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空を見上げて 11

これまでのお話は
 居場所を失って友人の家に住むことになったエマ。本屋を営むタキの家で、朝から晩まで本を読んで過ごしていたが、体調を崩して声が出なくなってしまう。
 タキは心配するが、それを重く感じ始めてしまったエマは、数ヶ月ぶりに自ら外出する。あてもなく歩いた先には、ちいさな山小屋があった。
 少し休むはずのそこを、彼は毎日訪れるようになる。自分の心のうちと過去を行き来するうち、次第に時間の間隔も失われていく。
 一方で、タキはそんなエマを心配しつつ、どう接すればよいか悩んでいた。そんなとき、タキは彼がどこへ行っているのかを知人から知らされる。

このあらすじ?
が毎回悩ましい

十話

十二話


 いい意味でも悪い意味でも、この町は生ぬるい。全体的に人が緩くてのんびりしている。町の活性化という割に、全く今の流行も風潮も読めていなくて、時代遅れなどこからどう見てもダサいことを平気でやってのけたり、それに気が付いたからなのか、単に騙されやすいからなのか、外部から来たコンサルタントだの、テレビで見た肩書きのある誰それの影響を諸に受けて、全て丸呑みにしたことをやろうとしたりする。
 それはもちろん、子どものころから分かっていた。家業を忌避すること以外にも、この町はダサい。隣町だってさほど栄えているとは言えないし、ダサいことに変わりはなかったが、そういう意味で街を出たかったという部分もあった。

 大人になって久しぶりに山を越えて町を見て、脱力した。
 まるで時が止まったかのように、同じことをしている。

 商店街は寂れていて、シャッターが下りている店が多かった。好きだった古い店は、エステやらジムやらコワーキングスペースのチェーン店に取って代わられていて、ひどい場所だと月極駐車場になっている。
 侵蝕されている。
 町の本当のいいところなんて、少しも伝えられないまま、別の潮流に飲まれて消えていっている。
 そんなこと、家を潰した自分が言えることではない。ないのだが、町をあげて騙されている人々を見ていられるタキではなかった。
 肩書きが大事な町の人々にとって、松井家の名前は甚大だ。似た意味で力を持つ家もいくつかあるし、それらの年の近い面々を上手にまとめることができれば、軌道修正ができるかもしれない。捨てておいて結局、家の名前を使うことに抵抗がないわけではなかったが、何をするにも一番手っ取り早いのが家名なのだ。
 そんな古臭いところも、だからダメなんだろうし、だけど、価値もある。

 ただ。
 そんな緩くて古臭い町だからこそ、エマも馴染めるかと思った。ここではみんな好きに生きているし、少々見た目が違っても、いや、むしろエマなんて見た目はどこからどう見ても人間なのだから、全く問題はないだろう。
 町の人々はエマが考えるよりも異常に馴れ馴れしいだろうから、そこが僅かに心配だったが、それだってそのうち慣れてくれるだろう。というか、その辺は自分が釘をさしていけばいいや。そんなふうに思っていた。

 しかし、エマは少しも町に馴染もうとはしてくれない。そんなことを求めてはいけないと分かっているが、うまく言葉にできないけれど歯がゆい。
 その上。
 山の家に行くなんて。

 それだって、エマの勝手だ。
 それに、あそこへいった人を無理に連れ戻してはいけないとも言われている。
 だけど。
 だけど山に喰われてしまうんだよ?
 真偽を確かめてみたことこそなかったが、それが本当であることをタキは知っていた。たぶん、本当だ。


 リビングに上がると、いつの間に帰っていたのか、エマがいた。
 最初のうちは、彼が帰ってくるまで店を開けて声をかけていたのに、どうしてかもう、それもなくなってしまった。彼そのものを見るのもひどく久しぶりな気がする。
 彼が家を出るようになって、さほど日が経ったわけではないのに、大学を卒業してから会わなかった年月よりも、長い時間のような気がしていた。

 エマはぼんやりとソファに腰掛けて座っていて、目の前にいるのにまるでここにはいないかのようだった。瞬きをしたら、それだけで消えてしまいそうなくらい、存在が薄く見える。家の中の他のものは、生きてもいないのにその場にしっかりと「ある」のに、エマだけが、ソファよりもテーブルよりも、うっすらとしている。
 声をかけるのが怖くて、タキはためらった。すでにエマはこちら側には住んでいないかのようで、彼の魂はすっかり山に喰われてしまったのかもしれない。
 昼間に聞いた話がよみがえる。

