「90秒ルール」/恐れつつ、なすべきをなせ
私は極度の心配性で、時々、身体の奥から噴き上がるような恐怖に襲われることがあります。それが客観的には根拠のない恐怖だと頭ではわかっているのに、心ばかりか身体まで、それに飲み込まれそうになるのです。
しかし、最近になって「90秒ルール」を使い始め、そのような根拠のない恐怖に苦しめられる場面が、劇的に減りました。この「90秒ルール」を紹介させてください。
1.「90秒ルール」/『白峰アカネの冒険』
noteに連載中の風を自由に操る力をもった魔獣と同じく風を操る「魔祓い巫女」を巡る物語から、ヒロインの「魔祓い巫女」・白峰アカネが山中で思いがけず魔獣と出くわす場面です。

魔獣は、アカネをにらんでいた。アカネの中で恐怖が嵐のように沸き起こった。だが、アカネはその恐怖に抗おうとはしなかった。恐怖の嵐が自分の中を吹き荒れるまま、使える限りの五感を魔獣に振り向けた。
恐れつつ、なすべきをなせ。
「魔祓い巫女」養成課程で叩き込まれた恐怖への対処法だった。
アカネたちは、恐怖について次のように教えられていた。
恐怖は血中に毒を生む。あるいは、血中に生じた毒が恐怖を生む。その順は重要ではない。重要なのは、恐怖が身体反応だということだ。
健康な人体では、極端な身体反応は長くは続かず、いずれ平常に戻る。恐怖も同じで、恐怖の毒は血液に乗って体内を一巡するうちに弱まり、平常心が戻ってくる。
その間の時間は、およそ90秒(地球時間換算)。この間に恐怖に抗おうとすると、その抵抗が血流を滞らせ、毒が体内に留まり恐怖を増大させてしまう。
恐怖を受け容れ90秒のあいだ耐え、その間も、なすべきことをなせ。
これは、私が「90秒ルール」と名付けて実践していることを、アカネの口から語らせたものです。
このエピソードはこちら:
2.「90秒ルール」/私の場合
私が自分の心配性でいちばん困るのは、「施錠忘れ恐怖」です。家を出てバス停に並んでいると「カギをかけ忘れた」という恐怖がこみ上げきます。家にコソ泥さんが入って大事なパソコンを持ち出される場面が目に浮かんだりします。
この恐怖が起きないように、カギをかける前とかけた後でカギを収めるポケットを変えて施錠確認のサインにしているのですが、それでもダメな時はダメ。
ポケットだけ変えたに違いない……などと、思い始めます。家を出たときの行動を必死で思い出そうとしますが思い出せず、恐怖が増すばかり。あと1,2分でバスが来るはずというタイミングで不安が頂点に達し、私は家に引き返します(バス停から2分で戻れてしまうのも、よくない)。

少し「盛って」います
これで何回バスに乗り遅れたことか。現実には、覚えている限りでカギをかけ忘れていたことは、一度もありません。
しかし、「90秒ルール」を使い始めてからは、恐怖に襲われないわけでないけれども、家に引き返すことはほとんどなくなりました。
恐怖がこみ上げてきたら、カギが施錠後のポケットに入っていることだけ確かめ、あとは、恐怖から逃げず、玄関を出たときの自分の動作を振り返りもせず、90秒間、恐怖を放置しておきます。「あ、自分、今、恐がってる」みたいな感じにしておくのです。すると、恐怖が弱まっていき、ついには消えます。

