ジャニーズとナンシー関
ナンシーと言えばキムタク
ジャニーズ問題で、数日前にキムタクの悪口(「ジャニーズの「芸」の質」)を書いたとき、私はなんとなく、ナンシー関(1962ー2002)のことを思い出していた。
1990年代、若者文化に2つのことが起こった。
SMAPブームと、ダウンタウンブームだ。
SMAPの木村拓哉と、ダウンタウンの松本人志を、とくに推しまくったのが批評家・ナンシー関だった、という印象がある。
かっこいいものはかっこいい。
面白いものは面白い。
いまでは当たり前の評価だが、あの時代に、そう言い切った切れ味のよさが、ナンシー関の身上だった。
ナンシー関と言えばキムタク、と連想する人は多いのではないか。
没後20年の昨年出版された『超傑作選 ナンシー関 リターンズ』のダ・ヴィンチ書評でも、キムタクについてのコラムが最初に挙げられていた。

逆に言えば、あの時代に木村拓哉と松本人志が出なければ、批評家としてのナンシー関は輝かなかった気がする。
だが、ナンシー没後21年たち、ジャニーズ事務所がこのような社会問題になって、彼女の批評も再検討すべきかもしれない。
スキャンダル忘却の1990年代
振り返れば、1980年代は、たのきん→少年隊→光GENJIと、ジャニーズの主力が移り変わった。
1988年、フォーリーブス(1970年代の主力)の北公次が出した告発本のタイトルが「光GENJIへ」だったように、80年代の終わり、つまり昭和の終わりにジャニーズ事務所の危機があった。
しかし、1990年代、平成になって、SMAPがジャニーズの主力に育っていく。
SMAPが「国民的アイドル」とされるほど大物になるにつれ、ジャニーズのスキャンダルは忘れられていった。
その過程で、ナンシー関の批評が、ある一定の役割を果たしたともいえる。
ナンシー関は2002年に亡くなったが、その直前(1999年)には週刊文春の性加害報道があった。
それについて、ナンシーがどう論評したか、私は記憶にないし、今回ネットで調べてもわからなかった。
ナンシー関にとっては、テレビの前に座り、そこに見えるものがすべてだったかもしれない。
受信したものを、積極的にあれこれと解釈し、背後のものは捨象するーーそういう批評の仕方は、ナンシー関だけでなく、1980年代から流行っていた。「考察系」のはしりというか。
私の中では、天野祐吉の「広告批評」などとも重なる。冷戦が終わり、もはや資本主義の消費社会を全面的に受け入れるしかなく、その中でいかに「批評性」を維持していくか、みたいな。
まあ、その批評性は、すべて幻のようなものだった。
「キムタク不人気ブーム」予言
ただ、晩年の2000年に、文春報道とは関係なく、ナンシー関は「木村拓哉不人気ブーム到来の可能性を見た」というコラムを書いている。(木村の結婚きっかけ?)
原文の全文を読んでいないが、ネットにある紹介文によれば、
木村拓哉人気は、「キムタク=かっこいい」という記号性を信じる、不確かで分厚い「人垣」に支えられている
といったことを言いたかったらしい。
社会通念を自分の感情と思い込んでいる程度の「木村拓哉肯定層」がぶ厚く取り巻き、どんどん巨大になっていく人垣を「ブーム・社会現象」と呼ぶのではないだろうか。
(中略)
中心近くの核にいる「ファン」は、飛び出た鼻毛まで見えているわけである。でも、鼻毛が出ていることは「外部=人垣の外側」には言わない。絶対に口をつぐむ。それが、ファン。
(ナンシー関「木村拓哉不人気ブーム到来の可能性を見た」)
木村拓哉ブーム、ひいてはジャニーズ現象が、実はもろい土台の上にあることを、ナンシー関は見抜いていたともいえる。
ナンシーにはたしか、
「木村拓哉は、『オレの鼻毛』を見せてくれさえするが、その鼻毛はきちんとトリミングされている」
みたいな「名言」があったと思う。
「鼻毛」にこだわる人だった。
(1990年代は、ハイビジョン放送やプラズマテレビの大型化があり、テレビにも、映画並みの美男美女クオリティが求められるようになる。それが関係しているかもしれない。)
ジャニー喜多川の件と木村拓哉の関係は、いまだ不明だが、隠されていた闇は「鼻毛」どころではなさそうだ。
宮台真司が醜態をさらしている件といい、我々が1990年代に見逃していたことが、最近次々に明るみに出されている気がする。
私はナンシー関と同世代で、ちょっとだけ交流があった。
いまでも好きな人だが、もしあの世で、また飲んで話す機会があれば、
「1990年代には我々は若く、楽しかったけれど、見逃したことも多く、恥ずかしいところもあったねえ」
みたいな話になると思う。
<参考>
