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「ヤクザ」と便所裏で対決! わが中学時代の「武勇伝」

数日前、「ヤンキー」の話を書いていて、思い出した話。

私の中学時代、もう50年以上前の昔話だ。


1970年代初めの北部九州。

私の中学では、ヤクザの子弟を中心とした不良グループが幅をきかせていた。

北部九州から中国地方に勢力をもつG一家の関係者たちということだった。


いわゆるツッパリ、ヤンキーが全国的に大流行する前だったが、皆いわゆる長ランで、女子は長いスカートを履いていた(そう、女子もグループにいた)。剃り込みを入れ、ポマードで固めた髪型。

ヤンキーというより、昔「嗚呼!!花の応援団」という漫画があったが、外見はあんな感じに近い。

だが、いわゆる硬派にとどまるのではなく、プロの暴力団につながっていると見られていた。


彼らは、学校内で、治外法権的な存在になっていた。

校則には従わず、遅刻三昧で、授業にまともに出ていなかったが、先生は何も言えなかった。

常習的にビニール袋からシンナーを吸っており、いつもシンナー臭かった。

カツアゲ、喧嘩は当たり前だったろうが、さすがに学校の中では少なかったと思う。


その首領格、「番長」に当たる男子が、私のクラスにいた。

仮にB君としておこう。

休み時間になると、いつもBの仲間たち男女5、6人が、私のクラスにたむろしていた。


そういう環境だから、私たちは毎日、かなりの緊張感で学校生活を送っていた。

だが、私たち「普通の子供」と、彼らは、必ずしも敵対関係ではなかった。

そこはやはり、中学生で、同じ子供どうし、クラスメートでもあり、ある種の交情もあった。


まあ、一つの「社会」で、共生を強いられていたのだから、お互い生きやすいように、ある部分は無視したり、ある部分は協力したりして過ごしていた。

すでに、学びの場というより、現実社会の中に放り込まれているような感じであった。


彼らには愉快なところもあった。

ある時は、Bが教室にギターを持ち込み、みんなの前で井上陽水の曲を歌ってみせたりした。(ちょうど「氷の世界」が大流行している頃だった)

いま思えば、彼も彼なりに、クラスに溶け込もうとしていたと思う。


その演奏が意外にうまかったりして、私は感心した。

私がBの演奏を褒めたからかもしれない。

Bと私は、仲がいいというほどではないが、普通に話をする関係にはなっていた。


ある時、Bから、

「おい、これを見ろよ」

と1枚の写真を渡された。

それは、中年女性が、笑いながら、裸の下半身をカメラに向かって広げている写真だった。

私の驚く表情を、Bは楽しげに見ていた。

その写真の、黒いモジャモジャした密林のような光景は、10代の私の脳裏に長くとどまり続けた。

同時にそれは、Bがたしかに「裏社会」とつながっている証拠と思えた。



そんな彼らとの均衡が崩れたのは、中学2年の終わりごろだったと思う。

前述のとおり、Bのグループは、私のクラスにいつもたむろしていた。

前述のとおり、その中には女子もいて、Bの情婦のように見えた。グループは、いつもキャッキャと楽しげに騒いでいた。


だが、彼らのグループと、私たち「普通の子」は、クラスの中で棲み分けていた。

お互い干渉しないような、暗黙のルールがあったのだ。


しかし、ある日、Bが、「普通の子」グループの女の子に絡んできた。

仮にC子としておこう。C子は、クラスで2番目くらいに可愛い子で、私もひそかに思いを寄せていた。

真面目で、優等生タイプの子だ。


休み時間に、Bが、C子にまとわりついて、しきりに話しかけていた。

C子は、困惑して固まっている状態だった。

私は思わず、

「やめろよ!」

と大声をあげた。


そこにはBの取り巻きもいた。

「なんだ、お前」

とBは私に対して怒鳴った。


そこで、どんなやり取りがあったか、細かいことはもう覚えていない。

Bの注意を、C子から引き剥がすことには成功したが、とにかく結果、放課後に私は、学校の便所の裏に呼び出されたのだった。



こういう場合、ヤンキーに呼び出されるのは、東京の漫画やドラマでは「体育館裏」と決まっているようだが、私の田舎の中学に体育館なんて洒落たものはなかった。(陰気な「講堂」というものはあったが)

われわれの場合、別棟になっている便所の裏が、そういう場合の決まりの舞台だった。


便所の裏とはいえ、そこには松の木が生え、地面には白砂が敷かれ、「決闘」の場として絵になっていた(少なくとも私の記憶ではそうだ)。

その場に来たのは、B一人だった。

私とBは、静かに対峙した。

Bは武器を持ってはいなかったが、「あーこれは死ぬな」と私は思った。


沈黙が破れ、

「お前、生意気だ」

とか何とか、Bが私に話かけたとたん、

ブヒィー!!


と大きな音がした。

私が、緊張のあまり、屁を漏らしたのだ。

「今のは何だ」

とBは尋ねた。

「屁だ」

と、仕方なく私は答えた。

「俺の屁だ」

「そうか」

Bはそう言ったまま、黙ってしまった。

笑われるかと思ったが、Bはむしろ、何か複雑な表情をしていた。

いずれにせよ、双方で、「対決」の緊張感が失われた。

「あんまり出過ぎた真似はするなよ」

とかBに言われ、私も、

「お前もいい加減にしろよ」

くらいは言い返したと思う。

だが、もうよく覚えていない。

お互い、体に一指も触れることなく、「解散」となったのだ。


そのあと、この時を振り返って、

「漏らしたのが屁だけでよかった」

と思ったが、大小便も少し漏らしてたかもしれん。


あんまり「武勇伝」にはならなかったが、私としては、C子を守るための英雄的行為であったと思っている。

そして、「カタギ衆に手を出すんじゃねえ」と、ヤクザに仁義をわきまえてほしかっただけだ。

ちなみに、C子は「対決」のことは知らないだろうし、その後、C子と私が仲良くなることはなかった。

まあ、これに限らず、私の「英雄的行為」が女子に評価されたことは一度もない。



Bは、中学の最後の年には、もうほとんど学校に来なかった。

Bは高校に進学せず、事実上、われわれには行方不明となった。

私は九州を離れ、関東に出てきたので、その後の噂も聞かない。


だが、私はいまだに、Bのことをよく思い出す。

北部九州でヤクザの抗争があるたび、名前が出ていないかと気になるのだが、その後、彼の名前を見たことはない。

どうせならば、その世界で出世していてほしいが、どうも出世はしなかったらしい。あるいは、早死にしたのか・・・。


あの時の「屁」一発で、私の武勇伝は台無しになった。

私の人生は、だいたいそうだ。カッコつけようとすると、失敗する。大事な場面で、カッコ悪い。

でも、「屁」がなかったら、どうなっていたのか。


Bのあの時の複雑な表情の意味が、いまだに解読できない。

Bは私をどう思っていたのだろう。

もうすぐ寿命が尽きる年になって、そういうことが気になって仕方ない。



<参考>




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