ただし、私の場合、実際には90秒より、もっと時間がかかっています。長い時は5分以上......だから、バスに乗っても、まだビクビクしているときがあります。
では、なぜ「90秒ルール」と呼んでいるのか?
実は、この言葉が私のオリジナルではなく、アメリカの神経解剖学者ジル・ボルト・テイラー博士の造語を借用しているからです。
3.元祖「90秒ルール」/テイラー博士
「90秒ルール」は、テイラー博士の著書『WHOLE BRAIN 心が軽くなる「脳」の動かし方』に登場します。
打腱器で膝蓋腱を軽く叩くと膝を蹴り出すような、神経的反射の根底にあるのと同じ基本原理は、ある感情回路が誘発されて反射的に恐怖や怒りや敵意で反応するときにもはたらいています。
いったん回路が刺激されて感情的な反応を引き起こすと、その感情の元になる化学物質が体中に満ちたあと、血流から完全に洗い流されるまでは九十秒足らず。
『WHOLE BRAIN 心が軽くなる「脳」の動かし方』
NHK出版(2022年)P17-18
太字化はKameno

私の場合、90秒よりもかかるのは、次のことをやっている場合があるからだと思います。
私たちは意識して、あるいは無意識のうちに、感情回路の発動を引き起こした考えを何度も思い出して、九十秒より長く傷ついたり、怒ったり、悲しんだりすることができます。その場合、私たちは神経学的レベルで、感情回路を刺激してなんども繰り返し作動させているのです。
『WHOLE BRAIN 心が軽くなる「脳」の動かし方』
NHK出版(2022年)P18
太字化はKameno
4.「90秒ルール」と「神経可塑性」
テイラー博士が「感情回路」という言葉を使っているように、現代の脳科学では、特定の感情は脳内の特定の(ひとつとは限らないが)神経のつながり具合と対応している考えられています。
そして、この神経のつながり方は、決して固定したものではなく変化するとも考えられています。脳の神経系のこのような変化可能性を「神経可塑性」(ニューロプラスティシティ)と呼びます。
この「神経可塑性」も、脳内の化学物資と関係しています。この関係をわかりやすく説明してくれているのが、ララ・ボイド博士のTED講演です。
文字起こしすると大変な量なので、化学物質に関係する部分を抜き出して要約します。私の素人理解が混ざっていることをお断りしておきます。
脳の変化には3種類の変化がある。
第一の変化は、化学的なもの。化学物質が神経同士の連携を担っているのだが、この化学物質の濃度が変化することで神経同士の連携の強さが変わる。この変化は急速に起こり、短期記憶に影響する。
第二の変化は、構造的なもの。ここでは、神経同士のつながり方そのものが変化する。この変化には、化学的な変化よりも時間がかかり、長期記憶に影響する。
第三の変化は、機能的なもの。特定の神経回路を使いつづけると、その回路が作動しやすくなり、脳の働きかたが変わってくる。
ボイド博士は、化学物質による神経のつながりの変化は急速に起こると言っています。これは、テイラー博士が感情を引き起こす化学物質は90秒で血流から完全に洗い流されると説明していることと符合していると考えます。
また、ボイド博士は「特定の神経回路を使いつづけるとその回路が作動しやすくなり脳の働きかたが変わってくる」と説明していますが、これは、テイラー博士が「感情回路を刺激してなんども繰り返し作動させると、感情が九十秒より長く持続する」と述べていることと符合していると考えます。
私の恐怖感情が九十秒では収まらないのは、長年、「施錠恐怖」を経験し続けるうちに、脳内の恐怖回路が強化されてきたためかもしれません。
5.「90秒ルール」と「自然服従」/森田正馬
テイラー博士とボイド博士は、CT、MRI、fMRIなどで脳の働きを観察できる現代の脳科学者です。
ところが、まだ脳の働きを観察する手段のなかった20世紀はじめに、自分自身の経験と治療の実践を基に「90秒ルール」とほぼ同じ恐怖対処法を編み出した精神科医がいます。日本の森田正馬(1874-1938)です。
実は、『白峰アカネ』の次の一節は、森田の著書『神経質の本態と療法』の中の一文を、テイラー博士、ボイド博士の理論と照らし合わせて焼き直したものです。
健康な人体では、極端な身体反応は長くは続かず、いずれ平常に戻る。
森田のオリジナルは、次のとおりです。
感情は、そのままに放任し、またはその自然発動のままに従えば、その経過は山形の曲線をなし、ひと昇りひと降りして、ついに消失するものである。
白揚社(1980年)P99
太字化はKameno
「感情の元になる化学物質が体中に満ちたあと、血流から完全に洗い流されるまでは九十秒足らず」というテイラー博の説と共通するものがあると思います。
森田は、感情について、次のようにも説いています。
感情は、その刺激が継続して起こるときと、注意をこれに集注する時とに、ますます強くなるものである。
この指摘は、テイラー博士の次の指摘と一致していると思います。
私たちは意識して、あるいは無意識のうちに、感情回路の発動を引き起こした考えを何度も思い出して、九十秒より長く傷ついたり、怒ったり、悲しんだりすることができます。
森田は、上のような感情についての洞察に基づいて、根拠の乏しい病的な恐怖への対処法として「自然服従」を提唱しました。
ここで正直に打ち明けると。私は、この「自然服従」というのが、実は、どうもよくわかっていない気がします。
ですから、ここから先は、私が理解できた範囲での「自然服従」の紹介になります。私にとって、森田の「自然服従」についての説明の中でいちばん分かりやすいのは、次の毛虫のたとえです。
たとえば毛虫を見て、私たちはこれを不快に感じ、嫌悪しおそれることは感情の事実である。けれどもこれが毒気を吐くものでなく、人に飛びつくものでないということは、私たちの知識によって知ることである。毛虫を見てたちまち目を閉じて逃げ出すものは、感情に支配されるものである。必要に応じて、これに近寄り、これを駆除できるのは、理知の力である。すなわち不快のままに、毛虫に近づくことのできるのは、感情と知識との両立であって、あるがままの当然の行動であり、正しき精神的の態度である。
白揚社(1980年)P77
太字化はKameno

