人生を豊かに奏でる――書くのが苦手だった私へ『さみしい夜にはペンを持て』
子どもの頃、日記を書いてみようと思った。
「〇〇へ遊びに行った」
「△△がおいしかった」
「⊡⊡が楽しかった」……。
並んでいるのは、どこか記号のようなことばの羅列。
案の定、わたしの日記は見事に3日で終わった。
読書感想文も苦手だった。
「〇〇が面白かった」
「△△がすごいと思った」
「⊡⊡がかわいそうだと思った」……。
あらかじめ用意されたテンプレートを埋めるような作業に、
心は動かなかった。
国語のテストは、こんな感じ。
「この時の作者の気持ちを答えなさい。」
——ぼくは作者じゃありません。作者の気持ちは作者に聞いてください。
と、心のどこかで毒ついていた。
そんなふうに、
書くことも、読むことも、どこか苦手でした。

学生時代の国語は苦行でしかなく、古文にいたってはもはや外国語。
だから「文章を書くこと」にはずっと分厚い壁を感じていました。
……それなのに、なぜか今、私はこうしてnoteを書いている。
なんでだろう?
少しだけ立ち止まって考えてみる。
「苦手」だけど、「嫌い」じゃないのかな。
noteの街を歩いていると、
みんな書くことが大好きな人ばかりに見えて、
少し気後れしてしまうこともあるけれど。
そんなことをぼんやりと考えていたとき、
図書館で出会ったのが、
古賀史健さんの『さみしい夜にはペンを持て』でした。
読み終えて、強く思った。
もし子どもの頃の自分が、この本に出会っていたら——。

子どものころ、書くことは苦手だったけど
「描くこと」は好きでした。
思うがままに、白い紙を色で埋めていく時間は楽しかった。
この本を読んで気づいたのは、
書くことは、自分の「心の色」をスケッチする作業だということ。

言葉にできない感情は、
単なる「嬉しい」や「悲しい」の一言では片づけられない、
複雑なグラデーションを持っているはずだ。
ことばの色鉛筆を増やしていけば……。
独りきりの静かな夜に感じる孤独は、決して真っ黒な闇ではない。
そこには、静寂な青や、微かな希望の黄色、
あるいは過去を懐かしむセピア色が混じり合っている。

自分だけの「言葉の色鉛筆」を一本ずつ揃えて、
画用紙に線を引くように、丁寧に自分の気持ちをスケッチしていく。
そうして初めて、
輪郭のなかったボヤっとした感情に、形や色が与えられる。
書くことは、自分の内側を「見える化」する作業ということ。
ペンを持つということは、
自分という一番身近な他人の声を、じっと聴くこと。
一文字ずつ綴るたびに、心の中の霧が晴れ、
本当の自分と再会できる。
そんな贅沢な時間を、これからも大切に積み重ねていきたい。
文章を書くことが苦手だった、あの頃の自分へ。
書くことに興味を持ち始めた、今の自分へ。
そして、これから時を積み重ねていく、我が子たちの未来へ。
プレゼントしたい、そんな一冊でした。

迷っているなら、そっとペンを持ってみよう。
きっと、紡いだことばたちが
これからの人生を豊かに奏でてくれると信じています。

最後までお読みいただきありがとうございました。
