草原の体験――モンゴル旅行記:その1

草原の体験――モンゴル旅行記:その1
今年の八月、僕はモンゴルに行った。
「どうして突然、モンゴルなんかに?」
と何人の人に訊かれたか分からない。確かに北米やヨーロッパ、或いは東南アジアあたりなら恐らく観光で行ったのだろうと想像がつく。だから何の説明もしなくても「そうですか」と勝手に納得してくれるが、モンゴルの場合は、そうはいかない。かく言う僕も、自分の友人が「アフリカに行ってきた」と言うなら、確かに「なんで?」と反射的に訊いてしまうと思う。
同様にモンゴルをはじめとする中央ユーラシアの場合は「なんで?」と言いたくなる気持ちは良く分かる(余談だが、この図式で恐らく南米とインドは「なんで?」と「そうですか」の中間に位置しているのだろうと思う)。
だから本来ならば「どうして僕がモンゴルに行くことになったのか」から書き始めるべきなのだろうけれど、そうすると僕はいつまでたっても現地での体験の話ができなくなってしまう(そして何より、それは読者の皆さまにとって非常に退屈なものになるだろう)。
そこで先ずはモンゴルの魅力を語って、読者の中での「モンゴル熱」が高まってから、今回の旅行の動機という、僕の個人的な話を書いていけたらと思っている。
改めて「何をしにモンゴルへ?」と問われるなら、僕の答えは「草原を体験しに」ということになる。早速のタイトル回収だが恐らく、あなたのイメージした「草原」は間違っている。
と言うのも、もしあなたが大地の一面に緑の草が生えていて、そこを牛がウロウロしながら、青々とした草をむしゃむしゃと食んでいる様子を想像されたなら、それは「放牧地」であって、ここで言う「草原」ではない。
僕も長らく勘違いしていたのだが、草原というのは「草の生えている土地」を意味するのではなく、凡そ「木の生えていない土地」を意味する。確かに、草が生えているだけが「草原」であることの条件なら、僕の家の庭も「草原」だと言うことになる。最近ではネット上にも沢山の草が生えていて、何でも「大草原」というネットスラングさえ有るらしいのだが、これは流石に全く関係無い。
これに対して「樹木が生息できない土地」であることが草原だと言うならば、そこには多くの気候的な条件が考えられる。先ず樹木が発育しないのは降水量が限られているからであって、乾燥している場所で有ることが想像される。或いは通年で強い風が吹いていることで、樹木が高く伸びていけない(或いは倒れる)ことも考えられる。他に著しく気温が低い場所、例えば極地なんかは寒くて木は育たないだろう。また「森林限界」という言葉がさし示している様に、その条件は高山であっても揃い得る。
よってギリシャ哲学における四つのエレメントで整理するならば、少なすぎる「水」、多すぎる「風」、或いは少なすぎる「火(熱)」といった様に、どれかひとつのエレメントが過剰だったり希薄だったりするだけで樹木は生育しないことになる。そう考え得ると「木のストライクゾーン」は、意外に狭いのだ。草原というのは、だから「草が生えている土地」ではなくて「草しか生えない土地」と言った方が的を射ている。
ここで先ほどの牛ちゃんに再登場して貰おう。あなたは青い草と茶色の牛の他に、樹木も一緒にイメージしてはいなかっただろうか。そうすると、それは「草原」ではない。そもそも日本人にとって「木の無い自然の風景」というのは、普通に思い浮かべるものでは無い。しかし馴染みの無いものだからと言って、決して日本に「草原」が無い訳ではない。既に述べた「森林限界」という表現からも明らかな様に、日本国内にも樹木が生息できない土地は幾らでも有る。
少しだけ詳しく書くと、森林限界というのは単に標高が高いことによる気温低下に止まらず湿度(降雨量)や日光の不足もその原因で有る。よってエレメントで言うと「火」、「水」そして「風」ではなく「光」ということになる。とは言っても矢張り気温が最も大きなファクターなので、森林限界というのは低緯度ほど高く、高緯度ほど低くなる傾向が有る。具体的には、富士山では標高約2,500m、北海道では気温以外の条件によって多少の上下はするものの、約1,000m~1,500mが目安だと言われている。
