もうあのころの話をする人は減ったけど
はるさんの選書サービス
余白の選書
meets 編はこちら。
一冊目に読んだのは、川上未映子さんの『春のこわいもの』。
選書していただいた中では三番目、なぜこれから読んだのか、といえば、一番目のハーモニーは、腰を据えて読む感じだったから。読み始めたら止まらなくなって、気がついたら終わっていたことになりそうだったので、丁寧に読めそうな春のこわいもの、を手に取った。
川上未映子さんのお話は、何年か前、電子書籍で縦横無尽に読み漁っていたころ、すべて真夜中の恋人たちを読んだ。ちょうど、前の仕事を辞めて転職活動に戦々恐々としていたころで、読むうちに追い詰められていったのを覚えている。
そういうわけで、春のこわいもの、も知ってはいたが、そのうちまた、読むこともあるだろう、と見送られていた一冊である。
ガチミステリやらガチホラーばかり読んでしまいます、というわたしに、はるさんが、角度を変えて「こわい話」を選んでくださった。
舞台は、あの春で、わたしたちがまだ見ぬ恐怖と、いや、正しくはまだ、恐怖とすら思っていなかった得体の知れない不安と、まだ、闘わざるを得ないことすら、きちんとは理解できていなかった、あのころを描いている。
川上さんの文章は、とてもやわらかい。女性らしい、などと言うことは、今の時代には眉を顰められるかも知れないが、たおやかな、という表現がしっくりくる文体だ。
なのに、陰がある。
なんだか、じわじわと、陳腐な言い方をすれば、真綿で首を絞められるような、そんな感じがする。
それぞれ短編で、主人公はみんな違う。年齢や背景も違うはずなのに、どうも一人の人間に思えてしまう。
作者が常に投影されているからだ、とも思えるのだが、だんだんと、これは全部自分ではないか、と錯覚しはじめる。
自分の見たくない部分。普段、見ないようにしている部分。なかったことにしたこと。
突きつけられるのではない。淡々と描かれるから、こちらも淡々と読んでいるのに、静かにつまびらかにされて、わたしの中に浸透していく。
別の誰かが読んだら、これは自分だとは思わないのか、気になる。わたしだから、わたしだと思ってしまうのか。
一番、やるせなかったのは、失くした手紙をめぐって、泣く彼女をただ見ている彼の独白だった。そうだろう、そうだろうともよ、と思いながら読んだ。
思うに別に、何が悪で何が善であるかは、ほんとうに各々の中にしかないのだろう。わたしたちは、国や社会やコミュニティが決めた悪を悪だと信じ、人を糾弾する。みんなが善だというからそれを信じて、よいことだと胸を張る。
だけどそんなのは、ほんとうは人によって違うはずだ。社会を形成し、秩序を保つために、善と悪の指標を決めなければならないから、決まっているだけだ。もっと身もふたもないことを言えば、統治がたやすいように決められているだけだ。
それなのに、それがあたかも自分の考えかのように錯覚して、自分の気持ちでさえも、偽ってしまうことは多い。だけど本当のところは、心の底では自分の声が響いていて、だからきっと、いつも世界はどこか捻くれている。
などというようなことを、読んでいるときに思ったのではなく、今、書きながらつらつら考えた。
はるさんの、選書サービスの質問で、読み終えた後にどんな気持ちが残ったらうれしいか、というのがあったのだが、わたしは最初に「はるさん大好きだなぁ」だと思う、と答えた。
それは違うわ、真面目に書くわ、と思って付け足したのだが、やっぱり、はるさん、大好きです、と思ってしまったことをお伝えしておく。
なんだってこう、わたしが好みそうな、わたしがついつい真面目に考えちゃいそうな、かつ、わたしが読んでいないお話を見つけられたのか、そのからくりを知りたいような、知りたくないような、きっとまた、余白の選書、頼んでしまう気がする。
まだ一冊めですが?

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