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「怒るな、笑うな、言いたいことを言うな」 人間性「改造」を目指すポリコレ思想


あんなデタラメな報告書。あれが違法なパワハラだとは狂ってる。叱ることも怒ることも違法だなんて日本を監獄にするつもりかい。民意を舐めるのもほどほどに。
(弁護士 徳永信一 2025/3/20 15:33)


「パワハラ」って言葉、ほんと嫌だねえ。早く地球上からなくなってくれないか(和製英語だから日本にしかないけど)。

なんで怠慢な部下を叱っちゃいけないのか。なんでそれがイジメなのか。もっと真面目に仕事しろと言いたい。

上司としては、これは許せん、と腹が立つこともあるよ。常に冷静でいろ、というのは人間性に反する。


怒ればパワハラ。

エロい冗談言ったり、それに笑ったりしたら、セクハラ、LGBT違反。

言いたいことを言ったら、モラハラだの差別だの。


なんで人間らしく行動したら、全部「いじめ」になるんだよ。

人間は怒るし、エロいし、言いたいこと言いたいし、差別もするっつーの。人を傷つけることも言う。攻撃性も人間性の一部だ。

そうなってるのは、進化論的に意味があることなんだから。

それが「人間」というものなのよ。


「異邦人」には警戒したり、攻撃したりする。差別なんてのも、時間をかけた共生の中で解消されるべきものでね。

「怒るな、笑うな、言いたいこと言うな、差別するな」と号令をかけて、それで人間性が変わると思っている。何様だ。

号令をかけていい気になっている人たちは、何をしたいのか。


一般に「ポリコレ」とか言われるけど、本当はもっと奥深い邪悪な欲求に駆られていると思う。

彼らは「人間性」を改造したいと思っている。

それは、ファシストと左翼に共通の欲求だ。

彼らは、ありのままの「人間」を憎んでいる。


だから、われわれは、「自由」とか「人間性」とかの、最も深い意味を旗印に、戦うべきだ。


今はまだ「X」などの外資系があるからいいけど、これからSNS規制が進み、国産オールドメディアがネットも牛耳るようになれば、われわれは、言動をつねに左翼リベラルに監視され、まさに「監獄」の中に生きることになるだろう。



私が子供の頃よく聞いた言葉だけど、最近はあまり聞かなくなった言葉がある。

「ヒューマニズム」という言葉だ。


私が子供だった60年代は、この言葉をよく聞いた。それは、「人間性」に対して楽観的な時代だった。

1969年のアポロ11号月着陸あたりがそのピークだろうか。私も夜どおし白黒テレビにかじりつき、感動して見ていた。

「人間」の善性や、その無限の発展を信じられた時代だった。


ところが1970年代になると、「ヒューマニズム」は哲学思想の標的にされ、否定された。

そんな「人間中心主義」「科学主義」は、傲慢であり、自然や環境に対して破壊的だと言い出す人たちがいた。

西洋の進んだ文明は、第三世界への抑圧と搾取の成果だから、それを誇ってはならないとして、先進文明の自信をくじこうとした。

その背景には、1960年代の学生運動に敗れた左翼活動家や左翼思想家たちの怨念があった。彼らは、社会に仕返しをしたかったのである。


フーコーやデリダたちは、これまでの「人間」概念は無邪気で幼稚だとして、それを「構造」や「言語」に還元した。

人間の「主体性」は、それら文化の構成物だから、信用ならない、とされた。

だから、あなたの「言いたいこと」などは、尊重されない。それは「自然」ではない。社会も文化も伝統も「自然」ではない。

それらは、しょせん作り物だから、自分たちが考える好ましい方向にいくらでも変えていい、というのが彼らの思想だ。

そうやって、彼らは、かつて敗北した左翼の「文化革命」を、いまや成功裡に推し進めている。


だが、彼らの思想は、20世紀前半のファシズムの生体実験、優生学などとさして変わらない。

それを生物学的にやれば優生学だが、文化的・社会学的にやればポリコレだ。

人間性を改造したいという欲求は、さまざまな形をとる。

「パブロフの犬」でおなじみの行動主義心理学は、今は行動経済学と名を変えて、かつての「心理学的ユートピア」を実現させようとする。

われわれは基本的に「パブロフの犬」だから、いかようにも改造できるはずなのだ。

そういう人間観が、左翼リベラル思想とファシズムには共通している。



この点で、私はキリスト教のような一神教の人間観の肩を持つ。

そうした宗教は、少なくともわれわれの知らないうちに人間性を「改造」しようとしない。

人間は罪深いものであり、完全にはなり得ない、というのが共通した認識だ。

だから「神」を必要とする。

いっぽう、人間は神の被造物であり、それ自体として尊重される。

逆に言えば、「神」がいるから、われわれはありのままの人間でいられる。

この世での務めを終えて、天国で神と出会うことで、人間は初めて「完全」になる。

そういう思想(宗教)こそが、逆説的に「人間」を解放するんだ、と言ったのがチェスタトンのような20世紀の護教論者で、政治的・思想的な保守主義のルーツの一つでもある。


左翼リベラルは唯物論者なので、神もあの世も信じない。

神の意思を信じないから、人間が不完全であることが、端的に許せない。

だから、「この世」にいる間に、みんな「完全」になってもらわなければならない、とどこか思っている。

だとすれば、生きている人間を「監獄」に入れて、監視して、調教して、改造するしかない。

彼らは、人間の弱さや不完全さに容赦ない。

怒るな、笑うな、言いたいことを言うな。

お前は差別主義者だ、立候補するな。

そう命令する権利があると思っている。


オウム真理教事件も、唯物論者の江川紹子やサンデー毎日の牧太郎編集長が、宗教にまったく無理解で、むしろ敵対的であったことから始まった。

オウム真理教は弁護できないが、唯物論の左翼リベラルも弁護できない。


私自身は、ありのままの人間が好きだし、「改造」されてほしくない。

野蛮は肯定できないが、ポリコレ的「ユートピア」も同様に悪夢である。


幸いなことに、人類人口の過半数、約6割は、一神教信者だと言われている。

そして、とくにイスラム教や、キリスト教のカトリックは、人口増加率が高い。

「人間性」をよりよく保存する彼らが、やがてポリコレで「人間性」を弱らせた先進諸国を圧倒するだろう。


アメリカのJ・D・ヴァンスや、イーロン・マスクは、そのことに気づいているような気がする。

(ヴァンスは比較的最近カトリックに改宗し、マスクは自分はキリスト教徒だと言い始めた。)

彼らは、アメリカから文明を再生させようとしているが、間に合うだろうか。


<参考>


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