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「楽しい」がわからなくなった、20代の私へ。創作のよろこびが、 #なんのはなしですか と一緒にやってきた。

学生時代、「『楽しい』って、なんだっけ」と言って、友人にドン引きされたことがある。

そして、ドン引きされていることにも気がつかないくらい、当時の私は、たぶん追い詰められていた。


***

時が経って、それから6年後。

その日、私は直属の上司に、仕事の相談をしていた。
まあ、上司なので、相談するのは仕事のことである。

私の話を一通り聞いてた上司は、ぽつりと、こう言った。

「最近、遊んでる?」と。

文脈から切り離してしまえば、ハラスメントにもなりかねないのだが。
その上司を信頼し、そして追い込まれていた私は、うっかり口を滑らせてしまった。


「『遊ぶ』って、なんですか?」



***


仕事で「楽しい」ことと、プライベートで「楽しい」ことは、私にとっては別物だった。


そして、プライベートでの「遊び」も「楽しい」も、私は長らく、わからないままだった。
「病気じゃないですか」と言われたら、そういう側面もあるんだろうな、と思っている。

仕事は、ある側面から見れば、楽しかった。
というより、たぶん、おもしろかった。


ただ、仕事をし、そこにのめり込めばのめり込むほど、プライベートの「楽しい」は、私から遠ざかっていった。
年数が経過するほどに、「楽しい」は蜃気楼のように、自分からは、遠く離れた幻みたいになっていった。


そして、「楽しい」が宇宙人のようになった頃、私は仕事から(ほぼ)強制的に切り離された。


***


仕事がなくなってからの私は、とりあえず、寝た。
来る日も来る日も、基本的にずっと寝ていた。

1日のうち、ベッドにいる時間が一番長かった。
そこから出るのは、せいぜいトイレに行く時と、水を飲む時くらい。


寝ても寝ても眠かったので、眠いうちは寝ることにした。
昼夜逆転もなにもあったものではなかったけれど、ひたすら寝た。
こういう時は、とにかく寝るしかないのだ、ということを、頭よりも身体が知っていた。

そうして、ものすごくよく寝た日々を過ごした。



ある日のこと。
ふと、むくりと起き上がることができた。


あまりにも空腹だったので、そのまま、少しだけゼリーを食べた。
なんとなく、動けそうな、布団から出られそうな気配がしていた。


そこから、少しずつ、動けるようになっていった。
亀よりも遅い歩みで。


布団の中にいた私は、眠り続ける日々の中で、でろんとした、液状の何かになっていた。

そこから、人間としての形を取り戻すために、1個ずつ、こなしていった。
液体から固体に、戻るように。


布団から起き上がる。
ご飯を食べる。
薬を飲む。
カーテンを開ける。
着替える。
シャワーを浴びる。


地道だった。
薬を飲むためにご飯を食べることさえ、容易ではなかった。


それでも、少しずつ、少しずつ。
できることを、増やしていった。


昨日できたことが、今日はできないこともあった。
それでも、その日にできることを、やっていくことにした。



そうして、日常の生活動作ができるようになってきたら、簡単な家事をやり始めた。
身の回りを、自分で整えられるように。


掃除、洗濯、簡単な調理。

生活リズムを整えるために、日中の活動時間を、少しずつ増やしていった。
頭の体操を兼ねて、noteを書き始めた。
外に出る練習をし始めた。

外出、散歩、買い物。
図書館やカフェに滞在することも、少しずつ練習した。


そうして、日々せっせと過ごしてた頃。

向こう岸から、#なんのはなしですか が、梅雨前線のようにやってきた。


***


その頃、私はほぼ毎日noteを書きながら、モヤっとしたものを抱えていた。
「自分が書いている文章は、一体なんなんだろう?」と。

日記、ではなかった。
そもそも1日の記録ではない。

コラムというには、情報がなかった。
私の書く文章が、情報提供に向いてなかったのもある。
あと単純に苦手だ。

エッセイ……エッセイ?
自分が書いている文章を、エッセイというのも憚られる気はしたけど、他によくわからないので、エッセイという括りで呼ぶことにしていた。

自分の文章がおもしろいのかどうかは、自分ではよくわからなかった。
ただ書いていた。


どこに行き着くかは知らない。
なぜかはわからないけど、「noteを書こう」と思ったその日の衝動のまま、書き続けていた。


***

#なんのはなしですか を、どこで知ったのか、今となってはよくわからない。
たぶん、他の方が書かれた文章を読んだから、だろうと思う。

ある日、書きながら、どうにもならなくなって、「なんのはなしですか」と宙に向かって叫んでいた。
それが、誰かに届くなんて、思ってもいなかったのだ。


だから、びっくりした。
びっくりしたという言葉では表しきれないくらいに。

そのコメントの通知を見つけた時、私はパソコンの前でしばらくフリーズしていた。

自分の書いた記事が、「なんのはなしです課」の通信に掲載された時も、やっぱりびっくりしていた。

最初にコメントに来てくださった時も。
期間中、コニシ木の子さんが回収に来てくださった時も、毎回内心でびっくりしていた(我ながら、びっくりしすぎである)。


びっくりはしていたけど、本当に、うれしかった。嬉しかったのだ。心の底から。
語彙力がなくて、他に表現ができないのが、悔しいくらいに。
noteのスキと一緒かもしれない。


自分の書いた話が届いた、という喜びと、あの時心に浮かんだ、ほわほわした気持ちに、なんと名前をつけたらいいのだろうか。




私は、たぶん、安心したのだ。
安堵、が、一番近いのかもしれない。



「ああ、書いてもいいんだ」って。



私は「わたし」のまま、書いてもいいんだと、肯定してもらえたような気持ちになった。


安堵と、喜びと、嬉しさとでごちゃ混ぜになりながら、「書いてもいいんだ」と思ったら。


なぜか、書くのが楽しくなった。
書いていて、「楽しい」と感じるようになった。


そして、楽しいからか、ショートショートを書き始めた。
AIと絵を作り出し、iPadでお絵描きもし始めた(こちらは片づけ部のおかげ)。


創作が、俄然楽しいものになった。なってしまった。
これがいわゆる、「沼にハマる」ということだろうか。


結果として、アカウントは迷子になったが、私は創作の沼にハマった。


今はただ、創作を楽しみたい。遊びたい。
ずっとわからなかった「楽しい」という気持ちを、存分に味わいたいのだ。



***


「『楽しい』ってなんだっけ」と友人に言って、「怖っ!」とドン引きされていた、20代の私へ。



大丈夫。

今はワケがわからなくても、追い詰められていても。
そのまま全力で、素直に生きていたら、きっといつか出会える。


干天の慈雨のように。
奇跡みたいな、「楽しい」と、#なんのはなしですか に。


「なんのはなしですか」と「なんのはなしです課」のコニシ木の子さんに、感謝を込めて。

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