前編【第25節:H札幌戦】80年後の8月9日─彼の祈りのかたち
■今日という日
8月9日。
長崎を愛する者ならこの日付を知らない者はいない。
80年前の今日、長崎は猛烈な光と爆風と灼熱の地獄に晒された。
この日、長崎は朝から雨が降り続けていた。
まるで、あの日の灼熱の大地を潤すかのように。
地元の長崎新聞には、黒塗りの人間の影が載った記事が掲載された。
胸に迫るものがある。
──今日は祈りの日だ。
この地は80年前は軍需工場だった。
爆心地とされる場所からはわずか1.5km。
痛ましい記憶が残る場所。
その上に立つピーススタジアムはまさにその名の通り平和の象徴だ。
試合の日程が発表され、8月9日がホーム戦だと判明した瞬間、長崎にとって特別な試合になると分かった。
まさにこの日に試合が行われるのは、長崎にとって初めての事だ。
予想通り、この日に開催される北海道コンサドーレ札幌との試合は、平和祈念マッチとして開催される事となった。
V・ファーレン長崎のVには4つの意味が込められている。
勝利、航海、多様性、そして平和だ。
去年変更されたエンブレムも折り鶴がモチーフとなっている。
スポーツを通じて平和を発信する、これが長崎のクラブ理念だ。
1ヶ月前の7月9日、長崎の選手たちは平和学習の為、原爆資料館を見学した。
ローカルニュースでは、高校生の平和大使から、選手達が説明を受けている様子が流れていた。
なぜ壁に人の影が残っているのか、いつもは明るいキャラクターの山田選手と江川選手が悲痛な面持ちで聞いていた。
インスタグラムにも選手たちが真剣な表情で展示品を見つめる写真がアップされていた。
もちろん私はここに何が展示されているのか知っている。
正直、かなり生々しい資料もある。
それでも目を逸さずに見てくれている選手たちに、感謝の気持ちと長崎で戦う覚悟を感じていた。
■11時2分
家で準備をしていると、その時間が近づいてきた。
私はいつも応援している照山選手のユニフォームを着て、2階の寝室に上がった。
そこには彼のグッズで満たされたキーホルダーケース(私はポータブル神棚と呼んでいる)がある。
地図アプリで調べて、平和祈念像の方角に向けて神棚を設置しなおした。
その横に水筒に入れた水を置く。
私なりの祈りを捧げる祭壇だ。
あの日、水が飲みたくても飲めずに亡くなっていった全ての人に捧げた。
──11時2分、サイレンがなる。
いつもは勝利と名倉選手の回復を願っている神棚に、私は鎮魂と平和を祈った。
■いざ祈りの地へ
私は神棚を持って1階に移動した。
もちろん、この神棚もピースタに持って行く。
1階のテレビに映っている、長崎の鈴木市長の熱がこもった平和宣言を見届けてから私は家を出た。
長崎の市街地が近くなると、道端に警察官をよく見かけるようになった。
平和記念式典の名残だろう。
いつもとは違う物々しい雰囲気だ。
多少、道は混んでいたが特に問題なくスタジアムに着いた。
今日は試合前にしなければいけない事が色々とある。
まずは新しい彼のグッズを購入し、私はスタジアムシティの入り口付近に向かった。
先週の仙台戦に引き続き、病気療養中の名倉選手へのメッセージを書く為の、横断幕が設置されていた。
私の気持ちは、先週と変わらない。
──ずっとピースタで待ってます。
横断幕に書いた。
私は文字通り名倉選手をずっと待ち続けるのだ。
彼がピッチに立つその日まで。
今度はフラッグショップ前に行く。
そこには、選手やスタッフが平和を願ってメッセージを書いた、四角いキャンドルが展示されている。
彼のキャンドルには、「照山颯人」「平和」「感謝」「幸福」の文字が書かれていた。
名前はともかく、感謝と幸福という言葉を選んだのが、彼らしいなと思った。
その隣では、平和祈念の署名活動も行われている。
もちろん、迷う事なく署名した。
そろそろスタメン発表の時間だ。
私は、彼は先週の仙台戦と同じ、インパクトメンバーだろうなと思った。
仙台戦は引き分けとはいえ、無失点で内容も良かった。
守備をわざわざ変える必要はない。
──私の考えは的中した。
彼はインパクトメンバーだった。
ピースタの中に入り、選手たちを出迎える準備に取り掛かる。
私は今日は、いつものゲーフラを掲げないと決めていた。
その代わりに水色の照山選手の名前が入ったタオルを取り出す。
これは、平和記念ユニフォームと一緒に販売されたタオルだ。
長崎では8月9日に近い試合の時は、毎年、平和記念ユニフォームという、特別なユニフォームを着用する。
先週の仙台戦でも着用した。
いつもの長崎のチームカラーの青色よりも薄い水色。
平和の象徴として羽があしらわれている。
本当はこのユニフォームも欲しかったのだが、私はその分のお金をいわき戦の遠征費に充てていた。
せめて、このタオルを掲げよう。
──あの日、誰もが願った空の色。
私はこのタオルを見ながらある歌を思い出していた。
青い空は青いままで
子どもらに伝えたい
燃える八月の朝
影まで燃え尽きた
父の母の 兄弟たちの
命の重みを 肩に背負って 胸に抱いて
学生の時、何度も平和学習で歌った。
今でもそらで歌える。
長崎にとって、空が青いことは平和の象徴だ。
喉が渇いた私はあの時供えた水筒の水を飲んだ。
80年越しに彼らが飲めなかった水を飲んでいるような気持ちになった。
少しのことにも敏感になってしまう。
──今日はそんな日だ。
■彼の姿は
選手たちがホテルから入場する。
私は水色のタオルを掲げて彼の名前を呼ぶ。
その時におや?と思った。
いつもは被っていない帽子を被っている。
そのせいで、私は彼を視認するのが遅れてしまった。
それでも、私のタオルを見て手を上げたのは確認できた。
彼が帽子を被っている姿を見るのは、FC今治に在籍していた頃にYouTubeに出た時以来だ。
その時に、帽子はつばが真っ直ぐしたモノが好みだと言っていた。
その時被っていた帽子と同じかどうかは分からないが、彼が今日被っていた帽子もつばが真っ直ぐだった。
彼が帽子を被るなんて珍しいな、と思った。
選手たちの入場が終わったら、私はとあるものを調達しに、席を立った。
先週の試合では売り切れで食べられなかった、彼が監修した"てりたまバーガー"。
今日は先週の反省を活かして、試合前に食べる事にした。
──やっぱり、先週のとろたまバーガーとは違うな。
と一人悦に入りながら食べていたら、思いの外、時間が過ぎていた。
食べている途中でフィールドプレイヤーがアップのためピッチに出てきた。
私は慌てて、てりたまバーガーを口に詰め込み、彼のタオルを掲げた。
──ただ、彼の姿がどこにも見当たらない。
あれ?おかしいな?
