)でした。さすがと言えます。
日本がこれでいいわけがない、と多くの人が思ったと思います。
もし日本が、ウクライナのように他国から攻め込まれた時、日本には戦う国民がいないことになります。
しかしこの時、日本人の「愛国心の異常な低さ」を、日本人自身に気づかせてはいけない、と焦る人々もいたのです。
少し前に書きましたが、れいわ新選組の議員になった伊勢崎賢治は、ウクライナ戦争でウクライナに支持が集まっている世論に抗して、あえてロシア寄りの発言をするようになります。
これは、ウクライナ戦争で、日本人が「愛国心」に目覚めるのを、恐れたからだと思います。
その伊勢崎賢治を「先生」と仰ぐのが、現首相の、決して靖国神社に行かない石破茂です。
ウクライナ戦争が起こったことで、安倍晋三のような改憲派が再び息を吹き返していました。
安倍晋三は、この機会を捉えて、核シェアリングなどの議論を提起しました。
それに焦った勢力が、マスコミや、自民党の石破らのグループと手を結んだんだろうと思います。
安倍晋三は殺され、「核シェアリングは必要ない」という石破茂が首相になりました。
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「愛国心がない」のは、若者の問題と思われがちですが、そうではありません。
日本では、中高年に愛国心がないのです。
それは、前記プレジデントの記事でも、指摘されています。
つまり、「最近の若者は国を守る気概に欠ける」のではなく、「最近の中高年は国を守る気概に欠ける」のである。
これは、「戦後民主主義」の洗礼を受け、戦争は悪と叩き込まれた団塊の世代が、若い頃の精神を保ちながら中高年の域に達したからであることは言うまでもない。
参政党を支持しているのは若い層です。
若い人は愛国心を持ちたいのに、中高年が「持つな、持つな」と圧力をかけているのです。
今年は戦後80年。
ということは、現政権のキーパーソンで、最高齢である80歳の森山裕自民党幹事長だって、戦後世代ということです。
そのすぐ下の世代が「戦争は悪と叩き込まれた」団塊世代であり、石破や伊勢崎はそれに続く「ベトナム反戦」世代です。
日本の今の体制は、こうした「愛国心なき」人々に担われていることを忘れてはなりません。
それでもなんとか日本が持ってきたのは、アメリカの核の傘と、日本の自衛隊員とアメリカ軍の愛国心のおかげです。
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上のプレジデント記事でも少し触れられているとおり、そのアメリカでも、近年は愛国心の低下があらわれています。
表でもわかるとおり、アメリカの「国のために戦う」比率は59・6%であり、中国の88・6%に対して、少々頼りない数字です。
アメリカ20世紀後半の代表的哲学者であったリチャード・ローティは、リベラル派でしたが、2007年に亡くなる前、アメリカにおける愛国心の低下に危機感を持っていました。
それで、彼は『アメリカ 未完のプロジェクト 〜20世紀アメリカにおける左翼思想 Achieving Our Country : Leftist Thought in Twentieth-Century America』(1998、翻訳は2000年)という本を書きました。
全体としては、アメリカの左翼が、ポリコレ的な「文化左翼」に堕落したことを批判した本です。
この本は、トランプ時代の出現を予言した本としても知られます。
ローティはこの本の冒頭で、愛国心がなぜ必要なのか、プラグマティストらしく簡潔に説明しています。
国家の誇りと国家の関係は、自尊心と個人の関係と同じ関係にある。つまり、その関係は自己改善に必要な条件なのである。国家が誇りを持ちすぎると好戦的性格と帝国主義が生じてくる。それは個人が自尊心を持ちすぎると傲慢になるのと同じである。しかし、自尊心が少なすぎると、個人は所信を貫く勇気を発揮することができなくなる。それと同じように、国家に対して誇りを持たなくなると、国家の政策について活発で効果的な討議が行われる見込みはなくなる。政治に関する審議を想像的で生産的にするためには、国家と感情的に係わることーー自国の歴史のさまざまな部分や現在のさまざまな国家の政策に対して羞恥したり、輝かしい誇りを感じたりすることーーは必要なのである。
(『アメリカ 未完のプロジェクト』p2 小澤昭彦訳、晃洋書房)
愛国心がない国は、自尊心のない個人と同じで、自らを貫きながら自己を改善し向上させようという意欲を失う。
ローティの言うように、愛国心を持ちすぎると、好戦的になる弊害もあります。
しかし、日本は、明らかに愛国心が少なすぎる状況にある。
われわれは、日本に必要な「ちょうどいい」愛国心のあり方を、探っていかなければなりません。
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愛国心を持つつもりがない、もう考えを変える見込みがない中高年は見捨てるとして、若い世代に、どのようにして愛国心を育んでいけばいいのでしょう。
私は、今の参政党が、そのための有効で現実的な方法を提案しているとは思いません。
しかし、「愛国心が必要だ」という問題意識が重要なのです。他の党には、その問題意識が見当たりません。
それは、日本保守党にしたってそうです。愛国心は、中国や韓国の悪口をいくら言ったところで、育まれないのです。
愛国心についての問題意識をいま持つべきなのは、それを育むのに長い時間がかかるはずだからです。
愛国心を持たせないようにする時間が80年続いたあとで、それを反転させようというのですから。
君が代を歌わせたり、教育勅語を読ませたりしたら、自動的に愛国心が生まれるわけではありません。
愛国心は強制できない。
それが、第一に確認すべきことに思えます。
それは、内側から生まれるものでなければいけない。
ただ強制するだけでは、「面従腹背」になるだけです。
こうしたことについては、私が言うまでもなく、多くの(多くは保守系の)識者が議論してきました。
私は、かつて心理学者の岸田秀氏が言っていたことが正しいと思います。
つまり、戦後教育は、自然に生まれてくる愛国心を否定しようと躍起になっていたのだから、まず、その自然な愛国心を、抑えないようにする。
愛国心は、郷土愛や、家族愛と同じ、本来は自然な感情のはずです。
だから、それを阻害する「日本を愛するのは間違っている」というイデオロギーを、まず教育現場から排除すべきでしょう。
そのうえで、ローティが言うような、
「国家と感情的に係わることーー自国の歴史のさまざまな部分や現在のさまざまな国家の政策に対して羞恥したり、輝かしい誇りを感じたりすること」
をうながす教育をする。
細目については、いろいろ議論していけばよいでしょう。
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私も、愛国心を持てずに一生を終えようとしている世代です。
戦後は、愛国心を敵だとする左翼思想を吸収することが、つまりは教育を受けるということでしたから。
そこから出発して、日本人は愛国心を持てるのか。
それは、私のこのブログ(note)の一貫したテーマでもありました。
私は、とりあえず必要なのは、戦前の日本人との「つながり」を回復することだと思います。
戦争で国のために亡くなった人々とのつながりを感じることは、そのいいスタートになると思います。
参政党議員団は、8月15日に靖国神社を参拝すると予告しているので、その効果に期待しています。
<参考>
