見出し画像

わたしはなぜnoteを続けているのか?いつまで続けられるのか?

えむのマイトンさん、音羽しーなさん、小海いとさんの、こちらの記事を読んだ。

みなさん、三者三様でおもしろいなぁ、素敵な考えだなぁ、と思いつつ。

読んだ結果、思いっきり影響されて、見事にぐーるぐーる考えている。


私は、いつまでnoteを続けるんだろう?
なぜ、noteを続けているんだろう?

***

私がある程度コンスタントにnoteを書くようになったのは、たぶん昨年の初めくらい。
休職したのがきっかけだったと思う。

それまでも、毎日更新などに挑戦したことはあるけれど、90日くらいでやめていた。
だから、これだけコンスタントにnoteを書いているのは、おそらく今が初めて。

それもあって、最近は「いつまでnoteを続けるのか」ということを、うっすら考えるようになった。(なっていたところに、マイトンさんの記事がドンピシャで入ってきたので、書きたくなったのは大きいです笑)

今の私は、書き始めた頃と比べると、復職したのもあり、以前より書くための時間が取れなくなった。
その分のエネルギーも。

いつまでnoteを続けるのか、という問いは、私にとってたぶん、「いつまで書き続けるのか」という問いに近い。

で、「なぜ続けるのか」よりも、「いつまで続けるのか」というところに、問いの重点を置いている気がする。

「続ける」ことに主眼を置いている、というか。

で、それがなぜかと言えば。


私にとっては、noteを書くということが、自分とどう付き合い続けるのか、付き合っていくかの模索だから、かもしれない。

noteは街で、そしてSNSだ。
だからこそ、しーなさんも書いてくださっているように、数字や交流からは、完全に離れることができない。

極端な話、私のように内省がメインならば、誰にも見られない日記帳に書いていく、というのも選択肢としてある。

そして、それはそれで書いている。
誰にも、それこそ自分しか見ないタイプのノートにも、書いていることはある。

そのうえで、なぜnoteで書いているのか、といえば。


たぶんわたしは、他者と他者の間にある自分と、あるいは他者と向き合った時に出てくる自分とも、向き合いたくて、noteを書いているのかもしれない。

自分とだけ向き合っていると、時々底なし沼を覗いているような感覚になる。
それはそれで必要な時間なのかもしれないけれど、底なし沼だけ見ていても、自分のことは理解ができないのかも、という気がしている。


私にとって、自分と付き合うのはとても難しい。
ちょこちょこ不調になるし、たまに動けなくなるし、扱いにくい。
「どうすりゃええねん」みたいなことも、そこそこある。
自分と長年仲が悪かったので、まあある程度仕方がない。


そこを、どうにか和解できるようになりたくて。
自分とうまく付き合えるようになりたくて。


そうしたら、結果として他者とも(たぶん)うまく付き合えるようになるのでは、というのもあり。

その道を、noteを書くことで、模索しているのだと思う。


その道は、たぶん、私が私のために、開拓していくことが必要で。
自分のために、自分にとって心地よいように、切り拓いてく必要があるから。


いろいろなカスタマイズを重ねていったら、オリジナルに近づいていくように。

私は私が生きやすい道を、つくっている途中なのだと思うのだ。

そして、もしもそれが誰かのためになるのなら、こんなにありがたいことはない。


***

余談ですが、しーなさんが書かれている「畑」という表現が、個人的には結構しっくりきていて。

わたしがnoteに求めてるのは、ジェットコースターではない。生活の基盤。畑のようなものだ。耕して、いろんな種を植えて、成長を見守って、収穫して。

音羽しーなさんの記事より。

私の場合は、たぶんまだ畑になっていないんですよね笑
そこに至るまでの道を開拓中、というか。

イメージ的には、もしかしたら庭が近いかもなぁ、と思ってます。
縁側付き。畑もあります笑

好きな花を植えたり、野菜も種を蒔いたりしたくて。
今はまだ、道の整備&土づくりもしたいなぁ〜くらいの段階です。

なにぶん、いろいろなことをやるのに、時間がかかる人間なので。
なので、当面の間はおそらくnoteにいるんじゃないかな、と思っています。

気長に、ゆるゆるとやっていきたいです。

ここまで読んでくださって、ありがとうございました。


いいなと思ったら応援しよう!

あわい雪 読んでいただき、ありがとうございます…! いただいたチップは、制作に還元していきます!