わたしはなぜnoteを続けているのか?いつまで続けられるのか?
えむのマイトンさん、音羽しーなさん、小海いとさんの、こちらの記事を読んだ。
みなさん、三者三様でおもしろいなぁ、素敵な考えだなぁ、と思いつつ。
読んだ結果、思いっきり影響されて、見事にぐーるぐーる考えている。
私は、いつまでnoteを続けるんだろう?
なぜ、noteを続けているんだろう?
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私がある程度コンスタントにnoteを書くようになったのは、たぶん昨年の初めくらい。
休職したのがきっかけだったと思う。
それまでも、毎日更新などに挑戦したことはあるけれど、90日くらいでやめていた。
だから、これだけコンスタントにnoteを書いているのは、おそらく今が初めて。
それもあって、最近は「いつまでnoteを続けるのか」ということを、うっすら考えるようになった。(なっていたところに、マイトンさんの記事がドンピシャで入ってきたので、書きたくなったのは大きいです笑)
今の私は、書き始めた頃と比べると、復職したのもあり、以前より書くための時間が取れなくなった。
その分のエネルギーも。
いつまでnoteを続けるのか、という問いは、私にとってたぶん、「いつまで書き続けるのか」という問いに近い。
で、「なぜ続けるのか」よりも、「いつまで続けるのか」というところに、問いの重点を置いている気がする。
「続ける」ことに主眼を置いている、というか。
で、それがなぜかと言えば。
私にとっては、noteを書くということが、自分とどう付き合い続けるのか、付き合っていくかの模索だから、かもしれない。
noteは街で、そしてSNSだ。
だからこそ、しーなさんも書いてくださっているように、数字や交流からは、完全に離れることができない。
極端な話、私のように内省がメインならば、誰にも見られない日記帳に書いていく、というのも選択肢としてある。
そして、それはそれで書いている。
誰にも、それこそ自分しか見ないタイプのノートにも、書いていることはある。
そのうえで、なぜnoteで書いているのか、といえば。
たぶんわたしは、他者と他者の間にある自分と、あるいは他者と向き合った時に出てくる自分とも、向き合いたくて、noteを書いているのかもしれない。
自分とだけ向き合っていると、時々底なし沼を覗いているような感覚になる。
それはそれで必要な時間なのかもしれないけれど、底なし沼だけ見ていても、自分のことは理解ができないのかも、という気がしている。
私にとって、自分と付き合うのはとても難しい。
ちょこちょこ不調になるし、たまに動けなくなるし、扱いにくい。
「どうすりゃええねん」みたいなことも、そこそこある。
自分と長年仲が悪かったので、まあある程度仕方がない。
そこを、どうにか和解できるようになりたくて。
自分とうまく付き合えるようになりたくて。
そうしたら、結果として他者とも(たぶん)うまく付き合えるようになるのでは、というのもあり。
その道を、noteを書くことで、模索しているのだと思う。
その道は、たぶん、私が私のために、開拓していくことが必要で。
自分のために、自分にとって心地よいように、切り拓いてく必要があるから。
いろいろなカスタマイズを重ねていったら、オリジナルに近づいていくように。
私は私が生きやすい道を、つくっている途中なのだと思うのだ。
そして、もしもそれが誰かのためになるのなら、こんなにありがたいことはない。
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余談ですが、しーなさんが書かれている「畑」という表現が、個人的には結構しっくりきていて。
わたしがnoteに求めてるのは、ジェットコースターではない。生活の基盤。畑のようなものだ。耕して、いろんな種を植えて、成長を見守って、収穫して。
私の場合は、たぶんまだ畑になっていないんですよね笑
そこに至るまでの道を開拓中、というか。
イメージ的には、もしかしたら庭が近いかもなぁ、と思ってます。
縁側付き。畑もあります笑
好きな花を植えたり、野菜も種を蒔いたりしたくて。
今はまだ、道の整備&土づくりもしたいなぁ〜くらいの段階です。
なにぶん、いろいろなことをやるのに、時間がかかる人間なので。
なので、当面の間はおそらくnoteにいるんじゃないかな、と思っています。
気長に、ゆるゆるとやっていきたいです。
ここまで読んでくださって、ありがとうございました。
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