よってもし、あなたが例えばアルプスの山岳地帯で、しかも森林限界を超えた放牧地で草を食む牛をイメージされていたなら、それは正解だということになる。
何故なら、それは「放牧地」であると同時に「草原」でもあるからだ。よって「間違っている」と言った僕が間違っているので、ここにお詫びして訂正する。
さて僕がモンゴルで体験した「草原」は、何より乾燥していた。その土地の年間の降水量は僅か約250mmで、これは東京が約1,500mmであることを考えると、どれだけ雨が少ないかが分かる。更に年間降水量が200mm以下の気候を「砂漠」と呼ぶことを考えると、そこがどのくらい過酷な環境で有るかも見えて来るかと思う。
こういった「砂漠に次ぐ乾燥地帯」は一般に「ステップ気候」と呼ばれる。よって学生時代に地理の好きだった方なら、この表現の方がピンと来たのかも知れない(但し全てのステップは草原だが、草原の全てがステップだという訳ではない)。
そして砂漠とステップが隣接しているというのなら、草原(ステップ)を出ると砂漠に入ることになる。実際、僕はゴビ砂漠の北限にも行ったので、そのことはまた回を改めて書きたい。
そして、ここに僕が行った草原の標高が、確か1,100mくらいだったことを付記しておこう。何故ならば、この標高で既にその地域の森林限界を超えている可能性が有るからだ。ひとつの目安として、モンゴルの首都ウランバートルの北緯は47度であることを述べておこう。これは北海道を超えて樺太あたりに相当する高緯度で、北海道の森林限界の下限が約1,000mであることは既に書いた。詰まり僕の行った草原はステップ気候で乾燥しているのと同時に、高地であることも原因で樹木が生きてはいけないのだ。さて「草原」の解像度を、更に上げていこう。以上の様な意味で、草原というのは要するに「草の生えた砂漠」だと思って頂くのが一番手っ取り早い。公園や学校の運動上にある、あの「砂場」を地平線の彼方まで拡大すれば差し当たり、即席の「砂漠」の完成だ。しかし草原というのは平坦ではあっても、デコボコが無い訳ではない。寧ろ草原の地表面は凹凸だらけなのだが、その起伏が20cmを超えることは殆ど無い。丁度、海の表面もまた一応平らではあるけれども、風のせいで鏡の様にツルツルではないのと同じだ。「大海原」とはよく言ったもので、確かに海というのは草原の様であり、また草原というのは海の様でもある。
また草原の砂は、確かに大部分が公園の砂場の様な砂ではあるが、そこに更に細かい埃や塵の様な砂を加えなければならない。だから草原を自動車が通ると、巨大な砂煙が舞い上がるんだと父は繰り返し言っていた。そして言うまでもなく、砂よりも大きな「石」も沢山有るが、そう言われてみれば「岩」は殆ど見かけなかった気がする。
そして、このデコボコした「砂漠」に、草が点々と生えている。この「点々と」というところがポイントで、地表面の全てが緑の草にビッシリと覆われている訳ではないのだ。更に「砂漠」の表面に有る緑のものは草とは限らず、座布団かマット大の大きさのブッシュ(茂み)も有る。これは恐らく多年草で、場合によっては「低木」に分類されるのかも知れないが、何れにせよ大きさから「樹木」とは言えない代物だ。
さて仮に、あなたが運動場の端っこで雑草を見つけたならば、生真面目なあなたは、それを引き抜くと思う。そして仮に根っこが残っていたとしても、そこからまた元気に同じ雑草が生えてくることは、ちょっと考えられない。何故ならそこは運動場で、児童や生徒が四六時中走り回っているからだ。そこは草が伸び伸びと成長する環境とは、とても言えないのだ。
それに対して近所の空き地には、ビッシリ草が生えている。建物を取り壊して更地にした段階では、地面は花崗土(真砂土)の色だった。だけれども半年後には、セイタカアワダチソウをはじめとする、色とりどりの「雑草」でいっぱいだ。