「あるがまま」が「自然服従」のキーワードです。この「あるがまま」とは、「人間の生き物としての自然な姿のままに」ということだと、私は理解しています。
恐怖について言えば、人間は、他の生き物と同様に、恐いと感じるようにできています。ですから、恐いものは恐いと認めるのです。間違っても、「恐がってはいけない」などと考えてはいけない。
なぜなら、「恐がってはいけない」と思うと、現実には恐がっている自分に注意が向いて、恐怖の感情が持続してしまうからです。「象を想像するな」と言われると、反対に象が頭に浮かんで止まらなくなる――あれです。
恐怖は、血液の流れに乗せて流してしまえばよいのです。
「恐れつつなすべきをなせ」という表現は、実は、この毛虫のたとえから思いついたものです。
6.「90秒ルール」と『デューン 砂の惑星』
ここまで脳科学者と精神科医の見解が続いたので、最後に、SF界の巨人、のフランク・ハーバートの「『デューン 砂の惑星』から恐怖をとり上げた一節を引いて、この記事を終えたいと思います。
I must not fear. Fear is the mind-killer. Fear is the little-death that brings total obliteration. I will face my fear. I will permit it to pass over me and through me. And when it has gone past, I will turn the inner eye to see its path. Where the fear has gone there will be nothing. Only I will remain..
恐れてはならない。恐怖は心を殺す。 恐怖は、完全な消滅をもたらす小さな死だ。 私は恐怖と向き合う。 私は、恐怖が私を越え、私を通り抜けるに任せる。 そして恐怖が通り過ぎたとき、私は内なる目を向け、恐怖が通った跡を見る。 恐怖が去ったあとには、何も残らない。 そこに残るのは、ただ私だけだ。
和訳はKamenoによる
こちらのサイトから引用しました。
冒頭の I must not fearは、森田の「自然服従」に反していますが、残りの内容は、テイラー、森田と見事に響き合っています
私は、Only I remain. の ”I” が森田正馬的な「あるがままの自分」に当たるのではないかと思っています。
私としては、ずいぶん長い記事になりました。
ここまでお付き合いいただき、本当にありがとうございました。