 山の家に行ってるって。

 エマ、と気付いたら声にしていた。口を開いてしまったら止められなくなった。

「エマ、ねえ、聞きたいことがあるんだけど」

 エマの形をしたものは、しばらく動かなかった。エマ、とタキはもう一度声をかけた。少しだけ彼が動いた気配がして、タキはまた呼ぶ。

「エマ、ねえ、」

 何、とでもいうように彼がこちらを見た。よかった、戻ってきてくれた。そう思ってタキは彼の正面に座ろうとした。ところが、エマは再びふいと目を逸らしてゆらりと立ち上がる。
 待てよ、とタキは思わず彼の腕を掴んだ。知っているよりも少しだけ細く骨ばっていたが、きちんとまだ存在していた。そのことにどこか安心する。

「なんでなんだよ」

 安心してしまったせいか、咎めるような口調で言葉が出ていった。そうじゃない、そうじゃないと頭の中の自分が言うのに。

「ねえ、どこに行ってるのか教えて。毎日、どこに何をしに行ってんの?」

 身を捩るようにして、エマがタキの手を振り払おうとする。エマはこんなふうに腕を掴まれることなんて好きじゃない。知っているのに、タキの手は彼を逃すまいと力を込めた。
 彼が顔を上げてタキを見た。これまでに見たことがないほど、エマは怒っているようだった。口を開いて、何かを言おうとして、そして声を出せないままに彼の目からぼろぼろと涙が溢れた。
 エマは乱暴に掴まれていない方の手でそれを拭うと、タキの肩を突き飛ばした。そしてもう一度逃れようとする。しかし、元から力がある方ではないから、タキの肩がわずかに動いただけだった。そのことがさらにエマを腹立たしくさせたらしい。彼が拳を握ってこちらに上げた手も、タキは掴んだ。正面から彼を見る。

「ちゃんと聞けよ。逃げるなよ。なんで何も言ってくれないんだよ。」

 これにもエマは何か反論しようとした。今のことじゃない。今、『言えない』のは分かってる。
 ちっとも周りと上手くいっていないのは知っている。高校のときからそれを見てきた。あからさまにエマを愚鈍だと言って馬鹿にするやつもいれば、空気のように扱うやつもいた。そういうしようもないやつは、徹底してしようもないから、タキがそばにいると面と向かって彼を攻撃することはない。タキもおおよそ、周りから奇異な目で見られていたから、人のことは言えないのだが、ただ一つ、恐れられていることは有利だった。だからタキはできるだけエマのそばにいた。
 エマはそれにも気がついていたと思う。もっと彼が鈍感だったらよかったのに。もっと図々しければよかったのに。でもそんなのはエマじゃない。そんな彼だったら、今こうして、どうにか繋ぎ止めようと見苦しく足掻いていたりもしない。
 だから多分、この瞬間のタキの後悔も、何度やり直しても同じことになるのかもしれない。タキはエマを助けたいと思っていたが、それだって酷い話だ。迷惑で不快だろう。

 それでも。
 言ってほしかった。

 エマが社会に出て、普通に働くなんて無理だろうなと勝手に思っていた。それも失礼な話だ。一緒に過ごした時間は短かったものの、彼がどんな人間なのか、周りの誰よりも知っている自信があった。
 それを言うなら、エマが自分で助けを求めないことくらい、もうずっと前から知っていた。一度だって、彼は自分からタキに弱音を吐いてくれたことなんてない。
 だからやっぱり、どの地点でやり直したとしても、どこかでこの未来にたどり着いた気がする。

 こんな顔が見たかったんじゃない。

 タキはエマの両腕を掴んでいて、顔は目の前にあって、エマもこちらを向いているのに、やはり、もうすでに彼はここにはいなかった。
 彼の目は強い怒りの色があるのに、それなのに、タキを見てはいなかった。自分に怒りをぶつけてくれるのなら、いくらだって受け止めたのに。目の前にいる自分が、今、彼を追い詰めようとしているのに、エマはどこか別の場所で別のものに怒りを向けている。視線はタキを通り越して、ずっとどこかの知らないものを見ている。

 怖くなって、タキは手を放した。
 放してしまった。

 エマは普段の彼には似つかわしくないくらい、素早くタキから離れる。そして、まるで何ごともなかったかのように、彼の部屋に向かって歩き出した。そうすることが決まっていたかのように。
 階段を登る足音がして、頭上で扉が閉じる音が続いた。


 翌朝、珍しくタキは寝坊した。
 酔って帰ってきても、店を開ける時間は変えたことがなかったのに、時計を見ると開店までもう間もない。部屋の天窓の向こうは、どんよりと曇っていた。朝日が差さないのはいつものことだ。
 部屋から出て行きたくなかった。起きてしまったら、一日が始まってしまう。エマが今日、家を出て行ったのかどうか分からない。この時間なら、もういない気もする。