インパクトメンバーに名前があったはずだけど。
体調でも崩したのかな?
いや、でもさっきはいたよな?
と心配していたが、近くで練習していた選手を見て気づいた。
──彼が坊主になっている。
ビックリした。
よく見たら、フアンマ選手と山田選手も坊主になっている。
私は驚きのあまり、隣のサポーターさんに「照山選手が坊主になってます!」
と話しかけてしまった。
「もしかしたら、名倉選手のために坊主にされたのかも知れませんね。」
そう言われて腑に落ちた。
彼と山田選手は元々名倉選手とは仲が良い。
フアンマ選手も先週の仙台戦で、家族で手作りした名倉選手の横断幕を掲げていた。
悪性腫瘍の療養で、髪が抜け落ちてしまう名倉選手を元気づけるために、彼らは坊主にしたのだ。
ちなみに、試合後の櫛引選手のインスタグラムとSNSで、櫛引選手と田所選手と富澤選手も坊主になっていることが明かされた。
──私は彼の覚悟を知り、ピッチ練習中、ずっと泣きそうだった。
フアンマ選手はともかく、少なくとも、彼と山田選手は坊主にするようなキャラクターではない。
人並みの若い男性として、身なりにも一定の気を遣っている印象がある。
それが分かっているから、より一層、胸にくるものがあった。
去年、彼はおそらくいわきFCに所属する為、髪を短くしていた。
しかし、今年は少し伸ばして試合の時にはバンドを付けていた。
私は(去年の髪型の方が良かったなー)と呑気に考えていた過去の自分を恥じた。
これは、名倉選手に寄り添うために、自らのアイデンティティの一部を捧げた、「友情」という名の自己犠牲だ。
私は、彼を応援していて本当に良かったと、心の底から思った。
彼は、インパクトメンバーだった先週の仙台戦と同様に、ロングフィードの練習を私の目の前で行った。
私は写真を撮りつつ、友の為に坊主になった彼の姿も目に焼き付けた。
選手たちがピッチから去る。
彼はその髪型に慣れていないのか、頭を触りながらピッチを後にした。
今、彼がピッチから去ってくれて良かった。
──もう、私は耐えられなかった。
彼があと1秒でもピッチから出るのが遅かったら、私は彼の思いやりの深さに我慢できずに泣いていた。
■ピースタでの祈り
それから間も無くして、アナウンスがあった。
スタジアムには福山雅治さんのクスノキが流れる。
長崎にとっての鎮魂歌だ。
私は彼のグッズで飾りつけたペンライトを曲に合わせて振り、一緒に歌った。
スタンドには光の波が現れた。
80年前の魂が宿ったようだった。
今日、長崎を応援しているのはここにいる我々だけではない。
今まで歴史を紡いでくれた過去の者たちも確かにこのピースタに息づいていた。
と、感傷に浸っていたら、福山雅治さんご本人が登場した。
先程の祈りの静寂さから、会場のボルテージは一気に上がり、スタジアムは熱狂した。
私も先ほどまで、曲に合わせてゆっくり振っていたペンライトを激しく振った。
福山さんは、今日、ピースタに来られた事への感謝、実はピースタで試合を見た事がありその時は勝った事、今日も勝って欲しいという願いを込めてピッチから去った。
その後は、ヴィジョンでスタメンとインパクトメンバーが発表される。
照山選手の名前が発表された時、そこに映るかつての彼の姿と今の姿のギャップに、また、私は胸を締めつけられた。
いよいよ選手入場だ。
私はまた、彼の名前が書かれた平和の象徴を掲げる。
選手達は、先週と同じ、水色とピンクの平和祈念ユニフォームをまとっている。
整列し終わると、山口選手が平和宣言を行った。
その後、長崎の鐘が鳴り響き、黙祷を捧げる。
私はこの時、展示されていた彼のキャンドルを思い出していた。
今日という日にサッカーを見る事ができる「幸福」に「感謝」した。
いよいよ、8月9日の試合が始まった─。
※後編はこちらです。
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試合後にポータブル神棚にお供えしてから私のお腹の中へ。
今回も相変わらずの応援スタイルです。