この様に日本人にとって、「むき出しの大地」というのは、「やがて草に覆われるもの」なのだ。これに対して砂漠に住むエジプト人は、土色の大地はずっと土の色をし続けるものだと思っている。そして「草原」は、この中間に位置する。詰まり部分的に土色で、部分的に緑色なのだ。(まあ面積で言うと、圧倒的に土色の方が広いだろうが)。
さて草原に樹木が無いということは、既に述べた。そして樹木によって視界を遮られるということが無いので、360度、どちらを向いても地平線が見えるのだ。よってモンゴルの草原で視界を遮るものは、「地球の丸さ」だけだということになる。
そして草原の大地が完全に平坦ではないのと同様、モンゴルの地平線もまた一直線では無い。そこには「山」というものが無い代わりに、「丘」とも呼べない地面の起伏は地平線まで続いている。僕はYouTubeで、幼少期から一度も夕焼けを見たことが無いという人の話を聞いたことが有る。その理由は至極単純で、その人は鹿児島の或る地域の出身で、そこは西側に高い山が有る土地なので、夕焼けで赤くなる空の部分がスクリーニングされてしまうのだ。よって陸上で「視界を遮るものが無い」という状況は、山岳地帯と樹木が無いという条件が揃わなければならない。しかも、その特殊な状況が360度確保されているのだ(因みに僕の住んでいる香川県は、土地は平坦だが、民家をはじめとする人工物が視界を遮る)。
森林限界を超える高山に登れば、日本でも「草原」は体験できる。しかし山岳地帯ではない草原は、恐らく日本には存在しない。それに対して僕が体験したモンゴルの草原は、木だけではなく、山も無いので本当に何も視界を遮るものが無いのだ。
そして「モンゴルの草原」の最大の魅力は「香り」である。モンゴルの草原に風が吹くと、どこからともなくハーブの様な香りが漂って来る。それにはバジルの様な清涼感が有り、またキャラウェイの様な覚醒感も有る。兎に角、その匂いを既存のハーブで表現しようとすると、オレガノをはじめ、五つくらいの緑系のハーブが思い浮かぶ(上で「覚醒感」という言葉から連想された方も居ると思うが、この「五つ」の中にローズマリーを入れても差し支え無い)。
気になったので帰国してから調べてみたら、どうやらハーブの香気成分とは、ひとつのハーブにひとつだけという訳ではなく、ひとつのハーブに複数の香気成分が含まれているのが普通なのだそうだ。よって僕は、たった一種類の香気成分から受けた印象から複数のハーブを連想したのかも知れないし、そもそも僕が感知した香気成分が最初から複数だったのかも知れない(この辺りはハーブの香りを香気成分の割合で説明している特殊な専門書がないと解決できない)。
何れにせよ、この「えも言われぬ芳香」を放つ植物が、どの草なのかは既に特定していて、それは父の話によると日本で言うところのハハコグサに類似したものなのだそうだ。

そして風が吹くと、どこからともなくこのイタリアンのハーブの様な香りが漂って来る。そして世界中を探しても、全体がハーブの香りのする草原は、モンゴルにしか無いそうなのだ。
そして僕は、この芳しい匂いのする草を、むしゃむしゃと食べる羊くんを想像する。きっと間近に見ていたら、僕はキュン死していたと思う。
だから「草原」というものは、その字面だけ見ると、全く日常的で退屈なものに思えるが、僕が体験した「モンゴルの草原」というのは世界で日類の無い素晴らしいものなのである。だからもう、あなたは胸を張ってこう言える:
僕の夢は草原を見に、何時かモンゴルへ行くことなんだ!
もし、あなたのお友だちが:
へ?なんで草原なんか見に?
と答えるなら:
え?君は『草原』が何かを知らないのかい?
と、平たい草原を使ってマウンティングしてみよう。
モンゴル旅行記:その2
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photo exhibition by kazuo takeshita




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