 まだ家にいるのなら、今すぐにでも捕まえて、縛り付けておきたい。書庫にでも閉じ込めておけば出られないだろうか。それとも、それでも呼ばれてしまうのだろうか。
 しかしすぐに、あの目を思い出す。もうすでに自分とは別の声の届かないどこかにいるのなら、もう何をしたって、無意味なのかもしれない。
 そこまで考えて、タキは大きく息を吐いた。
 もしも、自分の声が届いても、何をしたって意味はないのかもしれない。

 山の家は単なる象徴にすぎない。常識的に考えればそうだ。
 エマが実際にどこへ行っていようと、自分と同じ空間にいたくないと思っているのなら、止めようがない。にしても、毎晩きちんと帰ってくるところが妙ではあったが、それにだってエマなりの理由があるのだろう。
 全ては自分が、自分の家のせいでおかしな風に考えているだけだ。
 山の家の持つ意味が違っていたとしても、エマが迷っていることに変わりはない。彼は悩んで、見えない道を探ろうとしている。彼の状況から何を悩んでいるか分かるような気もするが、それだって、本当のところは分からない。
 確かにエマは大事なことも大事ではないことも、ほとんど何も言ってくれなかったが、もし仮に言葉にして伝えたからといって、それが全て本心であるとも限らない。目に見えること、耳に聞こえること、それが必ずしも正しいわけではない。タキにはタキの目に見えることと耳に聞こえることしか分からないし、それだって、解釈のしようでどうとでもなる。

 だから、これがどんな理由でどんな力が働いているのだとしても、そうではなかったとしても、自分にはエマを引き止める術はない。

 空に垂れ込めた雲のように、体が重かった。この町の天気が悪いのはいつものことなのに、それが妙に気に障る。
 家の中はしんとしていた。
 おそらくエマはもう出かけたのだろう。いや本当は、あの扉の向こうでまだ寝ているのかもしれない。勝手に部屋に入られるのは、喜ばないだろうと思うから、これまでもなるべく近寄らないようにしていた。もっと、普段から踏み込んでいれば違ったのだろうか。それこそ、彼のことを根掘り葉掘り聞き出していれば、違っただろうか。

 店に降りてみれば、玄関にエマの靴はなくて、鍵は開いたままだった。エマには鍵を渡していない。最初はずっと家にいて、中庭のソファより外には出なかったから、渡す機会を失ったままにこうなった。
 あまりに店が静かすぎて、タキは家に戻った。もしかしたら客が来るかもしれないが、そうしたら昨日のように呼び出されるだけだろう。そうなったらそのときに考えればいい。
 リビングのソファに座って、何をする気にもなれず、背もたれに身を預けた。見上げた天窓の向こうは相変わらず陰気な色の雲が広がっている。今にも雨が落ちてきそうなほどに重い色をしている。
 いつまでもいつまでも、そうして見つめているうちに、堪えきれなくなったように、ぽつりぽつりと窓に水滴が当たり始めた。小さな水玉の模様が、少しずつ大きくなって、次第に落ちた雫が跳ねるほどに雨足が強くなる。

 エマを呼ぶまで、新しく建てたこの家に一人で住んでいた。何度も催促したのに、全然返事をくれないから、その間、せっせと本を集めて店を開いて、一人で暮らした。
 彼が言うには、この家は狭すぎるのだそうだ。そんなことを考えたことはない。確かに必要最低限の機能だけを持たせたし、その理由の一端には、自分とデザイナーの、エマの言うところの妙なこだわりがある。
 生まれ育った家は、祖父母と三人で住むには無駄に広くて、手入れをするのも難儀なものだった。家は無機質に見えて生きていて、別の生き物が住まなくなればすぐに死んでしまう。
 土地を広く使いたくなかったこととは別に、自分の手のひらの中におさまる生活がしたいと思ったのも事実だ。どこに何があるか分からないような、家が、家族が何を考えているのか分からないような生活は嫌だ。世界が広がるのは家の外側で、でなければ活字の中でいい。

 そう思っていたのに、今はこの家がひどく広く感じられた。自分一人では持て余すくらいに広くて、何を考えているかも分からない。
 自分が建てた家で、自分がその中にいるのに、まるでよそよそしくて知らない家のようだ。

 雨はいつの間にか止んで、窓の向こうは夜の色になっていた。




十話

十二話


#なんのはなしですか
#空を見上げて
#君と魔術と星空と


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